2010年2月12日 (金)

ギリシアの財政危機とユーロのポートフォリオ

キリスト教美術に関する12週連続の講演会を聞きに行っている。もちろん講師陣は全員錚々たる美術の専門家ばかりだが、この種の講演会で楽しいのは、美術とそれを育んだ時代の経済・社会構造との関わりについて新しい発見が出来る事だ。唯物史観を持ち出すほどの事ではないが、今週の講演会でロマネスクとゴシックが建築様式として峻別認識されたのはルネッサンス期であり、ゴシックは粗野なものを表す形容詞で、その語源はゴート族である、と知って目から鱗がまた一枚落ちた。ルネッサンスは単純な古代への回帰ではなく、ラテン族の末裔としてのイタリア人が、ゴート(=ゲルマン)族の価値体系や文化を拒否したという事だったのである。

民族や国民国家が自らのアイデンティティを必要とする時、「古き良き時代」の価値体系へ回帰が生じる。ルネッサンス以外にもこうした事例は多い。例えば宗教改革の本質は、ドイツ(=神聖ローマ帝国、ゲルマン族)の、カトリック教会と表裏一体であったフランスに対する反攻であった。さらに、プロテスタントが実はアリウス派の復権だったのではないか、という事が多くの研究者によって示唆されている。(この点について筆者は、文化人類学からの論考が必須だと考えている。)わが国でも、徳川幕藩体制を転覆した明治政府は新たな自前のアイデンティティ(=旗印)を必要としたため、廃仏毀釈を行なって神道を国家統合のイデオロギーとした。やはり「古き良き時代」の価値体系へ回帰したのである。

さて、ギリシアの財政危機がユーロロングの取り崩しを招き、世界同時株安の一因にもなっている。この事が一時的な欧州経済の停滞を招く可能性はあり、ユーロ自体も、多くの主権国家をカバーし続ける統一通貨としては限界が見えて来た。現実的なユーロの姿は、最終的にはユーロ・ファウンダー6ヶ国+英国をコアとして、外縁諸国がそれぞれの幅でユーロペグを運用する形になるのだろう。だがこの事が長期的なEU統合・拡大を阻害するとは思えない。なぜならEUの統合・拡大の本質は、世界最大の正教国であるロシアをも包含する大キリスト教世界への回帰であり、長期的には揺るぎのない歴史的潮流であるからだ。

翻ってわが国の民主党政権では、攘夷論(=米軍基地排斥)と開国論(=外国人参政権付与推進)が整合性のないままに同居し、経済政策では新古典派とケインジアンが与党内ポリティックスによって使い分けられている。首尾一貫した価値体系を持たない政権が国際資本市場で信認を得る事は難しい為、長期ポートフォリオは円投・ユーロロングが正解であろうと考えている。

参考:過去ログ「欧州とユーロ」

http://professor-snape.txt-nifty.com/investors_eye/cat4427643/index.html

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年10月18日 (水)

拡大EUは「大ローマ」の復興なのか

古代ローマは東西に分裂したあと滅亡した。拡大EUとは、旧東西ローマの再統合を通じたキリスト教圏としての「大ローマ」の復興なのではなかろうか。

 古代ローマ皇帝としてキリスト教を公認したコンスタンティヌス大帝は西暦330年、ローマの首都をビザンティウムに移し、コンスタンティノポリス(現イスタンブール)と名を改めた。391年テオドシウス大帝がキリスト教を国教化するが、395年にローマ帝国は東西に分裂する。476年に西ローマ帝国が滅亡し、東ローマはギリシア正教(東方教会)国家ビザンチン帝国として東に勢力を拡大する。800年にカールがローマ教皇レオ3世から西ローマ皇帝として戴冠し、西ローマ帝国がキリスト教国家として復活したものの、カールの孫の代に三分割されて現在のドイツ、フランス、イタリアの原型が形成される。一方東ローマ帝国(ビザンチン帝国)は1453年に回教徒によって滅ぼされた。

 さて現代。EUは2004年5月に新たな10カ国が加わり、25カ国へと拡大した。2007年1月にはブルガリアとルーマニアが加盟予定で、EUは27カ国体制となる事が決まっている。さらに今後クロアチア、マケドニア旧ユーゴスラヴィア、トルコが加盟交渉に向けて準備を進めている。これら2004年5月以降新規加盟(候補国を含む)の15カ国を宗教・宗派別に分類すると次の通りとなる。

