(1)前立腺癌の診断まで

筆者プロフィール:1946年生、男。前立腺癌診断時(2010年3月)63歳。夫婦とも血縁者にがん患者なし。

診断までの経緯:【カッコ内は前立腺癌治療に影響があった心疾患の経緯】

【1999年12月:ジョギング中に重い頻脈発作】

【2000年1-3月:アルコール、激しい運動、重い物の運搬、冷気、タバコの煙、睡眠不足などが引き金となり、一時的失神も含めて軽くない発作を繰り返すも、心電図検査時には発作が出なかったためなかなか診断が確定せず、ようやくホルター装着時の飲酒により発作を誘発させて「発作性心房細動」と診断確定。(発作時に副交感神経の著しい昂進が認められたが、発作との因果関係は不明。)以後現在まで薬剤内服(ピメノール、ワソラン)と定期的心電図検査で経過管理中。】

2003年11月PSA=3.1(地元個人病院の人間ドック)

2004年11月PSA=4.6(同人間ドック) 頻尿の症状もあったため、翌2005年1-3月にX大学病院を受診。生検の結果癌細胞検出せず、軽度の前立腺肥大だが特に治療は不要との診断であった。

2005年11月PSA=5.0(同人間ドック)

2006年11月PSA= 7.6(同人間ドック)、直ちに同個人病院の泌尿器科を受診。「さらに詳しい血液検査」を勧められ、結果はシロ判定。軽度の前立腺肥大との診断で、以後半年ごとに通院の上超音波検査にて経過観察。 「さらに詳しい血液検査」とは何なのか、超音波検査で癌の診断が可能なのか、など疑問を感じ、X大学病院再受診も考えたが、2年前にシロ判定が出たばかりだったこともあって逡巡し、結局様子を見てしまった。受診していればこの時点で癌治療が開始できた可能性が高いと思う。

2007年11月PSA= 5.2(同人間ドック) 同個人病院泌尿器科より「癌であればPSA値下落はあり得ない」との説明に一安心。

2008年11月PSA=6.5(同人間ドック) PSAが再上昇したこの時点でX大学病院を再受診すべきだったが、前年の個人病院のコメントもあり、様子を見てしまった。

2009年3月下旬:家内が癌と診断、X大学病院にて全摘手術。以後現在まで定期的に通院の上再発・転移をモニター中)

2009年5月:頻尿・排尿状態悪化。これまで受診していた地元個人病院を回避し、X大学の系列病院(地元、担当医はX大学病院より出向)を受診。前立腺肥大治療開始(ハルナール内服)

2009年8月PSA=7.6(同・系列病院) 生検を勧められたが、こちらからあと半年様子見をお願いした。

2010年2月PSA=8.6 (同・系列病院) 生検を強く勧められ、MRI検査の結果前立腺癌の疑いありとの事で生検受診決定。

2010年3月:同・系列病院で生検(二泊三日の検査入院、部分麻酔)の結果、前立腺癌との診断が確定。グリーソン・スコア 3+3=6。X大学泌尿器科編纂の「前立腺癌診療Q&A」というブックレットを紹介され、早速アマゾンで注文。この本は非常に役に立った。

(2)診断から手術まで

2010年3月:X大学系列病院(地元)で生検の結果、前立腺癌と診断(グリーソン・スコア 3+3=6

2010年4月:同・系列病院で骨シンチ検査の結果、骨への転移なし。

2010年5月:同・系列病院でCT検査。他臓器への転移なし。X大学病院あて紹介状受領。

同月:紹介状と診断データ持参の上、X大学病院を受診。治療法と合併症について次の通り説明を受ける。(以下すべてX大学病院)

