2008年11月16日 (日)

緊急金融サミットの評価

(新しい国際金融秩序に関するゼミのディスカッション資料)

11月14-15日に緊急金融サミット(G20)が開催されたが、国際資本市場の信頼回復への道筋はどの程度出来たのだろうか。

人体に例えると現在は出血が止まらない状態。とりあえず応急処置として痛み止めと輸血(=資金の供給)が必要で、これが各国の公的財政資金の投入やIMFの強化による新興国支援。こうした応急処置は合意できたが、肝心の抜本治療方針(=野放しの投機を規制して監視する新しい仕組み)が纏まらなかった。米・カナダ・日本は「体力は輸血で回復するから大手術は不要」、ヨーロッパは「大手術をして治しておかないとまた再発する」と主張。金融市場の監視体制改善の必要性自体は確認されたが、具体的な手段については「国内事情に鑑み適切と考えられる」方法で各国が実施すべきだとして、国際的な投機防止の仕組みの素案さえ示せなかった。

まず今回のサミットに臨んだ主要各国の立場を整理してみると、アメリカは従来からの市場万能主義を守ろうとして投機の規制強化に抵抗したが、政権の空白期であり、またアメリカ自身がリーマンを見捨てた一方で政府資金を使ってAIGを救済したり、自由競争の結果皮肉にも自国の自動車産業が政府支援要請に追い込まれたりと、市場万能主義を自分から放棄せざるを得なくなっている為、主張に迫力を欠いた。ただ貿易自由化(ドーハラウンドの再開)の合意はよく頑張って結果を出した。

フランスはサルコジ大統領がサミット開催を呼びかけるなど積極的な動きが目立った。第二次大戦後1971年まで続いたブレトンウッズ体制(1ドル=360円の固定相場制)を廃止に追い込んだのはフランスのドゴール大統領。サルコジ大統領も欧州代表を自負し、投機の監視を強化する新しい国際金融ルールを目指してロシアや新興国を巻き込む作戦だったが、新興国からの明確なサポートがなく、アメリカ陣営を攻め切れなかった。特に中国はこれまでとは逆に保護主義より自由主義が有利になりつつある為、中立を守った。

日本はどうか。新興国の参加を最初に提案したのは麻生首相。日本のバブル崩壊の経験を武器にリーダーシップを取り、国内向けにも存在感のアピールを狙った。私的な場では大胆で斬新な発言もあったが、公式に提案したのはIMF強化も含めて官僚が作文した「輸血量を増やす」という応急処置が中心で、新しい国際金融ルールの基本構想には踏み込めなかった。Financial Timesに今回のサミットの議事録のパロディーが掲載されたが、G8首脳のうち麻生首相だけが登場していないのは淋しい。

では、今回のサミットで新しい国際金融ルールの設計はどこまで進んだのか。IMF機能の強化が提議されたが、これはあくまで輸血量を増やすという応急処置にすぎない。しかもIMFには「少ない」「遅い」「ややこしい」という三大欠陥があり、この為既に10年前、アジア経済危機の収拾に失敗しているのだ。一つ目の「少ない」は支援する金額が小さすぎること。もともとIMFの使命は貿易収支の不均衡是正を後押しする為、貿易赤字国に一時的な資金を貸し付ける事であった。ところがアジア経済危機では膨大な投資(投機)資金が国境を越えて動き、その規模が貿易取引とは比較にならないほど大きかった為に、IMFが支援できる金額ではとても間に合わなくなり、「ベイル・イン」という新語まで作って民間セクターに奉加帳を回し、「自主的な支援参加」を強要して資金を出させざるを得なかったのだ。今回の危機はアジア経済危機の規模をはるかに上回る資本市場の危機であるから、IMFが出せる資金量では、柔道の石井選手ではないが「屁のツッパリにもならない」のである。今回のIMF改革に関する議論でも、日米の発言からは支援金額確保のための「官民合同」という発想が見え隠れするが、今の民間セクターには奉加帳に付き合う余裕はない。二つ目の「遅い」はもっと致命的だ。今まさに市場が崩落しようとしているのに、資金が支出されるのは長々とファンダメンタルズを分析した結論が出てからなのだ。燃えさかる火事を目の前にして出火の原因は漏電かタバコか、それとも放火か、と証拠を集めて分析し、結論が出て初めて消化作業を開始するのと同じだ。IMFの資金には機動性がない。そして三つ目は「ややこしい」。IMFが資金を出す際には規制を緩和・撤廃して市場を自由化せよという条件(コンディショナリティー)が付く。各国は市場改革計画を作ってIMFの承認を受け、さらに「ここまで出来たらいくら出します」と、北朝鮮の核廃棄プログラムのように何回にも分けて段階的に資金が出るのだ。これはIMFの最大のスポンサーがアメリカである為、IMFもアメリカの別動隊として市場万能主義の浸透を図るという使命を負っているからであり、IMFをどのように改組しても到底新しい国際金融ルールの中心にはなり得ないのである。

それでは、新しい国際金融ルールはどのようなものであるべきか。各国が多様な利害や立場を超えて共存共栄して行く新しい国際金融制度設計のポイントは、投機家ではなく「それぞれの国ごとの実体経済の実需」を守ることだ。いままでの国際金融のルールはアメリカの圧倒的な経済力を背景とする市場万能主義。投機を認め、一人勝ちを容認してきた。一方欧州は元々小国の集まりなので、多様な立場や価値観を尊重し合うルールで共存を図って来た。アメリカ型のルールが破綻したあと、新しい国際ルールは一人勝ちではなく共存共栄の欧州型になる。

投機の規制については前向きな進展もある。今回の危機の原因となったCDS(Credit-Default Swaps)の集中決済機関が出来るのは一歩前進だ。またCDSについて実需原則を適用しようとするニューヨーク州の動きも評価できる。さらに一歩進めて、実需の裏付けのない空売り・空買い、小額の資金で何倍もの取引が出来る(=レバレッジの高い)デリバディブなどに関しては、レバレッジに上限を設ける国際ルールと国際監督機関の設置が必要である。投機を抑制して実体経済の実需を重視する国際ルールはアジアなどの新興国にも受容れられ易い。