キリスト教・カトリック(9カ国):チェコ、ラトヴィア、リトアニア、ハンガリー、マルタ、ポーランド、スロヴェニア、スロヴァキア、クロアチア
 
キリスト教・東方教会系(4カ国):キプロス、ブルガリア、ルーマニア、マケドニア旧ユーゴスラヴィア

キリスト教・プロテスタント〈1カ国〉:エストニア

イスラム教〈1カ国〉:トルコ

そしてこの事から次の事実が浮かび上がって来る。

・元々のEU15カ国はもちろんのこと、拡大EUの新規メンバーもトルコを除いてすべてキリスト教国である。

・EU15カ国のうち東方教会系の国はギリシアだけであるが、拡大EUにはさらに4カ国が名を連ねる。東方教会圏の諸国は歴史的にも、また現代においてもイスラム教徒グループとの軋轢を国内に抱えているが、EUはこうした東方教会圏に向って拡大している。東ローマ帝国(ビザンツ)の復活なのだ。

 拡大EUはどこに行きつくのだろう。EUの東方への拡大の行く手に見えてくるのは世界最大の東方教会系国家ロシアである。そうなると復活する東ローマ帝国の東端の領海は日本の領海に接することになる。そして西ローマ帝国もローマ・カトリック教会圏として旧ソ連圏に拡大してきたのだ。拡大EUの行きつく先は旧東西ローマの統合、そしてキリスト教圏としての「大ローマ」の、ユーラシア全域にわたる復興ではないだろうか。

 やはりユーロの長期ポジションはロングしかあり得ないだろう

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2005年12月 3日 (土)

ECBの利上げとユーロ

12月2日付FTがECBを賞賛する記事を掲載した。

12月1日、ECBがレポ金利を0.25%引き上げて2.25%とした。5年ぶりの引き上げである。ユーロ・ゾーンのCPIの推移を見てみると、2003年の半ばにレポ金利が2.0%に引下げられた当時は年率約2%であり、その後も安定的に推移していたが、今年後半に入って2.5%近辺までわずかながら上昇してきた。今回の利上げはこれを受けたもので、典型的なインフレ予防的利上げである。この日の市場は通貨の番人としてのECBのこうした教科書通りの行動に対して強い支持を表明した。ブンズの利回りが3.4%へと下落し、ダウ欧州株価指数は304.31と4年ぶりの高値をつけたのである。12月2日付FT(15面、Eric Lonerganによる署名記事)は、こうしたECBのオーソドックスな政策行動モデルがアメリカや英国、日本の中銀よりも優れていることがはっきりしてきた、としている。同感である。振返って見ると、1999年1月にユーロが発足した後ユーロ相場は下落を続けたが、この時ECBは為替介入を行わず、ユーロ安を放置した。その後ECB総裁人事をめぐる独・仏の対立もあり、ECBは通貨の番人としてのブバ(ドイツ中銀)の血統と遺伝子を果して受け継いでいるのか、各国間の政治的軋轢の谷間で独自の政策決定力を持ち得ないのではないか、といった事が懸念された時期があったが、ECBは今回の利上げによってそうした懸念を払拭し、「我はブバの嫡子なり」との宣言を行ったように感じられる。これに比べると、政治的圧力で量的緩和を終了できない日銀の独立性の弱さがどうしても目立ってしまうのだ。日経平均が15,000にまで上昇しているにもかかわらず、対ユーロでは141円台に乗せてしまった円の弱さの背景には、国際金融市場の中央銀行に対する信頼性の格差があるように思われてならないのである。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2005年10月10日 (月)

EU統合の行方(その10・最終回)

(その9から続く)

欧州は更なる統合に向かうのか、それとも分解するのか。今回はこれまで9回にわたって見て来た欧州における求心力と遠心力との緊張関係を総括する。

欧州が国境を超えて一つになろうとする求心力は、中世ヨーロッパにおけるローマ・カトリック教会が行政単位としての教区組織と経済単位としての修道院ネットワークを通じて作り上げた国境を超えた教会組織、及びフランスを中核とする欧州連合軍で構成された反イスラム運動である十字軍の活動に由来する。また一方で、この事はフランスが教権をコントロールし、ドイツ(神聖ローマ帝国)が教皇から戴冠するという、フランスのドイツに対する優位を意味していた。既に遠心力の種が生まれていたのである。