【術前診断の病期から見て私が選択可能な治療法とその主な合併症等】

(A)腹腔鏡手術による前立腺全摘・・・尿失禁、性機能不全。

(B)放射線治療(小線源療法)・・・排尿障害。再発時に手術は不適応。

(C)放射線治療(外照射)・・・便失禁、排便痛(原爆症と同様、後年に至り発症の可能性も)。再発時に手術は不適応。

根治の可能性は(A)が最も高いとの説明を受け、また合併症の受忍限度を考えて手術を決断。ただし(C)以外は全身麻酔で行うが、心臓疾患があるため全身麻酔の可否を同病院循環器内科が判断する事となった。

(当初泌尿器科としては、全身麻酔を回避しても術前診断病期から見て外照射で十分戦えるだろう、との見解であったが、私から手術を強く希望した。)

2010年6月:手術日仮決定。骨盤底筋体操指導あり、以後手術前日まで約二ヶ月間、毎日忠実に実行した。

(同月:初孫が誕生。良いこともあり。)

同月:循環器内科で負荷心電図(シロ)と超音波検査(グレー)。血液検査で甲状腺機能の低下が指摘されたが、特に治療開始の指示はなかった。

2010年7月:循環器内科で運動負荷心筋シンチ検査(シロ)。

2010年8月:循環器内科より全身麻酔について「年齢相応のリスク」との所見。ただし手術時には標準以外に追加モニター装着の指示あり。これを受けて手術が最終決定。

同月:手術の為のオリエンテーション(麻酔科、泌尿器科)

同月:入院。主治医から家族同席にて改めて手術内容・合併症等の説明。

入院後二日目:全身麻酔下で腹腔鏡手術により前立腺・精嚢全摘、神経血管束片側切除、リンパ節郭清(4時間)

(3)手術から退院まで

手術当日(2010年8月):腹腔鏡手術により前立腺・精嚢全摘、神経血管束片側切除、リンパ節郭清(4時間)

手術後1日目:痛みは少なく、モルヒネ(自己管理)はほとんど使用せず。ドレーン抜去。ベッドで起き上がる練習。血尿色はボルドー。

2日目:点滴抜去。血尿色はロゼ。会陰部に痛みがあり、椅子に座れないため立ったまま食事。自分で食事のトレーを運ぶ事もできない。

3日目:正午ごろ吻合部をX線検査後、尿管カテーテル抜去の上失禁パッド装着。午後から歩行器で歩行練習。排尿45%、失禁量55%程度で推移していたが、午後10時ごろから排尿・失禁ともに止まり、膀胱がパンパンに。超音波検査で膀胱内の尿量を計測。だが手術直後の吻合部に再度カテーテルを通すリスクに当直医が慎重で、いったん水分摂取の上様子見となるも、状態さらに悪化。この時は地獄の苦しみで生きた心地せず。午前3時ごろ再度超音波検査の上、導尿で540cc排出。これでようやく就眠。

4日目:午前中は順調だったが、午後から再び排尿困難となる。午後3時ごろ尿管カテーテル再装着。膀胱収縮剤ウブレチドを処方される。翌日が退院予定日だったが当然延期。

5日目:午後1時ごろ尿管カテーテル抜去。今回は排尿障害もなく、排尿70%、失禁30%程度で推移。

6日目:排尿85%、失禁15%程度と順調。ほとんど横臥した状態で過ごす。歩行すると全量失禁となる。

7日目:昨日と同様の状態。本日退院でもよかったが、念のためもう一晩排尿障害が起こらないかどうか様子を見たいと申し出て、一日延長。

8日目:朝退院。血圧が若干高めであるため、血管新生阻害のための治験適応となり、ブロプレスを処方される。相変わらず会陰部痛のため椅子には座れず、歩行すると全量失禁となる。タクシーの後部座席に横臥して退院。帰宅後はすぐベッドに横臥する。パッド使用数は1日12枚程度。

(4)退院後の経過 (更新中)

退院後初回の外来まで(退院後1-19日目)

・最大の問題は会陰部痛。退院後は運動量が増えるためか、痛みが顕著に悪化した。ロキソニン服用後3時間程度は痛みが軽減するが、椅子に座ったり外出して歩行したりは無理。食事も歩行器にもたれて立ったまま。