アメリカルールから欧州ルールへの変化は実は既に始まっている。まずアメリカ自身が変わり始めているのだ。アメリカ大統領選の二ヶ月前、ニューヨーク滞在中に二人の候補の演説のナマ中継を見て「これはオバマ氏になるな」と確信した。演説会場に来ている支持者層の人種・年齢・性別がマケイン氏は単一的、オバマ氏は多様・複合的だったからだ。選挙終了後スタンフォード大学のデービッド・M・ケネディ教授が「オバマ氏は最初で最後の黒人大統領だ」というコメントを出した。驚いてよく読んでみると、大統領の人種が話題になるのはオバマ氏が最後だと言うのだ。アメリカ人自身が、白人も黒人も関係ないという多様な価値観を持ち始めている。かつて筆者は米国人から「日本のプロ野球にもワールド・シリーズはあるのか?」と聞かれ、「それは日本シリーズと呼んでいる」と答えた事があるが、本来「アメリカ・シリーズ」と呼ぶべき手続きを「ワールド・シリーズ」と呼んできた米国の野球界自身からWBCが提唱された事の意味は決して小さくない。

国際金融ビジネスの世界でも、主役がこれまでのアメリカ型投資銀行から欧州型の預金も貸出も株も保険も全部扱う総合金融サービス会社(ユニバーサルバンク)に変わりつつある。「時価会計」の見直しもこの流れだ。さらにCO2排出権は、原油などの国際商品とは違ってドルではなくユーロ建てで取引されている。スポーツの世界でも同じだ。野球がオリンピック種目から外れてサッカーがますますさかんになって来たのも「アメリカからヨーロッパへ」という潮流を反映したものと言える。米国自身も多様な立場を尊重するオバマ政権の下で「一人勝ちルール」を放棄しつつあり、流れは固まってきたと思う。

ただし新しい国際ルール作りは始まったばかり。国際資本市場が信頼を回復できるかどうかは、今後の具体的なフォローアップ体制を維持して行けるかどうかにかかっており、まだまだ時間が必要だ。

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2008年9月23日 (火)

CDSとCO2排出権取引

(学部ゼミでのディスカッション用資料です)

米国発金融危機の進行過程でCDS(Credit-Default Swaps)がすっかり悪者になっているが、ファイナンスを学ぶ者にとってはCDSのメカニズムを正確に理解し、そこから教訓を学ぶことが大切である。

はじめ君は百万円を1年間借りる必要があり、金持ちのアソウさんに借金を申し込んだ。アソウさんはお金はあるのだが、1年後にはじめ君が破産していて借金を返済できなくなるリスクがあると考え、はじめ君を良く知っているフクダ氏に相談した。フクダ氏ははじめ君と同じぐらいの年齢、職業、年収、資産の人たちが1年以内に破産する確率を調べたところ、それは10%未満であることが分った。そこでフクダ氏はアソウさんに次のような提案を行なった。

「はじめ君が1年以内に破産した場合はフクダ氏がアソウさんに貸出金百万円の全額をそっくり支払うが、その代わりアソウさんは今すぐフクダ氏に保証料として貸出金の10%(=10万円)を支払う。この保証料は、はじめ君が破産しようとしまいとフクダ氏が貰いっ放しとする。」

アソウさんはこの契約を応諾し、保証料10%を利息に上乗せしてはじめ君に支払わせることとした。はじめ君の信用は「市場金利+10%」と評価されたわけだ。はじめ君は自分の「信用リスク」に相当するコストを支払って資金を調達し、アソウさんは安心してはじめ君にお金を貸すことが出来た。フクダさんは「はじめ君が破産するリスク」と引き換えに「10万円」を共に手にした。この契約がCDSである。CDS(プロテクション、以下同じ)の買い手はアソウさん。売り手はフクダ氏。CDSの価格は元本の10%。このようにして「信用リスク」が定量化され、CDSが貸出金のリスク回避策としてさかんに使われるようになった。ここまでは良かった。

ところが話はこれで終わらなかった。フクダ氏はこれを良いビジネス・チャンスと考え、はじめ君以外の借り手の信用リスクも調べて「借り手の信用リスクに応じた保証料を取って、借り手が破産した場合の借金の肩代わりをする」というビジネスを本格的に展開した。さらにこれを見ていたイシハラ君やコイケさん、AIGなど、多くの人たちがこのビジネスに参入して来た。さらにCDSの買い手は、アソウさんのように自分自身の貸出のリスク回避をしようとする人だけでなく、「これからは破産する人が増えてCDSの価格が上がる」と考える投機家はCDSを市場で買い、「これからは世の中が落ち着き、破産が減ってCDSの価格が下がる」と考える投機家はCDSを市場で売る、というマネーゲームがはじまったのだ。

はじめ君は結局1年以内に破産してしまった。ところが、はじめ君は百万円借りただけなのに、金融市場が麻痺するほどの大混乱が起きてしまったのだ。なぜなら、はじめ君の信用リスクがCDS市場で大規模に取引されていた為、はじめ君が破産した時に百万円を支払わなければならなくなった人の数は世界中に何十万人もいて、世界全体で一体いくらの損失が出るのか、誰にも分らなくなってしまっていたからだ。オザワさんがCDSをかなり売っていて大損したようだ、オオタ氏も同じらしいぞ、いや、フクシマ女史だってかなり損失を出して危ないらしいよ。憶測が憶測を呼び、市場はパニックに陥って、誰も他人にお金を貸さなくなってしまったのだ。元々CDSには資金循環を円滑化するプラスの機能があり、住宅金融の証券化が進展する過程で有効な触媒作用を発揮した。だがそれが貸出・借入れの実需から離れ、信用リスクの市場取引として投機の対象となった為に、金融市場が麻痺するほどの深刻な副作用を引き起こしてしまったのだ。当たり前のことだがCDSは低いほうが経済社会全体にとって望ましい。ところがCDSが実需を離れて投機的に売買されたり投信に組み込まれたりすると、CDSの買い手はCDS価格が上昇すればするほど、つまり破産リスクが大きくなればなるほど利益が出る、ということになる。投機が均衡回復的に作用するのではなく、均衡破壊的に作用するようになってしまうのだ。9月23日のBloombergによるとニューヨーク州当局がCDS取引を実需の裏付のある当事者(bond holder)に限定する規制の導入を検討しているとのこと。遅きに失した感は否めないが、正しい方向であると言える。

