2010年2月12日 (金)

ギリシアの財政危機とユーロのポートフォリオ

キリスト教美術に関する12週連続の講演会を聞きに行っている。もちろん講師陣は全員錚々たる美術の専門家ばかりだが、この種の講演会で楽しいのは、美術とそれを育んだ時代の経済・社会構造との関わりについて新しい発見が出来る事だ。唯物史観を持ち出すほどの事ではないが、今週の講演会でロマネスクとゴシックが建築様式として峻別認識されたのはルネッサンス期であり、ゴシックは粗野なものを表す形容詞で、その語源はゴート族である、と知って目から鱗がまた一枚落ちた。ルネッサンスは単純な古代への回帰ではなく、ラテン族の末裔としてのイタリア人が、ゴート(=ゲルマン)族の価値体系や文化を拒否したという事だったのである。

民族や国民国家が自らのアイデンティティを必要とする時、「古き良き時代」の価値体系へ回帰が生じる。ルネッサンス以外にもこうした事例は多い。例えば宗教改革の本質は、ドイツ(=神聖ローマ帝国、ゲルマン族)の、カトリック教会と表裏一体であったフランスに対する反攻であった。さらに、プロテスタントが実はアリウス派の復権だったのではないか、という事が多くの研究者によって示唆されている。(この点について筆者は、文化人類学からの論考が必須だと考えている。)わが国でも、徳川幕藩体制を転覆した明治政府は新たな自前のアイデンティティ(=旗印)を必要としたため、廃仏毀釈を行なって神道を国家統合のイデオロギーとした。やはり「古き良き時代」の価値体系へ回帰したのである。

さて、ギリシアの財政危機がユーロロングの取り崩しを招き、世界同時株安の一因にもなっている。この事が一時的な欧州経済の停滞を招く可能性はあり、ユーロ自体も、多くの主権国家をカバーし続ける統一通貨としては限界が見えて来た。現実的なユーロの姿は、最終的にはユーロ・ファウンダー6ヶ国+英国をコアとして、外縁諸国がそれぞれの幅でユーロペグを運用する形になるのだろう。だがこの事が長期的なEU統合・拡大を阻害するとは思えない。なぜならEUの統合・拡大の本質は、世界最大の正教国であるロシアをも包含する大キリスト教世界への回帰であり、長期的には揺るぎのない歴史的潮流であるからだ。

翻ってわが国の民主党政権では、攘夷論(=米軍基地排斥)と開国論(=外国人参政権付与推進)が整合性のないままに同居し、経済政策では新古典派とケインジアンが与党内ポリティックスによって使い分けられている。首尾一貫した価値体系を持たない政権が国際資本市場で信認を得る事は難しい為、長期ポートフォリオは円投・ユーロロングが正解であろうと考えている。

参考:過去ログ「欧州とユーロ」

http://professor-snape.txt-nifty.com/investors_eye/cat4427643/index.html

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2010年1月 4日 (月)

2010年は「意図せざる国際化」元年

昨年8月のブログ「総選挙後のポートフォリオ」で予想した「意図せざる小さな政府」が、不幸にも2010年度当初予算案で早くも実現してしまった。

http://professor-snape.txt-nifty.com/investors_eye/2009/08/post-66b3.html

2010年は日本が財政のプライマリーバランス均衡へのロードマップを半永久に放棄し、その帰結として「意図せざる国際化」が始まった年として記憶される事になるだろう。以下その理由を概説する。

昨年12月25日に発表された2010年度一般会計歳入歳出概算によると、予算規模は92兆円。民主党政権発足後100日で早くも揮発油税暫定税率撤廃のマニフェストを放棄し、公債金(国債発行額)を44兆円に抑えこんでなお、プライマリーバランスはマイナス24兆円だ。だが問題はその先にある。歳入・歳出どちらの面でもプライマリーバランス均衡化の目処が全く立たないのだ。

まず歳出面では、流行語にまでなった事業仕分でさえ、多目に見積もっても歳出予算の2%程度しか削減できず、来年度以降は公共事業を含めてもう削れる項目がないどころか、歳出項目は増加要因ばかりなのだ。最大の歳出項目である社会保障費については説明を要しない。人口構成の老齢化は経済政策ではどうにもならないのだ。さらに「対等な日米関係」を標榜して在日米軍基地縮小を進める以上は自前の安全保障体制にシフトする必要があるから、防衛費の膨張が避けられない。ただこうした財政の硬直化は目新しいものではなく、一般会計の歳出規模は2001年以降大きくは変わっていない。2001年以降大きく変動して来たのは歳入サイド(税収)であり。これがプライマリーバランス悪化の主因なのだ。歳入サイドに改善の目処はあるのだろうか。