・失禁の状況:所要パッド数10-12枚/日。夜間及び起床後2時間程度は失禁が少ないが、日中及び歩行時、また手で物を持ったりすると、膀胱を素通りして直ちに全量失禁。

・17日目、CT検査。リンパろう等の検査のため。

・19日目、退院後初回の外来。CT検査の結果「リンパろう」等の異常はなし。会陰部痛は相変わらず辛いが、必ず治るとの主治医説明に一安心。ロキソニン処方。PSA採血(結果は術後病理検査と合わせて次回外来で説明とのこと)。

第2回外来まで(20-32日目)

・23日目、会陰部痛が一段と悪化し、血尿(ロゼ色)となった。休日の為救急外来を受診。尿・血液検査、CT、超音波検査を実施。重大な所見はなく、再入院せずに様子見となる。この後1週間程度、排尿時にあずき大・薄紫色の結石や2㎝程度の細い釣り糸状のものを排出することがあった。

・失禁の状況:極めて厳しい状況は従来と変わらず。パッド使用数も相変わらず10-12枚。

・32日目、第2回の外来。前回外来時採血の結果はPSA0.06 にて、癌細胞の取り残しはなかったとの主治医判断。ただ術後病理検査の結果グリーソンスコアが 5+4=9 (癌の悪性度が10段階中悪い方から二番目)と、術前診断から大きく変わった。癌は前立腺右葉内限局、10mm8mmの二つで、リンパ節転移なし。「手術しておいて本当によかった」との主治医コメントを有難く聞く。ただしグリーソンスコアが極めて高いため、今後の転移・再発状況をしっかりモニターして行く必要がある。転移・再発の際はホルモン治療となるが、それも通常2年程度で効果がなくなるので、血管新生阻害治験薬はそれに備えるため、との主治医コメントに納得。

第3回外来まで(33-60日目)

・会陰部痛は改善に向かい、柔らかい椅子なら横座りできるようになった。43日目以降はロキソニン服用量が1日1錠以下、47日目以降は不要となった。但し椅子でもまっすぐに座ることは出来ず、床に正座・胡坐の姿勢や自転車は無理。

・失禁の状況:一日中横臥または椅子に静かに座っているだけなら多少膀胱に尿がたまるが、尿意を感じるまでには至らない。パッド8枚程度。歩行したり重い物を運んだりすると、直ちに全量が失禁となる。

・手術以降大学を休職していたが、このような状況では今後とも遠隔地への通勤を伴う復職は困難と判断し、来年(2011年)3月末付での退職を決断。今後は自身の学会活動、研究・執筆活動を継続しながら、首都圏の大学で非常勤講師も含めたポストを探す方針とした。

・60日目、第三回の外来。PSA採血、結果は次回外来。

第4回外来まで(61-95日目)

・失禁の状況:午前中と夕食後は失禁量が減少。ただし尿意を感じるところまで貯めることはできない。家の中で静かに歩行する程度であればパッドは6枚程度で済むようになったが、階段歩行時、外出歩行時、重い物の運搬時には相変わらず全量が失禁となる。

・70日目ごろからパッド装着によるカブレが発生。市販の抗ヒスタミン剤(デリケア、レスタミンコーワ)でコントロールを試みる。

・95日目、第4回の外来。前回採血のPSA=0.01と順調。

第5回外来まで(96-123日目)

・失禁の状況:一日中椅子に座ったり家の中で静かに歩行する程度であればパッドは4-5枚で済むようになったが、階段歩行時や外出歩行時、重い物の運搬時には相変わらず全量が失禁となる。

・123日目、第5回の外来(当日外来前採血)。PSA=0.01と順調。

・カブレの状態が夜間痒みで目が覚めるまでに悪化。市販薬でのコントロールが不可能になった為、主治医に申し出てリンデロンVG(軟膏)を処方される。

第6回外来まで(124-187日目)