CDSの教訓は、実需から離れたproductの市場取引は均衡破壊的に働きやすい、ということである。そして直ちに想起されるのがCO2排出権の市場取引だ。CO2の排出権に対する需要と供給を市場価格の変動を通じて調整すること自体は正しい。ただしCO2排出権の価格はCDSと同様、低いほうが社会全体として望ましい。CO2排出抑制対策が進めば進むほど排出権の供給が需要を上回り、価格が下落するからである。だがCO2排出権が実需を離れ、金融productの一つとして投信に組み込まれたりすると、排出権価格上昇が投資家の利益となる「エコ投信」(!)が発売されたり、排出権価格上昇を狙ってポジションを張るディーラーやファンド・マネージャー、さらには素人デイ・トレーダーまで出現したりするに違いない。そうなると本末転倒、一体何のための排出権取引なのか分らなくなるではないか。CO2排出権の市場取引創設に当たっては実需原則を最初からしっかり組み込んでおく事。これが今回のCDS騒動から学ぶべき貴重な教訓である。

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2008年9月12日 (金)

Fannie, Freddie and Maria

英文だと段組みが崩れるので別紙にしました。

Please click the URL below.

http://www.geocities.jp/alternatives1212/fanniefreddie.pdf

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2008年7月25日 (金)

ベリーの栽培とゼミ

素人が片手間で育てても収穫できるベリー類は手軽さが魅力だが、ベリーの種類によって栽培の難易度はいろいろだ。

最も簡単なのがストロベリー。苗を買って水をやるだけなので高い糖度の果実というわけには行かないが、次々と実る。また種類が多く収穫時期が少しずつずれるので、長い期間にわたって果実を楽しめる。

次いで簡単なのがラズベリーで、開花から結実までの期間が短い。収穫期は初夏の一週間から10日程度で、あっという間に終わってしまうが秋にもう一度収穫できる年もある。取り忘れた実が土に落ちて翌年発芽することもあり、あまり手間がかからない。

若干忍耐を要するのがブラックベリーだ。発芽から開花まで3年程度かかり、開花から果実の収穫までの期間も長い。だがその代わり、実の形状がいかにもベリーらしく、色も緑、赤、黒と熟して行くペースが実によって異なるのでカラフルな色彩のモザイクになる。盛夏の季節感を演出してくれるベリーである。

ストロベリー、ラズベリー、ブラックベリーはポットの苗を買って水をやるだけでも育つが、そうは行かないのがブルーベリーだ。土作りから施肥、剪定まで、かかる手間が他のベリーの比ではなく、少しでも怠ると収穫できない。素人の片手間仕事では収穫までたどり着くのは至難。栽培にはある程度の覚悟が必要である。

ベリー類にはそれぞれ個性があり、栽培の工夫も収穫の楽しみもそれぞれだ。毎年収穫が終わると、来年のためにまた一からやり直しとなる。何だかゼミによく似ているな、と思う。

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2008年7月17日 (木)

河野雅治とMax Weber

洞爺湖サミットから1週間、シェルパを務めた河野雅治外務審議官の報告会に出席した。クローズド・フォーラムなので具体的内容の紹介は差し控えるが、ハイリゲンダム・サミット報告会以来1年ぶりにお目にかかり、大変驚いたことがある。風貌が1年前とは別人のように一変していたのだ。

1年前、河野審議官の表情や話し方は安倍さんにそっくりであったが、今回は福田さんそのものだった。最後の質疑の部で、C級NGOの代表と思しき質問者の「喫緊の課題である地球温暖化にも原油価格問題にも何一つ答えられなかった史上最低のサミットだ」との発言に対して、ご質問の趣旨はそういった評価をどう思うかということですか、と確認した上で「サミット開催直前まで多くのNGOから要望や圧力が、また首脳宣言・議長総括のリリース後には評価できる点とそうでない点について詳細なコメントが寄せられた。(マトモな)NGOは国際社会の一員として不可欠な存在になっていることを実感した。」と斬り捨てたところは、福田さんのぶら下がり会見を彷彿とさせた。痛快であった。

もしもMax Weberが今の世に存命であったら、河野雅治こそ職業(ベルーフ)としての官僚の理念型(イデアル・ティプス)である、と言ったに相違ない、と思った。

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2008年6月27日 (金)

株主総会の形骸化

毎年この時期、できる限り株主総会に出席するようにしている。去年までは3月決算企業の総会が一日に集中していたが、今年は総会日程が626日・27日を中心に多少分散したので従来以上の「はしご」が出来た。数社の総会に出席したが、今年は株主総会が形骸化し始めており、何らかの対応が必要だと感じた。

今始まった株主総会の形骸化はかつての形骸化とは全く異なる。かつて株主総会は総会屋の手に委ねられ、株主による機関決定機能を封殺されて形骸化していた。だが現在では総会屋が排除され、特に今年は多くの企業で内外のファンドを含む機関投資家が議案に対する賛否を積極的に表明したり、配当や取締役人事などに関する株主提案を行ない、また既存株主もそうした提案に対して賛否を明確に意思表示するなど、機関決定機能を発揮する株主総会が目立った。

ところがこうしたポジティブな変化と並行して、新たな意味での株主総会の形骸化が進行し始めたようだ。挙手し、指名されて発言する株主の半数以上は、自身の特殊個人的な嗜好・利害や体験に基づいて、論理的というよりも直感的・感情的に、時に不正確な日本語で、しばしば無意味に激昂しながら話す。議長はそれを無理矢理質問の形にパラフレーズし、丁寧に、だがステレオタイプな内容の答弁を行なって何とか質問者をなだめ、次の質問者を指名する。株主総会において質疑に充てられる時間の半分以上はこうして空費されているのだ。雛壇上では取締役たちが必死で笑いをこらえ、フロアでは(普通の)一般株主が苦虫を噛み潰す・・・こうした形骸化はなぜ起きているのだろうか。

一つは株主層の裾野拡大策として株式分割、取引単位の小口化を進める企業が多く、その結果ごく少数の株式を取得して総会に参加する個人株主が増えている為だろう。もう一つは過去ログ「平田篤胤の呪縛」に書いた、優越的立場に立った時の日本人(特にノンキャリ)特有のエキセントリックな弱者への攻撃性だ。個人株主の増加自体は良いことだが、株主総会にこうした直接民主制が浸透しすぎると、総会屋がいた時代と同様会社側はひたすら総会を早く終わらせることばかりに腐心するようになる。だが今は総会屋がいない分、かえって始末が悪い。