税収のうち法人税は、景気循環による一時的なアップダウンは別として、次のような構造的要因から長期的に増加が見込めなくなった。即ち、近い将来CO2排出枠のキャップ・アンド・トレードと環境税の導入が避けられず、また登録型派遣が禁止される見通しとなった事で、製造業の生産拠点の海外移転が加速する。そうなると経済合理性で動く企業部門が今後中国バブルの恩恵を享受する可能性は大きいが、それは国内の雇用にも税収にもつながらない。さらに大手企業の間でも、国内税制の行方次第では、EU企業のように本社機能も含めた思い切った多国籍化に踏み切る流れが止まらなくなる。いずれにしても、30兆円を超えているGDPの海外流出が名目GDPの10%を越えるのは時間の問題となろう。企業部門の「意図せざる国際化」(国外逃避)が起こるのだ。

家計部門はどうか。国内雇用が頭打ちとなる以上、所得税の増収は期待できない。さらに、相続税・固定資産税の増税が避けられないばかりでなく、仙谷行政刷新相が迂闊にも年末の読売テレビ番組で、高齢者を対象とする資産課税の導入に言及したのだ。そうなれば、今後日本でも個人資産の途上国型キャピタル・フライト(国外逃避)が止められない流れとなり、家計資産も「意図せざる国際化」に向かう。さらに、政治家にとってのトラウマである消費税引上げは依然としてタブー視されているが、仮に5%引き上げて10%にしたところで増収効果はせいぜい10兆程度にすぎず、プライマリーバランスの回復さえままならない。あとは税外収入であるが、有事におけるバッファーである埋蔵金は、一度手をつければなくなってしまうのが道理であり、2010年度は言わば生命保険を解約してキャッシュを何とか確保したわけであるが、もはや有事の備えはない。そうなると、財政の公債金(国債発行)依存度がますます高くならざるを得ないのは明らかだ。

それでも、これまでは家計部門の高貯蓄のおかげで何とか国債が消化出来た。だがそれにも限界が見えて来たのである。昨年9月末現在、政府負債残高の家計資産に対する比率が史上最高の66%まで上昇した。日経のコメントによると、このまま政府負債の膨張が止まらず、少子高齢化を背景に家計の貯蓄が減少に向かえば、2020年までに政府負債残高が家計資産を逆転する可能性がある、という。(2009年12月30日、Nikkei Net)これに個人資産のキャピタル・フライトが加わるとなれば、日本は数年のうちに外貨建国債の発行とその本格的な海外消化に追い込まれることになる。財政にも途上国型の「意図せざる国際化」が起こるのである。

オフショアに逃避した家計部門の資産が、これも国外に逃避した企業に、国外において循環する。国内の財政と企業のバランスシートは形骸化する。こうした典型的な途上国の資金循環パターンに日本も嵌り込む事になる。2010年は企業部門、家計部門、公的部門、さらに資金循環さえもが「意図せざる国際化」に追い込まれてゆくことが明確になる年。さらにそこからの出口はハイパーインフレしかないと観念する年。従って、2010年のポートフォリオ戦略は、とにかくキャッシュを厚く、流動性を重視しつつ、資産のキャピタル・フライトを本格的に準備して資産価値の保全を図る作業が基本になる、と考えている。

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2009年8月12日 (水)

総選挙後のポートフォリオ

 衆議院選挙の投票日までにまだ2週間以上あるので、今のうちに総選挙後の株価や為替相場に影響を及ぼすリスクファクターとポートフォリオについて考えておこう。姜尚中は1Q84のブレーク現象に関して、村上春樹特有の「考えさせる」物語の展開が、極めて浅い次元の思考に基づいて短絡的に判断し行動する現代日本のマジョリティーにとって極めて新鮮だったのではないか、という趣旨の興味深いコメントを行なっている。今回の総選挙の大きな特徴は、まさに姜尚中が言う、深く考える習慣がなくマニフェストも読まない層が初めて主役を演じ、人気投票感覚で選挙の結果を左右しようとしている点だ。この事が今後のポートフォリオ戦略に対して無視し得ない影響を及ぼす。

1930年代の世界恐慌以降における主要国の政治と経済の動向は、新古典派対ケインジアンという対立軸を視座に置くと分かりやすい。言うまでもなく米国や先発EU各国の二大政党は、一方が新古典派を、もう一方がケインジアンをはっきりと代表しており、それぞれの基本的立場・理念に基づいて選挙公約が作成されるが、日本では1969年の第32回総選挙で日本社会党が惨敗して以降、この対立軸がどちらも自民党内に(現在では民主党内にも)取り込まれて選挙民からは見えにくくなった。前回の衆議院選挙は、表面的には郵政事業の民営化をめぐって新古典派対ケインジアンという対立軸で争われたように見えるが、実態は選挙民のマジョリティーの投票行動が実質的に人気投票であることを見抜いたポピュリストたちの圧勝であった。郵政事業の民営化は精巧に作られたルアーだったのである。本来の意味の二大政党体制であれば、今回の総選挙は選挙民が前回の選択の結果を再評価し、今後の方向性についてのコンセンサスを意思表示する性格のものになる筈だ。だがそうなっていないのは、自民・民主いずれもがこうした両極端の争点を内部に抱えている矛盾をうまく説明できない事に加えて、民主党が前回の与党戦略からポピュリズムの要諦を学び、お株を奪うのに成功しつつあるからである。今回の両陣営のマニフェストは自民・民主どちらもポピュリズムのオンパレードであり、哲学とまでは言わないにしても基本的なアイデンティティ(誰をステークホルダーとして想定しているのか)さえ感じられないのはこのためだ。加えて宮崎県、大阪府などでは勘の良いポピュリスト首長がこの流れを巧みにとらえ、正面切って地域への利益誘導を主張し始めた。地方自治体においても新たな形での地域ポピュリズムが芽生えているのだ。