欧州の遠心力はこのドイツとフランスの抗争から派生する。宗教改革は帝権が弱いドイツの、ローマ・カトリック教会及びそれをコントロールするフランスに対する抵抗運動でもあったのだ。そして宗教改革の第二・第三世代のプロテスタントが掲げた「オスマントルコはプロテスタントの味方」というスローガンは、反イスラムがもはや欧州世界の単純な求心力ではなくなった事を示唆するものであった。現在のドイツがイスラム教徒に対して比較的寛容であり、多くのトルコ人を外国人労働者として受け入れ、トルコのEU加盟交渉に前向きな姿勢を見せているのに対して、フランスがイスラム教徒の女学生のスカーフを取り上げたり欧州憲法条約批准の否認を通じてトルコのEU加盟に抵抗する姿勢を見せているのは、カトリックとプロテスタントとの相克を反映しているのである。

それでは欧州における求心力と遠心力のバランスは今後どのように動いて行くのであろうか。欧州という箱を開けてみると、大小さまざまな個性豊かな国々が次々に出てくる。「入れ子」のような構造になっているのだ。それぞれに異なる国民国家ではあってもキリスト教という箱の中に「入れ子」状に納まってしまうのが欧州なのである。このシリーズではほとんど取り上げて来なかった英国についてもこうした事情に変りはない。英国は経済構造・貿易構造が大陸諸国とは対照的であり、ユーロ採用の決断に至ってはいないもののギルツ(英国国債)の利回り(10年物)はブンズ(ドイツ国債)に1%上乗せされた水準から乖離しようとしないし、ポンドの対ドル相場は見事にドル/ユーロにリンクしている。既にユーロを採用したも同然なのだ。欧州には求心力と遠心力が共に働いている。だが求心力、遠心力いずれもがキリスト教と深く関わっていること自体が、欧州がキリスト教を共通軸とする一つの世界だということをはっきりと示しているのだ。

1960年代後半、ピーター・ポール・アンド・マリーというフォーク・ソング・グループが人気を博したことを記憶している人は多いだろう。しかし、このグループの名前がペテロ、パウロ、そして聖母マリアから取られているという、キリスト教圏ではいちいち説明を要しない事実に気がついている日本人は少ないのではないだろうか。こうした説明を要しないほど日常化している共通項を持つ社会の底流には、強い求心力が働いている。

欧州の求心力が揺るがない一方で、同じキリスト教圏に属するアメリカが、マイノリティにおけるイスラム化の進行によって一つの国としての求心力を失いつつある。パックス・アメリカーナの終焉が見えて来た今、日本の地政学的リスクを考えると、長期的なポートフォリオの組立ての中でユーロ(ポンドを含めて)はロングを維持して行くべき通貨だ。これが10回にわたる「EU統合の行方」の結論である。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2005年10月 6日 (木)

EU統合の行方・参考文献

EU統合の行方(1-10)の参考文献一覧表です。

会田雄次『ルネッサンス』河出書房新社

饗庭孝男『フランス・ロマネスク』山川出版社

岡崎勝世『世界史とヨーロッパ』講談社

樺山紘一『パリとアヴィニョン』人文書院

ミシェル・カプラン『黄金のビザンティン帝国』創元社

熊倉洋介ほか『西洋建築様式史』美術出版社

坂井榮八郎『ドイツ史10講』岩波新書

ジョルジュ・タート『十字軍』創元社

C.H.ドーソン『中世ヨーロッパ精神史』創文社

新田俊三『アルザスから』東京書籍

福井憲彦『フランス史』山川出版社

ピエール=マリー・ボード『キリスト教の誕生』創元社

アミン・マアルーフ『アラブから見た十字軍』筑摩書房

増田四郎『ヨーロッパとは何か』岩波新書

ジャン・リシャール『十字軍の精神』法政大学出版局

渡辺尚『ヨーロッパの発見』有斐閣

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2005年10月 5日 (水)

EU統合の行方(その9)

(その8から続く)

欧州は更なる統合に向かうのか、それとも分解するのか。その鍵は欧州の共通項であるキリスト教が欧州統合の楔となり得るのかどうかだ。前回までのブログでは、「点と線」の古代ヨーロッパの「面の中世」への転換に際して、ローマ・カトリック教会が行政単位としての教区と経済単位としての修道院ネットワークの展開を通じて国境を超えた組織を確立し、欧州全体にとっての「求心力」となって行ったことを見てきた。今回は中世ヨーロッパ世界がフランスにコントロールされた教権と、選挙で選ばれた神聖ローマ皇帝(ドイツ)の帝権との緊張関係を軸に展開して行った過程を辿る。キーワードは「十字軍」及び「教皇庁のアビニョン移転」である。

まず十字軍について見てみよう。1089年、教皇ウルバヌス2世に組織されたフランス十字軍がスペインへ遠征する。その後聖地エルサレム奪還を目指して8回にわたって十字軍が組成されるのだが、それぞれの指揮官の顔ぶれは次の通りである。