ギリシアの直接民主制は構成員が均質であったからこそ機能した。EUも構成国が先進工業国ばかりであった時代には、EUとしての意思決定は直接民主制による全員一致ルールで行なわれていたが、構成国が増加し多様化した今、多数決原理の本格的導入が必要になった。株主総会も株主数の増加・多様化と共に運営ルールを変更しないと、形骸化がさらに進行しそうである。せっかく芽生えてきた株主総会の機関決定機能をさらに向上させるためにも、何らかの形で(例えば総会出席権を一定の株数以上を保有する株主に限定するなど)、時間の空費を最小限にとどめる運営上の工夫が必要であると痛感した次第である。

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2008年5月14日 (水)

最澄と空海

東寺・講堂の立体曼荼羅を見るために京都へ行ってきた。密教についてはかねてからいくつかの疑問を感じていた。なぜヒンドゥの神々が姿を変えて密教に取り込まれたのか。密教を経典だけで理解することは困難だから密教宇宙は曼荼羅として視覚化されているのだというが、曼荼羅を見てもやはり何も伝わってこないのはなぜなのか。さらに通説によると、最澄は礼を尽して空海に理趣釈経(密教の教典「理趣経」の注釈書)の借覧を要請したが、空海は密教の本質を経典だけで伝えようとすると誤解を招くとして拒絶し、このことが最澄が空海に対して宗教人として屈服した事を示すのだと言う。だが天台密教の祖たる最澄が果してこのような屈辱を甘受したのだろうか。空海が構築した立体曼荼羅を見ればこうした疑問への答が見つかるかもしれない、と思ったのだ。

東寺の立体曼荼羅は両界曼荼羅だと思い込んでいたが、意外にも違った。それは金剛界曼荼羅であり、胎蔵界曼荼羅はなかった。中央に大日如来を中心とする如来グループ、その向かって右に金剛波羅蜜多菩薩を中心とする菩薩グループ。密教仏ばかりが並ぶ中、一体だけ釈迦系の阿弥陀如来がいかにもアウェーという雰囲気で居心地悪そうに座している。そして向かって左には不動明王を中心とする明王グループが陣取る。四方をヒンドゥから転じた持国天、増長天らが、両脇を梵天、帝釈天が固める。(ちなみに帝釈天の「本名」はSakra Devanam Indrah であり、なぜ寅さんの妹がサクラなのかもこれで分かる。)これらの三つのグループの中で異彩を放つのは菩薩グループだ。見た事もない奇妙で意味深長な印相を結ぶ金剛宝菩薩、そして何と言っても、左肘をグイと張るポーズで妖しくも艶やかなオーラを放つ金剛波羅蜜多菩薩。そう言えば波羅蜜は梵語で女性名詞だ、と気がついた途端、謎が解けた!と思った。

金剛波羅蜜多菩薩が放つ妖艶なオーラこそ密教の奥義なのだ。ヒンドゥの興隆によって衰退の危機に瀕したインド仏教は多くのヒンドゥ神を取り込んで再興を図ったが、その真の狙いは男女の交わりを至高の歓びとして肯定するヒンドゥを仏教に取り込むことだったのだ。そうであればたしかに真言密教は教典だけで伝えることは出来ない。唐で恵果に出会ってその事を知った空海は、この性愛を賛美する新興宗教に朝廷は飛びつくに違いないと直感し、わずか二ヶ月で恵果から真言密教を引き継いで、20年の留学予定を2年で切り上げて急ぎ帰国したのだ。空海の直感は見事に的中し、朝廷は真言密教ブームに沸いたが、最澄は真言密教を継承したと主張する空海のこうした行動に疑念を抱き、性愛の賛美が一体教典のどこに記されているのか、その根拠を糺さんとして密教教典の閲覧を空海に要求したのであって、決して空海に屈したわけではなかったのだろう。そういう事なんですね、と大日如来を見上げると、その目許がかすかに弛んだような気がした。

参照: http://www.touji-ennichi.com/info/koudo_j1.htm

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2008年4月30日 (水)

Sophie Milmanと桑田佳祐

 初めてSophie Milmanの歌声と出会ったのは、JR東海が東海道新幹線の車内で乗客に提供している音楽番組であった。ジャズを純粋なジャズとして、またシャンソンを純粋なシャンソンとして、それぞれ情感豊かに歌い上げるこの女性歌手はいったい何者なのか。名前に一つのヒントがあった。Sophieとはエカチェリーナ2(ロマノフ朝の第8代ロシア皇帝。在位17621796年)の娘時代の洗礼名であり、ロシア人にとっては馴染み深いものである。またMilmanと言えば代表的なユダヤ・ファミリーの一つだ。ロシアとユダヤ、英語とフランス語。多国籍性というより無国籍性を感じた。 

アルバムを買って、ライナー・ノーツを読んで分かった。やはりロシア人とユダヤ人の血を共に受継いでいたのだ。Sophie Milmanはロシアに生まれ、7歳でイスラエルに移住。英語圏で育ち、ジャズに親しんだ。16歳でカナダに移住し、カナダ人としてフランス語圏で暮らすことになった。ロシア語、英語、フランス語を共に母国語としているカナダ人の歌手だったのである。アルバムを買ってはじめて美貌の持ち主であることも知った。

かつて桑田佳祐は、初めての中国公演のステージでストレスのあまり倒れたことがある。観客が全員席に就いたまま、曲が終わると粛々と拍手をするばかりで、いくら桑田が煽っても乗らなかったのである。桑田は記者会見で「世界は一つ、音楽に国境はない、と思っていたが嘘だった」と嘆いた。それはたしかに一つの真実だろう。だがSophie Milmanは音楽における国籍や出自、さらにジャンルの違いまでも、Sophie Milmanという一人の個性の中に見事に埋めこんで見せたのである。

参考: http://www.linusentertainment.com/sophiemilman2006/

          http://www.bluenote.co.jp/jp/original/report/20080612-id000412.html

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2008年3月12日 (水)

洞爺湖サミットへのプレリュード

4ヵ月後に迫った洞爺湖サミットの二大テーマである地球温暖化と国際金融についてそれぞれ別のフォーラムが今週開催され、両方に参加する機会を得た。個々の内容についてのコメントは差し控えるが、それぞれのフォーラムのアプローチは実に対照的であった。