こうした中央・地方ともにポピュリズム競争を展開する中で行なわれる今回の総選挙の結果、自公・民主どちらがマジョリティーを制したとしても、日本が持続的経済機能不全状態に陥ることは免れまい。どちらの陣営も、持続的に政権与党であり続けようとすればするほど、財政の圧迫とコミットしたポピュリスト政策とのジレンマに陥るからだ。そこからの出口はハイパーインフレしかない事は別ログで論じた通りである。(200959日付「経済危機はもう終わったのか」を参照)これこそが総選挙後の政体における最大のリスクファクターだ。総選挙後の政体は、政策機能が脆弱であるという意味で、擬似新古典派型の「意図せざる小さな政府」になる。ハイパーインフレが避けられない日本経済と円に対する国際的・評価は、一時的・短期的なアップダウンはあっても、長期的にはベアリッシュなものとなるだろう。だとすると円も日本株も基本ポジションはショートが正解だ。「政界再編成」の名の下に単なるオポチュニストたちによる理念なき離合集散が起きたりすれば、ベア・シナリオが一段と加速しよう。なおナマ株については、民主党がスケープゴートにしようとしている銘柄の急落にくれぐれも要注意だ。

では、日経平均も円も上昇するシナリオはあり得るのだろうか。唯一の可能性は国際的に評価される政界再編が起こる事であるが、それには各政党の基本的な理念(アイデンティティ)と、他党との対立軸の明示が不可欠だ。現在の政治グループの中で、日本経済の将来設計について最も明確で対照的な青写真と理念を有するのは、その内容の当否は別として「自民・小泉派」と国民新党だ。この二つのグループを対立軸として、自民・民主両党の議員がそれぞれのステークホルダーの立場や自己の信条に基づいてどちらかに集結してゆく形の分かりやすい政界再編=新たな二大政党体制が出来上がれば、誰が誰の味方なのかがはっきり見えて来るから、避けて通れない利益誘導やポピュリズムともある程度折り合いをつけやすくなり、持続的かつ首尾一貫した政策機能、とりわけ最大のリスクファクターであるハイパーインフレの抑止に関する施策を実行できる機能を備えた政体の樹立が可能になるのではないか、と期待している次第である。

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2009年6月 1日 (月)

GM: Chapter 11が象徴するパラダイムの転換

 GMの連邦破産法11条(チャプター 11)申請は、経済体制及び民間ビジネスにおけるそれぞれのパラダイムの転換を象徴している。

経済体制:政経分離の意味が逆転した。これまでの政経分離は社会主義体制の国家(例えば中国)が経済に市場原理を導入する事を意味した。ポストGMでは資本主義体制の国家(例えば米国)が経済原理を社会主義化するという意味に変わる。圧倒的な競争力を背景に、市場原理主義を標榜してなりふり構わず世界中の市場を席巻しようとするのは、今や米国ではなく中国であり、財政資金を使って競争力の弱い国内産業を保護しようとするのは中国ではなく米国なのだ。もはや政経分離と言うよりも政経分裂と言うべきだろう。

民間ビジネス:トヨタの戦略車種に例えると、民間のビジネスモデルが「レクサス」型から「プリウス」型に変わった。新生クライスラーもGMも、もはやレクサス型車種で勝負することはない。街で見かけるプリウスの走る姿は颯爽としているが、レクサスは既に図体を持て余して息切れしているように見える。もちろんこのパラダイムの転換は自動車産業だけではなくあらゆる産業に共通している。

個人的には在米5年間、GMオールズモビル系統のΩ(オメガ)に乗っていた。米国では小型車に分類される車種だが、クラウンより少し大きかった。シボレー系統のヒット車種だったノヴァの上級モデルだが、新車の時からイグニッションの調子が悪く、いくら修理しても直らなかった。5年間主として通勤や買い物に使ったが、休暇を取ってNYからモントリオール、ケベックまで行ったこともあった。帰国間近になってようやくリコールがかかり、やっと直して中古市場で購入価格の4割で売って帰国した。GM車には郷愁があるが、そうした郷愁に拘っていては次世代のビジネス・パラダイムの構築は絶対にできないだろうと考えている。

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2009年5月30日 (土)

篠原尚之の本音

 「世界経済危機と東アジアの経済・金融協力」と題する国際シンポジウムが今日ホテルニューオータニで開催された。東アジア共通通貨創設へのロードマップ作りを模索せんとする、又これか、というマンネリ化した論題であったが、篠原尚之財務官の特別講演で、別の意味で極めて興味深いシンポジウムとなった。