・カブレの耐え難い痒みはリンデロンVG使用開始後5日程度で解消した。

・会陰部痛はないが、未だに椅子にまっすぐに座ることは出来ず、重心を左右どちらかにずらした横座りとなる。床に正座・胡坐の姿勢や自転車は無理。

・失禁の状況:外出しても10分間程度の静かな歩行だけであればパッドは4枚程度で済むようになったが、階段歩行、10分を超える歩行、重い物の運搬などの際は相変わらずほぼ全量が失禁となる。

・187日目、第6回の外来(当日外来前採血)。PSA=0.01で、今のところ再発・転移は見られず。治験薬としてブロプレスを使っているため、恒常的に血圧をモニターしているが、今日は自宅で109/61、病院で140/80 と、大きく違う数値であった。

(196日目 東日本大震災)

第7回外来まで(188-285日目)

PSA=0.01で現在のところ問題なし。

488日目の外来

手術後ずっとPSA=0.01で経過してきたが、今回 0.02 に上昇。今後の経過を注視する必要がある。

593日目外来 PSA=0.01に戻る。腹圧をかけないと排尿できないので、次回(5ヵ月後)膀胱の内視鏡検査をする事に。

730日目  2週間ほど前から尿道の奥に痛みが出た。出たり収まったりを繰り返していたが、昨日からかなりの尿道痛に。排尿痛はなく、普段から疼痛がある。分泌物はない。ロキソニンを服用して就眠し、朝は痛みが軽減したが、昼近くに再度痛くなる。大学病院泌尿器科に電話で相談。主訴が痛みなのでロキソニンで収まる限りそれで次回外来まで様子見、効かなくなったり発熱したら救急へ、次回外来で膀胱鏡検査、とのこと。

732日目 夜激痛。手術後二ヶ月悩まされた会陰部(=吻合部)と同じ場所のようだ。絞られるような耐え難い痛みだ。日中セレコックス2錠、夜ロキソニン1錠とレンドルミンを服用するも七転八倒、横臥しても座っても立っても二時半まで眠れず。初めて経験する強い痛み。

733日目の外来  急に受診したので主治医のM医師が夏休み。だが代診が入院時に病棟で世話になった、若いが技術の高いY医師だったので安心。PSA=0.01 手術から2年目をクリアーした。尿検査も正常で膀胱炎・尿道炎なし。そのあと膀胱鏡検査。チューブタイプで、尿管麻酔時と内視鏡が膀胱に入る時に痛むが、予期していたよりかなり楽だった。結石、狭窄、炎症なし。検査後の血尿・排尿痛なし。よかった。だが痛みの原因は分からず、頓服としてボルタレンとリリカが出た。どちらも強い薬なので、使わないで済むことを祈るばかり。

734日目 また夕方から強い痛みが出る。ロキソニン服用するも2:30まで眠れず。

735日目  睡眠不足もあって心身ともに消耗。今日も午後から痛みが出たがいったん収まり、夜再発。昼ロキソニン、夜セレコックスで対応。さらに10pmに自分の判断で初めてリリカ75mgのカプセルを切り、半分だけオブラートに入れて服用。レンドルミンもいつも通り半錠飲んだ。その後は痛みは出ず、久しぶりに朝まで熟睡した。効いたのはセレコックスなのか、リリカなのか、または薬とは関係なく収まったのか、よくわからない。リリカによる眠気と軽いふらつきは14時間程度続いた。

736日目  日中セレコックスを2回服用。午後から夜にかけて3回痛みが出はじめたが、いずれも悪化せずに消えてくれた。今日も就寝前にリリカ半分を服用。副作用(眠気、ふらふら)は昨日より軽かったような気がする。

737-740日目 リリカを徐々に増量し、昨日は4/5カプセル程度を就寝前に服用。副作用(眠気、軽いふらつき)は10時間程度で収まるようになったが、体のだるさがある。依然として痛みが出るが、進行しないで収まるようになった。だが適宜セレコックスも飲んでおり、何が効いているのか効いていないのか、実感できない。一方尿漏れが再発し、久しく使わなかった小さいパッドが1日2-3枚必要。