温暖化フォーラムはサミットに向けた格好の論点整理となった。官・民・学の代表がそれぞれのポジションをきわめて具体的に提示したため対立軸が鮮明に浮かび上がり、特にCO2排出権の Cap & Tradeの枠組みを巡ってフロアを含めた緊張感に溢れる議論が展開された。

一方国際金融フォーラムではサブプライム問題を端緒とする世界経済の諸問題が幅広く提起されたが、5名の登壇者は特定のセクターのインタレストを代表しているわけではなく、またそのうち論証付きの仮説を提示したのは1名だけに止まり、あとの4名は論証が伴わない知的世間話の域を出なかった。私個人的には懐かしい home languageであったが、9年間アウェイで試合をして来た目からは隙ばかりが目立ち、司会者の懸命な努力にもかかわらず論点・対立軸が不明確なまま終ってしまったのは誠に残念であった。

ただもっと残念だったのは、それぞれ洞爺湖サミットの二大テーマの一方を扱ったどちらのフォーラムでも、もう一方のテーマを視野に入れた議論がほとんど出なかった事だ。この二つのテーマは相互に密接に関連しているだけに、どちらも物足りなさが残る結果に終わった。

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2008年2月 9日 (土)

経済発展と民主政体

1月27日、スハルトが86歳で死去した。私がSovereign Debtリスケの為、千野ミッションの一員として訪尼してから丁度10年目であった。スハルトの功罪についてさまざまな議論があるのは当然だが、ポスト・スハルトのインドネシアでは「民主化」が進む一方で経済発展が停滞している。なぜなのだろうか。

ぺティ=クラークの法則によると、経済社会・産業社会の発展につれて就業人口および国民所得は第一次産業から第二次産業、第三次産業へとシフトして行く。これに雁行形態論(赤松要・小島清)を重ね合わせると、産業構造の変化に応じた政治体制にも法則性がある事がわかる。典型的な途上国の経済発展の第一段階は外国資本・技術の導入による資源開発だ。資源輸出による外貨蓄積が進み、経済政策の裁量余地が拡大する(=中東、ロシア、ブラジルなど)。第二段階がやはり外国資本・技術を活用した輸入代替産業、次いで輸出産業の育成であり、インフラ整備による製造業の誘致・育成を通じて一層の外貨蓄積と雇用機会・所得の増加が図られる(アセアン上位国や中国)。ここまでの段階では極端に経済開発に傾斜した国家資源の配分を行う必要があるから、強力な政治的リーダーシップが求められる。経済が一段と成熟して、資本輸出により所得収支(利子・配当など)が恒常的に黒字化する第三段階に入ると、ようやく民主政体がジャスティファイされる環境が整う(欧州上位国、日本)。さらに経済が成熟から衰退に向かう最終段階では、国民経済自体がそれまでの国富の蓄積に依存する「年金生活」に入る。貯蓄率がマイナスとなって経常収支赤字が累積し、自国通貨が流出して資本収支を通じて還流するから所得収支の赤字が拡大する。かつてのローマ帝国やサッチャー政権直前の英国、現在のアメリカ、そしておそらく将来の日本の姿だ。この段階の典型的な政体が、日本が今まさに向かいつつある均質的な二大政党体制である。

さて、こうした経済発展のパターンに乗るためには第一・第二段階における傾斜的資源配分を力ずくで行う必要があるため、強力な政治的リーダーシップが必要だ。リークァンユー、マハティール、マルコス、鄧小平らである。スハルトも然りだ。逆にトップのポストが数年で持ち回りとなるベトナムは経済発展が停滞している。民主政体は経済構造が第三段階に入るまでは経済合理性を欠くため、単純な理想論や正義感から無理やり導入すると形骸化したり機能不全に陥ったりする。冒頭の問題提起に戻ると、ポスト・スハルトのインドネシアが真に必要としたのは民主政体ではなく、実は「スハルトの次の独裁者」だったのである。

【参考文献】梅﨑創編『発展途上国のマクロ経済分析序説』 調査研究報告書 第三章(アジア経済研究所、2006 年)

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2008年2月 8日 (金)

平田篤胤の呪縛

幕藩体制が揺らぎ始めた江戸時代中期以降、幕府は百姓・町人の不満を逸らすため、士農工商の枠外に置かれた賤民階級の分断・抑圧を強化した。神道思想のイデオローグ平田篤胤 (1776-1843)も「能く思へば夫も即神の御心で、かの旃陀羅を御悪ひ遊ばす」(『神敵二宗論』)として「旃陀羅」を排撃した。現代の日本人はいまだにこの呪縛から逃れられず、弱者に対する執拗なリンチを続けている。

こうした攻撃性は、かつての軍隊や一部体育会系部活における弱者へのリンチ、交通機関の職員に対する過激な暴言・暴力、教育現場にまで広がったクレーマーなどに見られ、またノンキャリほど顕著であるから、日本人のアタマではなく深層意識の中に深く根付いたものである事が分かる。最近では悪意のない失言をしたにすぎないアーティストに対する徹底的バッシング、相撲部屋におけるリンチ殺人、後を絶たないいじめ自殺なども同じルーツから発生している。このような弱者排撃は、どれも日本以外ではまず考えられないことばかりだ。身体障害者の歩行介助をしているとよく分かるが、エレベーターのドアを開けて待っていてくれるのはほとんどがアジア人なのだ。

日本人が未だに平田篤胤の呪縛から逃れられないのは不幸なことだが、もっと不幸なのは、クレーマーたち自身が江戸時代と同じように矛盾と不満を逸らすために権力から利用されていることに気がついていない事なのである。そして円が世界中の通貨に対して単独安を続ける背景には、こうした日本人の行動に対する世界中の投資家の強い違和感があるのではないかと感じる。円の長期ポジションは、やはりショート堅持が正解のようだ。

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2008年1月24日 (木)

加齢の心理学

(1)人間の活動領域を丸い円(=外円)で表すと、活動的な人は大きな円、そうでない人は小さな円となる。

                                                               

(2)交友(男女関係を含む)とは円と円が重なること。大きい円と小さい円が重なると、大きい円の人にとっては自分の世界のほんの一部であっても、小さい円の人にとっては大きな比率、場合によっては全世界になる。

 