研究者たちの発表に先立ってゲスト・スピーカーとして登壇した篠原尚之は、東アジアにおいて共通通貨をジャスティファイする条件が整っているとは誰も考えていない、ユーロでさえ本当に最適通貨圏なのか疑問が出ている、モノの話が先でカネはその後の話だ、と言い放ったのだ。これから発表する錚々たる研究者たちにいきなり冷水を浴びせたのである。ACUの母体であるADBの経験者とは思えない意外な発言であった。政治家も実務家もプレスもいない学者ばかりのシンポなので、リラックスして本音が出たのだろう。実際その後行なわれた研究発表は、モノ(実体経済)でなはなくカネ(金融)の議論ばかりで、ACUを持ち上げたりACUにリンクした管理フロートを提唱したりと、所詮協調介入の変形の話に終始したから、篠原の先制パンチの鮮やかさが一層際立った。 それにしても、この手の東アジア共通通貨構想は財務官僚が主導して学識者にジャスティフィケーションを作らせているのだとばかり思っていたので、いつからこんなに変わったのか、少なからず驚いた。又同時に、官僚には本質が見えているのだな、と安心させてくれたシンポジウムでもあった。

ホテルニューオータニには久しぶりに行ったが、相変わらず動線がめちゃくちゃで、会議場の使い勝手の悪さがちっとも変わっていないな、と思った。

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2009年5月 9日 (土)

経済危機はもう終わったのか

 ダウ欧州50が久しぶりに懐かしさすら覚える2000台を回復し、日米ともに株価が急反騰している。ドルもいったん100円台を回復し、その後大きく崩れる気配はない。経済危機はもう終わったのか。リーマンショック直後の2008919日、日経平均はまだ11,900円、ドル円は105円台であったが、榊原英資はBloombergの取材に対して、年末までに円相場は100円を突破、日経平均株価は1万円の大台を割り込み、経済危機は長期化すると予想した。この「予言」は早くもドル円で一ヶ月強、日経平均で3週間後に実現し、日・米の株価も企業収益も経済指標も底なしの下り坂を転がり落ちた。日本の連休中にドルも株価も多少回復したとは言え、まだリーマンショック直後の水準には程遠い。今後の方向はブル、ベアどちらなのだろうか。

正常な経済状況の下では市場は均衡回復的に変動する。価格が上昇(下落)すれば需要が減少(増加)し、価格が均衡水準まで下落(上昇)する。ところがパニックが起ると市場変動が均衡破壊的となり、価格が上昇(下落)すればするほど逆に需要(供給)が大きくなり、価格が上値(下値)のメドがつかないままにどこまでも上昇(下落)して行く。かつてオイルショックが狂乱物価をもたらした時の日用品や食料品の価格、リーマンショック後の株価などがその典型だ。こうした均衡破壊的市場変動をもたらすパニックは、損失の規模が予見できない為に起る。

損失の原因には損害の程度と確率を計数的に把握できる「リスク」と、把握できない「不確実性(Uncertainty)」がある。「リスク」とは例えば「今後何年間の間に何%の確率で起きる」と予見されていて、その影響が何度もシミュレーションされ、対策も進められている東海地震。「不確実性」とは例えば全く予知も対策も行われていなかった阪神淡路大震災だ。リスク管理の第一歩は「不確実性」を「リスク」に変えてゆくことなのである。「リスク」が支配する市場では予想損失の大きさと確率がσ(シグマ、標準偏差)を用いて計数的に把握され、管理されているから、価格が均衡回復的に変動する。一方「不確実性」が支配する市場では予想損失の見当がつかないから、価格が均衡破壊的に変動する。長い間CDSはσで潜在損失の程度を管理できる「リスク」であると考えられてきた。ところがリーマンショック後、この「リスク」がσ管理の限界を飛び出した「不確実性」に転化してしまい、均衡破壊的な株価の下落をもたらしたのである。今後の方向を見定める上で、「不確実性」が「リスク」に変わったのか、そして市場変動が不可逆的な均衡破壊型から「上がれば下がり下がれば上がる」という均衡回復型に変わったのかの見極めがキーポイントとなる。

そこで再び日本の連休期間中の出来事をチェックしてみると、クライスラーがチャプター11を申請したことでビッグ3の今後の「筋道」が見え、また米国金融機関のストレス・テスト(潜在損失査定)が終わり、こちらも資本増強の「筋道」が見えた事が大変重要ではないかと思われる。損失の性質が、限度の見えない「不確実性」からσ管理が可能な「リスク」に変化する兆候が見えたのだ。もちろん経済危機はまだ終わっていない。株価は今後も経済ファンダメンタルズの変化を反映して乱高下するだろう。しかしながら、市場変動自体が均衡回復型に戻ってゆくとすれば、今後の価格下落局面ではこれまでとは逆に「売り」ではなく「買い」が正解、ということになる。

市場価格の変動が均衡破壊型から均衡回復型に変わるとすると、残るリスクファクターは何か。それはハイパーインフレである。各国ともなりふり構わず財政支出を拡大する為、財政赤字の辻褄を合わせる方法はもはやハイパーインフレしかない。パイパーインフレが顕在化するとき、市場変動は再びパニッキーな均衡破壊型に戻るだろう。ハイパーインフレはいつか必ずやって来ると覚悟して長期のポートを組まなければならないのである。