740-745日目 リリカ3/4カプセルを毎晩続けている。毎日午後から夜にかけて時々会陰部に絞られるような痛みが出かかるが、長くは続かなくなった。尿道痛は出なくなった。尿漏れも収まっている。リリカが効いているという実感はあまりないのだが・・・

746-762日目  リリカを徐々に減量し、1/2カプセル程度にした。これだと副作用は感じなくなった。毎日会陰部の痛みが出かかるが、間もなく収まる。

2年8ヶ月目、2013-4-24 PSA=0.02

2013-10-23 PSA=0.02

2014-4-29 PSA値開示なく、「ほとんどゼロ」とのコメント。

2014-11-29 PSA=0.02

2015-6-10 PSA=0.02

(5)尿失禁の推移(グラフ)

http://www.geocities.jp/alternatives1212/incontinence.JPG

(6)前立腺癌罹患とQOL

1)癌告知時

癌告知を受けると、自分に残された時間と生活領域の限界を強く意識せざるを得なくなる。こうした運命を受容するプロセスは一般にはなかなか辛いもののようだが、幸か不幸か筆者の場合は1999年に発作性心房細動を発症した時点で、時間はかかったもののこうした限界を受容する内的な作業を既に済ませていた。加えて元々重い障害を持つ妻が癌を発症するという過酷な運命を背負ったことが、共に闘病してゆく事以外の事柄の優先順位を既に著しく低下させていた。従って筆者が癌告知を受けた時も、いったいどこまでという思いはあったものの、生活領域をさらに縮小し、現時点で日本における最高水準の治療を受けられる病院の担当医にすべてを任せる事に全く躊躇はなかった。

2)診断から手術までの時期

 担当医が病期や選択可能な治療方法を、それぞれのプラス・マイナスを含めて明確に開示してくれたため、自分の抱えるリスク(運命)を冷静・客観的に認識することが出来た。骨盤底筋体操も教えられた通り忠実に実行した。ただしその効果については、手術後の合併症(疼痛と尿失禁)が強く出たこともあって、はっきりと実感は出来なかった。

 

3)術後の合併症とQOLの変化

 合併症には個人差が大きいとの説明を受けていたが、悪いほうのシナリオになってしまった。詳しくは闘病記録に記載したが、退院後200日を過ぎた現在も、改善したとは言え、依然として15分程度を超える歩行や階段歩行、重いものの運搬などが疼痛や尿失禁を招来するため、生活領域の著しい縮小を余儀なくされる状態が続いており、退職を決意せざるを得なくなった。

 筆者の職業(大学教授)は交代要員の利かない数少ない職種の一つであると言える。学生に修得させるべき事項が定番的に決まっている基礎的な科目であればともかく、専門科目では自分の体系を講義するから、たとえ期中に病気で倒れようと、同僚の研究者・教員が成績評価を代行する事は事実上不可能なのである。ゼミナールや卒業論文の審査、学位の認定なども同様である。交代要員の利く職種であれば長期休職後は職場復帰を果し得る。しかし筆者は重い合併症が出た為、遠距離通勤や講義中の頻繁な「トイレ休憩」が事実上困難となった事に加えて、グリーソン・スコアが極めて高く、再発・転移による再治療開始の可能性が大きいため、休職後一旦キャンパスに復帰しても、その後再度長期休職を繰り返す可能性が高い事もあって、キャンパスを去る決断をせざるを得なくなった。現在は研究活動・学会活動を継続しつつ首都圏での大学におけるポストを探しているが、非常勤講師職も含めてまだ目途は立っていない。生活領域は極端に縮小したが、それなりの範囲で出来ることに集中すれば、まだまだ楽しく過ごせることが分かってきた。医学的根拠のない激励や善意の押し売りには辟易したが、最高の家族や静かに見守ってくれる真の友人たちに恵まれたことに感謝しつつ、どうせなるようにしかならないのだから気楽・気長に、というのが筆者の現在の心境である。

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