(3)さらにその内側にもう一つ円(=内円)があり、その人の私的領域や妥協できない価値観を表す。つまり人間の人格は二重丸の形になっている。内円のサイズも人それぞれだが、一般に東洋人は大きくて外円に近く、欧米人は小さいと言われている。

(4)内円が大きい人(例えば東洋人)同士は、ちょっと他人と活動領域を共有するだけで内円同士が重なり合うことに慣れており、それを期待している。一方内円が小さい人(例えば欧米人)同士は、相互にかなり多くの活動領域を共有しても内円同士は重ならない、と思っている。もちろん同じ年代の日本人であっても、内円が大きい人も小さい人もいる。

(5)内円が大きい人と小さい人との交友においては、相互の活動領域を相当程度共有しても内円が重なるとは限らず、この事が両者の間に違和感を生む。つまり内円の大きい人は「こんなに親しくしているのだから内円どうしが重なるはずなのに、何か水クサイ」と感じて相手との距離を詰めようとする。逆に内円の小さい人は、いくら活動領域が重なり合っていても、内円同士が接触することをウザッタイと感じている。

(6)さらに、加齢により外円(=活動領域)は小さくなるが内円のサイズは変わらない。このため内円同士が接触しやすくなり、一層違和感が生じやすくなって、交友が長い人同士であっても次第に相手をKYと感じるようになる。極端な場合は晩年になって長年の交友関係に終止符が打たれる結果に繋がる。

(7)こうした事を防ぐ為には、自分の外円・内円のサイズを十分自覚し、他人のサイズも十分認識して距離のバランスを取る事が有用。若い頃よりも相手との間に距離を置くようにすることが、友好関係を永続きさせる秘訣である。 

【参考文献】S.フロイト「精神分析入門」全巻

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2007年10月24日 (水)

マリオン・ジョーンズとビジネス論

(ヨーロッパビジネス論(月曜・3限)の参考資料です。) 

                              

                                                                              

 これまでドーピングを強く否定してきたマリオン・ジョーンズが過去の薬物使用を認めた。ドーピングを否定した自らの2003年連邦大陪審での証言についても偽証を認め、10月4日ニューヨーク州ホワイトプレーンズの連邦地裁前で涙を流しながら次のように語った。

"It is with a great amount of shame that I stand before you and tell you that I have betrayed your trust・・・I have let them down, I have let my country down and I have let myself down." (New York Times, 下線は筆者)

注目したいのは下線部分だ。マリオン・ジョーンズに対する過去のドーピング検査において明確な「クロ」判定は出ていないにもかかわらず、自分からドーピングを告白したマリオンの行為は、キリスト教徒固有の告解(Confession)に準ずるものである。

告解(Confession)とは、キリスト教徒が洗礼後に犯した罪を聖職者に告白する事を通じてその罪における神からの赦しと和解を得る信仰儀礼だ。罪を犯したことを他人は誰も知らなくても、自分と神はそれを知っている。マリオンは自分自身と神を偽り続けること自体に耐えられなくなったのだ。誰も見ていなくても神は見ている・・・これがキリスト教徒、特にプロテスタントが共有している価値観である。ミートホープや赤福の社長も罪を隠蔽していた点はマリオンと共通だが、内部告発によって事実が明るみに出なければ、いつまでも自分自身を偽り続けることはできた筈だ。事実、ミートホープや赤福の会見では「世間を騒がせた」「消費者に迷惑をかけた」「長年の社歴・伝統に傷をつけた」など、外部に対する謝罪はあったが、自分自身を偽った事に対する自省の言葉はなかった。我々非キリスト教徒がキリスト教圏においてビジネスを行う場合、こうした Business Ethic の違いを十分認識しておかないと不測の不利益を受けることがある。(関連の具体的ケースは授業で扱う。)

言うまでもなく歴史学や宗教学、文化人類学、心理学などはビジネスのための学問ではないが、ビジネスの側から見るとこれらを深く学ぶことはビジネスの目的にとってきわめて有用なのだ。現実のビジネスは極めて多くの変数によって規定されているから、学際的なアプローチが必須である。ただいわゆる「ビジネス論」が陥りやすい落し穴は、断片的な事実の単なる列挙や検証が不十分な「後講釈」に終始してしまう危険性だ。多様な現実を扱うビジネス論であればこそソリッドな座標軸を持つ必要があることを、学生諸君は十分認識してほしいと考えている。

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2007年9月21日 (金)

10月からの郵政民営化で何が変わるか

学生諸君の参考に、以下まとめてみました。

200710月から何が変わるのか】

・「民営化」ではなく、「民営化のスタート」のはじまり。民営化完了は10年後。

10月から現在の郵政公社が五つに分れる。

   日本郵政株式会社(持株会社)

   郵便事業株式会社(郵便の配達や切手、葉書の販売など)

   株式会社ゆうちょ銀行(貯金)

   株式会社かんぽ生命保険(保険)

   郵便局株式会社(郵便局。窓口でこれまで通り郵便、貯金、保険を扱う。)

101日になっても現在の郵便局が扱うサービスの内容はほとんど変わらない。

【民営化される現在の郵政公社はどんな会社?】

・全額政府出資の巨大企業。

20073月期決算(連結)では、郵政公社のサイズ(総資産)は350兆。

 (日本の名目GDP500兆円弱)

・その資金の使い方別では、有価証券が250兆(70%強)。そのうち200兆以上が国債。

・資金の集め方別では、350兆のうち200兆が郵便貯金と簡易保険。

・つまり簡単に言うと、貯金と簡保で200兆円を集めて、そっくり国債を買っている。

【そもそも民営化の狙いは?】

「民間に出来ることは民間で」という構造改革の発想。政府の基本方針(閣議決定)は

(1)市場における経営の自由度の拡大を通じて良質・多様なサービスを安い料金で。

(2)郵政公社に対する「見えない国民負担」を削り、資源を国民経済的な観点から活用。
(3)
公的部門に流れていた資金を民間部門に。国民の貯蓄を経済の活性化につなげる。

【本当にそうなるのか?】

まだわからない。今後の民営化のスケジュールは、

・現在は政府が100%株主だが、持ち株会社・ゆうちょ銀行・かんぽ生命が2010年度の上場を目指す。

・それ以外の具体的なサービス内容の変更はまだこれからの話。住宅ローンの地方銀行との提携などを模索しているが、あまり進んでいない。今後10年間で固める。

【ユーザーとしては今後何に注意するべき?】

10月からはとりあえず貯金の非課税限度や簡保の窓口での入院費などの「即時払い」の見直し、委任状つきでの国債購入が一部の郵便局ではできなくなる、など。いずれもお年寄りや病人、身体障害者に影響が出ることに注意。