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2008年12月23日 (火)

2009年のポートフォリオ

多くの読者の方々から「2009年のポート・シナリオを早く出せ」と催促されているので、クリスマスを機会に激動の2008年を締めくくり、2009年を展望してみた。2008年を象徴する漢字は「変」だそうだが、2009年のキーワードは「負」(Negative)ではないかと考えている。各国・地域がそれぞれ一過性・循環性ではない構造的なマイナス要因を抱えていて、こうした負のバランスの変化をどう見るかによって2009年のポート戦略が決まる。

米国は三つの構造的な「負」を抱えて2009年をスタートする。一つは米国家計の負の貯蓄率だ。言うまでもなくこれが2008年の金融危機の根本原因である。20年間続いた米国家計の過剰消費は日本・中国を中心とする世界中の輸出を吸収して来たが、ようやく正常化過程に入りつつある。米国の消費者は20年前までの「安くて良い物を購入して長く使う」という消費態度に戻りつつあり、激減した米国の輸入はもう元の水準を回復することはない。二番目の「負」は米国産業、特に自動車産業のマイナスの遺産(レガシーコスト)だ。ビッグ3のキャッシュフロー不足は退職者を含む自社従業員に対する巨額の医療費支出に起因しており、こうしたレガシーコストはセダン一台当たり10万円をはるかに超えると言われる。通常のリストラや技術革新ではどうにもならない資金流出なのだ。米国は市場主義の下で、本来国家財政の機能であるべきこの種の支出を産業界に丸投げして来たのである。ビッグ3の破綻は米国の過剰消費正常化の当然の帰結にすぎないが、それが “Too big to fail” であると言うなら米国が自ら市場主義の旗を降ろすしかない。そして米国の三番目の「負」はソブリン格付けのAAAからの転落である。民間に対する巨額の財政資金の投入だけでなく、ファニー・フレディ等の準ソブリンも財政負担を急増させるが、経済に急ブレーキがかかった中国や原油価格の急落でオイルバブルの絶頂から転落しつつある中東産油国は、米国国債の購入どころか2009年には売り手とならざるを得ない。そして米国のソブリンデットがAAAから転落すれば、世界中のポートがドルと米国財務省証券の売却に走る。

日本は二つの構造的な「負」を背負って2009年を迎える。一つは貿易収支の赤字転落だ。これは米国の過剰消費解消の当然の帰結であり、貿易黒字の縮小と、それに伴って輸出産業から日本全体に波及する雇用の減少は、もう元に戻らない不可逆反応なのだ。もう一つの「負」は経済政策の機能不全である。衆議院解散・総選挙の結果はいずれにしても二党伯仲となるため、どこが政権与党となっても長期的ビジョンに立脚した安定的経済政策は望めない。日本経済の国際的評価は一段の低下を免れないだろう。

欧州の構造的な「負」は一つ。ユーロ崩壊の可能性だ。かつて知己の経済学者から「ユーロ圏のシニョレッジってどうなっているのだろう」と聞かれたことがあるが、欧州が自らその答えを出す時が来た。いや市場が既に答えを出したと言ってよいかも知れない。2008年初まで、ユーロ先発国間のベンチマーク(10年物国債)の利回り格差は0.1%以内が常態であったが、2008年後半に急拡大した。クリスマス時点でイタリア4.3%、フランス3.4%、ドイツ2.9%。既に欧州統一通貨ユーロは破綻しているのだ。もちろん経済対策の結果としての財政赤字の膨張と財政格差の拡大がその原因である。2009年はユーロの財政規律ルールが公式に放棄される年になるだろうが、そうなると統一通貨ユーロの維持は難しくなる。イタリアがユーロを離脱することになれば、フランスも続かざるを得なくなり、欧州に激震が走る。

では2009年の市場はどう展開するのだろうか。各国・地域がそれぞれ一過性・循環性ではなく構造的なマイナスを抱えているわけであるが、「負」の数は米国が3、日本が2、ユーロ圏が1。従って通貨価値の優劣は「負」の数の少ない順にユーロ、円、ドルという順番になりそうだ。またクリスマス時点でのベンチマーク利回りは英国3.1%、米国2.2%、日本1.2%。一時ドルと逆転していたユーロが現在では上記の通り再びドルを大きく上回っており、この面からもユーロの優位は明らかだ。ただし円投長期外債はやはり銘柄を選別したい。ユーロ離脱候補のイタリアは避け、ブンズ中心に考えるべきだ。また各通貨とも短期の政策金利は低位で推移するだろうが、長期債は需給から売られる。2009年はイールドカーブがスティープ化する可能性が非常に高いことを前提に債券ポートを組みたい。

2008年のマイポートは、9月のクラッシュまでにオルタナティブ系とエクイティ絡みをスクイズし、一部を円のFixed Incomeに乗り換えたところ、幸い円債価格が予想以上に上昇した。クラッシュ以降は為替と価格の共分散が高い長期外債に絞り、デュレーションを睨みつつ債券価格と為替の動向を追って、結局これもキャッシュ化した。かつてない高水準のキャッシュを抱えての越年になりそうだが、2008年通年のポートの毀損をちょうど1%にとどめる事ができた。マイポートのモットーは「果報は寝て待て」だが、2008年はそうは行かなかった。2009年も多分そうは行かない年になりそうである。