・それ以外の点では、まだこれから決める部分がほとんどなので、ユーザーも具体的な不満や希望をどんどん発言してゆくことが大切。具体的に法令が出るときには官庁のHPで意見を募集するので、だれでも意見を述べることができる。

【郵政民営化の今後の枠組み作りの上での問題点は?】

・貯金・保険の商品多角化を進め、利益優先で運営すると、社会的弱者やデジタル機器に弱い高齢者の切捨てにならないか?今は貯金も保険も限度1000万円で、手続きも簡単。リスクを限定して利便性を優先しているわけで、一概に非効率な制度とは言えない。

・銀行なら企業への融資を通じて産業に貢献するのが当然だが、今は有価証券ばかり買っている。無理やり郵貯資金を国債や地方債、財投機関債の購入から開放すると、審査能力不足のまま貸付残高目標を追求する結果、新銀行東京のように不良債権の山を築くだけでなく、政府の財政コストも急上昇するのではないか?

・資金の流用や横領が目立つ社会保険庁よりも、そうした問題がほとんど聞かれない郵政公社を先に民営化するのは順番が逆ではないか?また勤労者のための労働金庫、農業者のためのJAはそのままで、一般国民、特に格差社会で出遅れた人たちが安心して利用できる金融機関をなくしていいのか?

・「民間に出来ることは民間で」は良いが、民間でやるには適していないことまで民営化してはいけない。そこを良くわきまえて進めるべき。

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2007年7月29日 (日)

デマレッジとレジ袋、そしてインフレ・ターゲティング論

もともとデマレッジDemurrage、滞船料)とは、用船契約において用船者(荷主)と船主との間で一定停泊期間に貨物の揚積みを行うことを取り決めたが、荷役がその期間に終了しない場合、超過期間について用船者が船主に対して支払わなければならない滞船損害賠償金のこと(日本船主協会 海運用語集)。これが私的通貨の流通を促す仕組みという意味でも使われる契機となったのは、1930年代前半、世界恐慌に見舞われたアメリカとヨーロッパで企業や自治体によってさかんに発行された私的通貨であった。これらの私的通貨はいずれも発行体の歳入不足を補うための非兌換券であり、流通性の根拠たる信用力を欠いていたところから、その流通を促進するため、一定期間のうちに使用しないと通貨価値が減価してしまう仕組みが組み込まれていた。例えばある私的通貨の保有者は、毎月末に通貨額面の2%に相当する印紙を発行体から購入して通貨の裏面に貼り付けない限り、その通貨は翌月以降無効とされたのである。受取った私的通貨を一刻も早く使ってしまわないとペナルティーがかかるのだ。この仕組みが海運用語からの類推でデマレッジと呼ばれるようになった。こうした、流通の根拠を「使わないと罰を受ける仕組み」に依存した私的通貨には持続性(sustainability)がある筈はなく、その後私的通貨の発行は影を潜めたが、1980年代初頭、アメリカにおいてタイムダラーが登場して以来再び盛んになった。

タイムダラーは現在エコマネー、地域通貨、電子マネーなどと呼ばれている私的通貨の原型である。こうした現代の私的通貨の狙いはボランティア活動の後押しや地域振興・コミュニティ・メンバー間の互恵的経済便益の促進(タイムダラー、レッツ、イサカアワーズなど)から純粋な商業的目的(Suica,Edy,Nanacoなど)までさまざまであるが、ほとんどの場合何らかの形で「使えば使うほどメリットが出る」という形の、いわば「プラスのデマレッジ」が組み込まれている。1930年代の「マイナスのデマレッジ」とは逆に、「プラスのデマレッジ」は私的通貨に持続性を付加するが、一方で、使用者にプラスのメリットを与える以上、そのコストを誰がいかなる形で負担するのかが明示され、合意されていないとフェアな仕組みとは言えない。例えば自治体が負担するなら、その財源は地方税であるから住民が負担している事になるのだ。

ところで、最近スーパーマーケット等の小売業におけるレジ袋削減が一つの流れになっており、私の家の近所でも二つのスーパーマーケットがそれぞれ対照的なやり方でレジ袋削減を進めている。Sでは再利用可能な買い物袋を20円で販売しており、店長がレジに並ぶ客一人ひとりに「レジ袋削減にご協力をお願いします!」と呼びかけてプレッシャーをかけている。レジでは、客が買い物袋を持っていようといまいと「レジ袋要りますか?」と店員が詰問調で問い質す。「マイナスのデマレッジ」を使っているのだ。一方Mではポイント制を採用していて、自店の買い物袋も売ってはいるが、とにかく自前の買い物袋を持参すればポイントを上乗せする。持参しなければポイントの上乗せはなく、レジ袋を黙って渡される。「プラスのデマレッジ」を使っているのだ。どちらに永続性があるのか、考えるまでもない。

尚、「マイナスのデマレッジ」の概念は経済政策として愚策の最たるものであるインフレ・ターゲティング論の根拠となっている。だが1930年代に既に証明された通り、早く使わないと通貨が減価してしまう仕組みには、副作用の危険こそあれ持続的消費促進効果はなく、インフレ・ターゲティング論は一時的経済指標の改善を偽装する国家レベルの粉飾決算でしかない。経済政策というよりも政治的プロパガンダなのだ。

(本稿の参考文献は静岡産業大学経営研究所「環境と経営」第8巻第2号の26-27頁に掲載)

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2007年6月20日 (水)

環境ビジネスのキーワード:LOHAS

 6月は国際的なカンファランスに参加する機会が2回あった。一つはハイリゲンダム・サミットのシェルパを務めた河野外務審議官の報告会。もう一つはOECDが東京で開催したグローバル・バリュー・チェーンにおけるSMEsの役割に関するフォーラムである。そしてこの相互に全く独立した二つのカンファランスが発信した共通のキー・ワードがロハスであった。

 