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2008年11月16日 (日)

緊急金融サミットの評価

(新しい国際金融秩序に関するゼミのディスカッション資料)

11月14-15日に緊急金融サミット(G20)が開催されたが、国際資本市場の信頼回復への道筋はどの程度出来たのだろうか。

人体に例えると現在は出血が止まらない状態。とりあえず応急処置として痛み止めと輸血(=資金の供給)が必要で、これが各国の公的財政資金の投入やIMFの強化による新興国支援。こうした応急処置は合意できたが、肝心の抜本治療方針(=野放しの投機を規制して監視する新しい仕組み)が纏まらなかった。米・カナダ・日本は「体力は輸血で回復するから大手術は不要」、ヨーロッパは「大手術をして治しておかないとまた再発する」と主張。金融市場の監視体制改善の必要性自体は確認されたが、具体的な手段については「国内事情に鑑み適切と考えられる」方法で各国が実施すべきだとして、国際的な投機防止の仕組みの素案さえ示せなかった。

まず今回のサミットに臨んだ主要各国の立場を整理してみると、アメリカは従来からの市場万能主義を守ろうとして投機の規制強化に抵抗したが、政権の空白期であり、またアメリカ自身がリーマンを見捨てた一方で政府資金を使ってAIGを救済したり、自由競争の結果皮肉にも自国の自動車産業が政府支援要請に追い込まれたりと、市場万能主義を自分から放棄せざるを得なくなっている為、主張に迫力を欠いた。ただ貿易自由化(ドーハラウンドの再開)の合意はよく頑張って結果を出した。

フランスはサルコジ大統領がサミット開催を呼びかけるなど積極的な動きが目立った。第二次大戦後1971年まで続いたブレトンウッズ体制(1ドル=360円の固定相場制)を廃止に追い込んだのはフランスのドゴール大統領。サルコジ大統領も欧州代表を自負し、投機の監視を強化する新しい国際金融ルールを目指してロシアや新興国を巻き込む作戦だったが、新興国からの明確なサポートがなく、アメリカ陣営を攻め切れなかった。特に中国はこれまでとは逆に保護主義より自由主義が有利になりつつある為、中立を守った。

日本はどうか。新興国の参加を最初に提案したのは麻生首相。日本のバブル崩壊の経験を武器にリーダーシップを取り、国内向けにも存在感のアピールを狙った。私的な場では大胆で斬新な発言もあったが、公式に提案したのはIMF強化も含めて官僚が作文した「輸血量を増やす」という応急処置が中心で、新しい国際金融ルールの基本構想には踏み込めなかった。Financial Timesに今回のサミットの議事録のパロディーが掲載されたが、G8首脳のうち麻生首相だけが登場していないのは淋しい。

では、今回のサミットで新しい国際金融ルールの設計はどこまで進んだのか。IMF機能の強化が提議されたが、これはあくまで輸血量を増やすという応急処置にすぎない。しかもIMFには「少ない」「遅い」「ややこしい」という三大欠陥があり、この為既に10年前、アジア経済危機の収拾に失敗しているのだ。一つ目の「少ない」は支援する金額が小さすぎること。もともとIMFの使命は貿易収支の不均衡是正を後押しする為、貿易赤字国に一時的な資金を貸し付ける事であった。ところがアジア経済危機では膨大な投資(投機)資金が国境を越えて動き、その規模が貿易取引とは比較にならないほど大きかった為に、IMFが支援できる金額ではとても間に合わなくなり、「ベイル・イン」という新語まで作って民間セクターに奉加帳を回し、「自主的な支援参加」を強要して資金を出させざるを得なかったのだ。今回の危機はアジア経済危機の規模をはるかに上回る資本市場の危機であるから、IMFが出せる資金量では、柔道の石井選手ではないが「屁のツッパリにもならない」のである。今回のIMF改革に関する議論でも、日米の発言からは支援金額確保のための「官民合同」という発想が見え隠れするが、今の民間セクターには奉加帳に付き合う余裕はない。二つ目の「遅い」はもっと致命的だ。今まさに市場が崩落しようとしているのに、資金が支出されるのは長々とファンダメンタルズを分析した結論が出てからなのだ。燃えさかる火事を目の前にして出火の原因は漏電かタバコか、それとも放火か、と証拠を集めて分析し、結論が出て初めて消化作業を開始するのと同じだ。IMFの資金には機動性がない。そして三つ目は「ややこしい」。IMFが資金を出す際には規制を緩和・撤廃して市場を自由化せよという条件(コンディショナリティー)が付く。各国は市場改革計画を作ってIMFの承認を受け、さらに「ここまで出来たらいくら出します」と、北朝鮮の核廃棄プログラムのように何回にも分けて段階的に資金が出るのだ。これはIMFの最大のスポンサーがアメリカである為、IMFもアメリカの別動隊として市場万能主義の浸透を図るという使命を負っているからであり、IMFをどのように改組しても到底新しい国際金融ルールの中心にはなり得ないのである。

それでは、新しい国際金融ルールはどのようなものであるべきか。各国が多様な利害や立場を超えて共存共栄して行く新しい国際金融制度設計のポイントは、投機家ではなく「それぞれの国ごとの実体経済の実需」を守ることだ。いままでの国際金融のルールはアメリカの圧倒的な経済力を背景とする市場万能主義。投機を認め、一人勝ちを容認してきた。一方欧州は元々小国の集まりなので、多様な立場や価値観を尊重し合うルールで共存を図って来た。アメリカ型のルールが破綻したあと、新しい国際ルールは一人勝ちではなく共存共栄の欧州型になる。

投機の規制については前向きな進展もある。今回の危機の原因となったCDS(Credit-Default Swaps)の集中決済機関が出来るのは一歩前進だ。またCDSについて実需原則を適用しようとするニューヨーク州の動きも評価できる。さらに一歩進めて、実需の裏付けのない空売り・空買い、小額の資金で何倍もの取引が出来る(=レバレッジの高い)デリバディブなどに関しては、レバレッジに上限を設ける国際ルールと国際監督機関の設置が必要である。投機を抑制して実体経済の実需を重視する国際ルールはアジアなどの新興国にも受容れられ易い。

アメリカルールから欧州ルールへの変化は実は既に始まっている。まずアメリカ自身が変わり始めているのだ。アメリカ大統領選の二ヶ月前、ニューヨーク滞在中に二人の候補の演説のナマ中継を見て「これはオバマ氏になるな」と確信した。演説会場に来ている支持者層の人種・年齢・性別がマケイン氏は単一的、オバマ氏は多様・複合的だったからだ。選挙終了後スタンフォード大学のデービッド・M・ケネディ教授が「オバマ氏は最初で最後の黒人大統領だ」というコメントを出した。驚いてよく読んでみると、大統領の人種が話題になるのはオバマ氏が最後だと言うのだ。アメリカ人自身が、白人も黒人も関係ないという多様な価値観を持ち始めている。かつて筆者は米国人から「日本のプロ野球にもワールド・シリーズはあるのか?」と聞かれ、「それは日本シリーズと呼んでいる」と答えた事があるが、本来「アメリカ・シリーズ」と呼ぶべき手続きを「ワールド・シリーズ」と呼んできた米国の野球界自身からWBCが提唱された事の意味は決して小さくない。

国際金融ビジネスの世界でも、主役がこれまでのアメリカ型投資銀行から欧州型の預金も貸出も株も保険も全部扱う総合金融サービス会社(ユニバーサルバンク)に変わりつつある。「時価会計」の見直しもこの流れだ。さらにCO2排出権は、原油などの国際商品とは違ってドルではなくユーロ建てで取引されている。スポーツの世界でも同じだ。野球がオリンピック種目から外れてサッカーがますますさかんになって来たのも「アメリカからヨーロッパへ」という潮流を反映したものと言える。米国自身も多様な立場を尊重するオバマ政権の下で「一人勝ちルール」を放棄しつつあり、流れは固まってきたと思う。

ただし新しい国際ルール作りは始まったばかり。国際資本市場が信頼を回復できるかどうかは、今後の具体的なフォローアップ体制を維持して行けるかどうかにかかっており、まだまだ時間が必要だ。

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2008年10月 9日 (木)

高金利通貨のイールドカーブに注目

2008年10月8日。株価はNY・東京とも9200へ続落、底割れの様相だ。ドル円は98円台、豪ドルは7月22日の104円台から日中一時64円台へ。株も外貨もパニッキーなロスカットが止まらないが、どこで底を打つのだろうか?10月8日の市場にヒントが二つあった。

まず東証上場銘柄全体のPBRが1を割りこんだ。後から考えると「あそこがボトムだったな」となりそうだ。次に豪ドルをはじめとする高金利通貨のイールドカーブだ。これまで買われてきた高金利通貨のイールドカーブはどれも大体期近は資金の実需でV字型になるが、中長期債に外から買いが入るため利回りが下がり、期先がゆるやかな逆U字型になっていた。中長期債が買われすぎてイールドカーブが大きく歪んでいたのだ。ところが高金利通貨下落の過程で、豪州も英国も南アもブラジルもメキシコも今や順イールドになってしまったのである。これは高金利通貨のロングがようやく解消されたことを意味する。反転の環境が整いつつあるのだ。筆者のポートは5月-7月にひたすらEquity絡みをスクイズしまくり、キャッシュ積み上げ(一部は円の長期Fixed Income)に徹した。大成功だったが、そろそろ再出動かな、という気がしている。

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2008年9月23日 (火)

CDSとCO2排出権取引

(学部ゼミでのディスカッション用資料です)

米国発金融危機の進行過程でCDS(Credit-Default Swaps)がすっかり悪者になっているが、ファイナンスを学ぶ者にとってはCDSのメカニズムを正確に理解し、そこから教訓を学ぶことが大切である。