 河野ラウンド・テーブルでは質疑を含めて一時間半にわたり、舞台裏を含めたハイリゲンダム・サミットのエッセンスが紹介され、地球環境問題が今後数年間の国際社会の最優先アジェンダであること、来年の洞爺湖サミットでもメイン・テーマとなることが明らかにされた。さらに地球環境問題の今後の展開の一つのマテリアルなパースペクティブが民間ビジネスとのリンケージであり、グローバルな消費者の嗜好の変化を鋭く捉えたビジネス・モデルとしてトヨタのエコ・カーの商業的成功が紹介された。一時間半のこのセッションにおいて、何と拉致のラの字も出なかったのである。

 一方OECDフォーラムは、OECDが膨大な時間と費用をかけて実施した、新しいビジネス・モデルとしてのグローバル化するSMEsに関する調査の総括であった。SMEに関する多くの事例研究が発表されたが、ここでもグローバルなトレンドは消費者のエコロジー・コンシャスなライフ・スタイルへの嗜好の高まりであり、かかるマクロ・トレンドをふまえた上で各国ごとのローカル・バージョンを設計し、商品化するSMEのロハス・ビジネスの事例が数多く紹介された。「グローカル」は自分の造語だと主張する向きが急増しているが、その中身は「ロハス」である。スポーツ、健康、エコロジー、ロハス・ビジネス。これらは、これからの時代のベクトルを形成する共通のキー・ワードなのだ。

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2006年10月14日 (土)

コーランの経済合理性

 経済合理性(Economic Viability)を欠いたものは持続可能(Sustainable) ではない。ほとんどの宗教上のタブーや規範はそれぞれの教典に由来するが、一方で実は経済合理性にも裏付けられていることが多いのだ。例えばヒンドゥー教徒は牛を聖なる動物として大切にし、食用にしないが、牛は食肉にするよりもミルクから乳製品を作ったり農耕に使う方がはるかに生産性が高いことが知られている。では、ユニークな規範が多いイスラム教の教典であるコーランには経済合理性があるのだろうか。

1.断食

 イスラム教徒は毎年約1ヶ月間にわたって、日の出から日没までの間一切何も口にしない断食を行う。だが日没後一人で食事をとる人はほとんどおらず、毎日親族が一堂に会して大人数で盛大な会食が行われるのが常だ。そして断食月明けは、盆と正月が一緒に来たような盛り上りの中で連日大宴会となる。断食月以外でも、毎週金曜日はアッラーに祈りを捧げる大切な日であり、その前日である木曜日の夜には親族が一堂に集う大会食が行われる。断食月は、一族が一堂に会しての盛大な会食の機会を提供しているのだ。そしてこうした大会食の費用は、一族の中で最も成功した裕福な者が負担している。「金持ちのおじさんのおごり」なのだ。断食は豊かな者がそうでない者に施しを行う所得再分配の仕組みなのである。

2.一夫多妻制
 
 イスラム教徒の男性は4人まで妻を娶ることが許されている。これもまた、豊かな者がそうでない者の生活の面倒を見るという、所得再分配の仕組みなのだ。もちろん所得再分配は財政の機能であるが、イスラム教が生活資源の乏しい砂漠の民の信仰としてスタートしたという事実を忘れてはいけない。砂漠の民の生活には財政は十分機能せず、それに代る所得再分配の仕組みが必要であった。コーランがその役割を果したのである。

3.豚と犬の禁忌
 
 イスラム教徒は豚を穢れたものとして口にしない。同じ食物に関するタブーでも、ヒンドゥー教徒が牛を聖なる動物として大切にするのに対し、イスラム教徒は豚を忌避するのだ。そしてこの事の背後にも砂漠の民の生活の経済合理性が存在する。豚は、そして同じくイスラム教徒が忌避する犬も、家畜として養うためには残飯が必要だが、砂漠を移動する生活には残飯を残す余裕はない。草原では牛も羊も鶏も、放し飼いにしておけば自分で餌を採って勝手に育つが、砂漠ではそういう訳には行かないのだ。

 コーランは、実はかなりの経済合理性を包含しているのである。

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2006年7月22日 (土)

ヘッジファンドの次のターゲットはスポーツクラブ

 1ヶ月もブログの更新をさぼっていたが、その割にアクセス数がちっとも落ちなかったのは、多分学生が期末レポート作成のためにかける検索がさかんにヒットするからだ。学期末にはいつもこの現象が起る。ヒットするキーワードを見るとポートフォリオ系・金融工学系と並んで西洋史・宗教史系も多い。更新をさぼっている間にもポートは結構動かしていて、エクイティからシフトした円投の豪ドル債などは為替だけで1週間で3円もプラスだ。長期債を金利差で買っているので、ここは為替だけ先物でショートにしてみようかと考えているところだ。

 ところで最近ブルームバーグが配信した記事で気になったものがある。日付は失念したが、ヘッジファンドの次のターゲットはスポーツクラブだという趣旨であった。たしかに昨年マルコム・グレーザーがマンチェスター・ユナイテッドの買収資金を調達した際、グレイザーがデフォルトした時は米ヘッジファンド3社がマンUの株主になるというバック・アップ契約を締結していたし、ドイツで唯一上場しているサッカーチーム、ボルシア・ドルトムントの株式11%をアブソルート・キャピタル・マネジメント・ホールディングスのCIOフロリアン・ホムが買った。最近では英ニューキャッスル・ユナイテッドの28.8%を保有する大株主に対して米ポリゴン・インベストメントが買収を打診した模様。サッカーだけでなく、A1グランプリは年内の新規株式公開(IPO)を計画しているが、同株式の32%はロンドンのRABキャピタルが率いる投資家連合が保有しているという。   
 
 ところがブルームバーグによるとスポーツクラブは航空、ファッション、映画業界と並んで世の中で利益の上がらない代表的な業種であり、ヘッジファンドのスポーツクラブへの投資は、エクイティをスクイズしてキャッシュが厚くなり、高配当維持圧力が高まる中での苦し紛れのポートではないか、というのだ。日本でも村上ファンドが配当圧力に耐えかねて阪神球団にまで手を出して失敗し、楽天もイーグルス売却のタイミングをはかっている様子だ。スポーツクラブの経営は最近の学生が好んで取り上げたがるテーマだが、ポートの対象としてのスポーツクラブはまだ始まったばかりで、これから相当の時日と紆余曲折を経てクレジット・データが蓄積されて行くのであり、当面の間は素人が手を出すと怪我をするハイリスク・マーケットなのだということを十分理解しておきたいものである。

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