はじめ君は百万円を1年間借りる必要があり、金持ちのアソウさんに借金を申し込んだ。アソウさんはお金はあるのだが、1年後にはじめ君が破産していて借金を返済できなくなるリスクがあると考え、はじめ君を良く知っているフクダ氏に相談した。フクダ氏ははじめ君と同じぐらいの年齢、職業、年収、資産の人たちが1年以内に破産する確率を調べたところ、それは10%未満であることが分った。そこでフクダ氏はアソウさんに次のような提案を行なった。

「はじめ君が1年以内に破産した場合はフクダ氏がアソウさんに貸出金百万円の全額をそっくり支払うが、その代わりアソウさんは今すぐフクダ氏に保証料として貸出金の10%(=10万円)を支払う。この保証料は、はじめ君が破産しようとしまいとフクダ氏が貰いっ放しとする。」

アソウさんはこの契約を応諾し、保証料10%を利息に上乗せしてはじめ君に支払わせることとした。はじめ君の信用は「市場金利+10%」と評価されたわけだ。はじめ君は自分の「信用リスク」に相当するコストを支払って資金を調達し、アソウさんは安心してはじめ君にお金を貸すことが出来た。フクダさんは「はじめ君が破産するリスク」と引き換えに「10万円」を共に手にした。この契約がCDSである。CDS(プロテクション、以下同じ)の買い手はアソウさん。売り手はフクダ氏。CDSの価格は元本の10%。このようにして「信用リスク」が定量化され、CDSが貸出金のリスク回避策としてさかんに使われるようになった。ここまでは良かった。

ところが話はこれで終わらなかった。フクダ氏はこれを良いビジネス・チャンスと考え、はじめ君以外の借り手の信用リスクも調べて「借り手の信用リスクに応じた保証料を取って、借り手が破産した場合の借金の肩代わりをする」というビジネスを本格的に展開した。さらにこれを見ていたイシハラ君やコイケさん、AIGなど、多くの人たちがこのビジネスに参入して来た。さらにCDSの買い手は、アソウさんのように自分自身の貸出のリスク回避をしようとする人だけでなく、「これからは破産する人が増えてCDSの価格が上がる」と考える投機家はCDSを市場で買い、「これからは世の中が落ち着き、破産が減ってCDSの価格が下がる」と考える投機家はCDSを市場で売る、というマネーゲームがはじまったのだ。

はじめ君は結局1年以内に破産してしまった。ところが、はじめ君は百万円借りただけなのに、金融市場が麻痺するほどの大混乱が起きてしまったのだ。なぜなら、はじめ君の信用リスクがCDS市場で大規模に取引されていた為、はじめ君が破産した時に百万円を支払わなければならなくなった人の数は世界中に何十万人もいて、世界全体で一体いくらの損失が出るのか、誰にも分らなくなってしまっていたからだ。オザワさんがCDSをかなり売っていて大損したようだ、オオタ氏も同じらしいぞ、いや、フクシマ女史だってかなり損失を出して危ないらしいよ。憶測が憶測を呼び、市場はパニックに陥って、誰も他人にお金を貸さなくなってしまったのだ。元々CDSには資金循環を円滑化するプラスの機能があり、住宅金融の証券化が進展する過程で有効な触媒作用を発揮した。だがそれが貸出・借入れの実需から離れ、信用リスクの市場取引として投機の対象となった為に、金融市場が麻痺するほどの深刻な副作用を引き起こしてしまったのだ。当たり前のことだがCDSは低いほうが経済社会全体にとって望ましい。ところがCDSが実需を離れて投機的に売買されたり投信に組み込まれたりすると、CDSの買い手はCDS価格が上昇すればするほど、つまり破産リスクが大きくなればなるほど利益が出る、ということになる。投機が均衡回復的に作用するのではなく、均衡破壊的に作用するようになってしまうのだ。9月23日のBloombergによるとニューヨーク州当局がCDS取引を実需の裏付のある当事者(bond holder)に限定する規制の導入を検討しているとのこと。遅きに失した感は否めないが、正しい方向であると言える。

CDSの教訓は、実需から離れたproductの市場取引は均衡破壊的に働きやすい、ということである。そして直ちに想起されるのがCO2排出権の市場取引だ。CO2の排出権に対する需要と供給を市場価格の変動を通じて調整すること自体は正しい。ただしCO2排出権の価格はCDSと同様、低いほうが社会全体として望ましい。CO2排出抑制対策が進めば進むほど排出権の供給が需要を上回り、価格が下落するからである。だがCO2排出権が実需を離れ、金融productの一つとして投信に組み込まれたりすると、排出権価格上昇が投資家の利益となる「エコ投信」(!)が発売されたり、排出権価格上昇を狙ってポジションを張るディーラーやファンド・マネージャー、さらには素人デイ・トレーダーまで出現したりするに違いない。そうなると本末転倒、一体何のための排出権取引なのか分らなくなるではないか。CO2排出権の市場取引創設に当たっては実需原則を最初からしっかり組み込んでおく事。これが今回のCDS騒動から学ぶべき貴重な教訓である。

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