第1回(1096-):ロレーヌ公ゴドフロア・ド・ブイヨン)、弟のブーローニュ伯ボードワン、トゥールーズ伯レーモン・ド・サンジル、南イタリアのタラント公ボヘモンド・ド・タラント、ノルマン騎士タンクレード・ド・オートヴィル。第1回十字軍の主な指揮官はほとんどがフランスの諸侯であった。

第2回(1147-):フランス王ルイ14世、ドイツ王コンラート3世

第3回(1189-):フランス王フィリップ2世、英国王リチャード1世、ドイツ王フリードリヒ1世

第4回(1202-): モンフェラ侯ボニファチオ2世、フランドル伯ボードワン9世

第5回(1217-):エルサレム王ジャン・ド・ブリエンヌ(フランス人)

第6回(1228-):ドイツ王フリードリヒ2世

第7回(1248-):フランス王ルイ9世

第8回(1270-):アンジュー伯シャルル・ダンジュー(フランス王ルイ8世の末子)

このように十字軍はフランス主導のヨーロッパ連合軍であった。十字軍とはフランス=教権を中核とし、欧州全体に聖地エルサレム奪還を目指す求心力を及ぼした運動であったことがわかる。ドイツが「是」とした欧州憲法条約批准をフランス国民が「否」とするに至ったトルコのEU加盟をめぐる両国の国民感情の相違は、キリスト教徒とイスラム教との対決の原点である十字軍の時代にまで遡ることが出来るのである。

次に「ローマ教皇のアビニョン幽囚」と言われるエピソードを紹介しよう。最後の第8回十字軍がエルサレム奪回に失敗したあと、フランスではフィリップ4世(1285年即位)の下で王権の中央集権体制が一段と強化され、14世紀には教皇庁がアビニョンに移転する。フランスによる教権のコントロールが一段と進んだのだが、決してフランスが力づくで教皇をアビニョンに幽囚したわけではない。1309年にフランス人のクレメンス5世が教皇に選出されるが、ルネッサンス前夜のイタリアでは各都市国家が力をつけはじめており、イタリアにおける教皇領の政情が不安定であったため、クレメンス5世はフランスからローマへの移動を断念した。この結果教皇庁は1377年までフランスのアビニョンに置かれる事になったのである。そしてアビニョン時代の教皇庁では行政文書の統制、裁判制度、財政の統制などの諸制度とそれを支える官僚制の徹底的な整備が行われ、ローマ・カトリック教会自体の国境を超えた中央集権化が著しく進展した。10世紀のクリュニー修道会、12世紀のシトー修道会、12世紀から13世紀にかけて8回も組成された十字軍、そして14世紀の教皇庁のアビニョン移転。こうした経緯を経てローマ・カトリック教会は国境を超えた欧州の求心力の中核としての地位を確立したのである。

その後ドイツでは宗教改革が起こり、南部を除いてプロテスタント化されてゆく。そして既にこのブログで見て来た通り、プロテスタント対カトリックの抗争がドイツ対フランス、帝権対教権の緊張関係と重なり合いつつ時代は近世へと進んで行くのだが、決して忘れてならないのは、欧州の求心力としてのキリスト教が中世においてイスラム教徒との抗争の過程で形成されたという事実である。次回はいよいよ最終回として、これまでに見てきた欧州における求心力としてのキリスト教についての総まとめを行いつつ、英国のユーロ採用の可能性を中心にEU統合の行方について考えて行く。(その10に続く)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2005年10月 1日 (土)

EU統合の行方(その8)

(その7から続く)

キリスト教は欧州統合の楔となり得るのか。その手掛かりとして、現代ヨーロッパの原型の形成にキリスト教がどのように関わっていたのかを見て来ている。「その7」では古代ローマ帝国でキリスト教が国教化されたのはカトリック教区を行政単位として統治機構に組み込むためであったことを明らかにした。今回は古代ヨーロッパが中世へと変質して行く過程にカトリック教会の修道院活動が新たな経済単位として深く関与していた事を説明する。

都市共同体同士の契約関係としての「点と線」で構成されていた古代ローマ帝国の崩壊と、都市が農村を後背地として持ち、「面」として広がり始める中世への移行は、農業生産性の著しい上昇に支えられたものであった。既に見た通り古代ローマの経済は技術進歩による生産性向上ではなく専ら生産要素の投入量(とりわけ奴隷労働)に依存していた為、奴隷の供給が絶たれるとすぐに行詰まり、崩壊した。その後乱立した多くのゲルマン部族国家がフランク王国メロヴィング朝、カロリング朝に統一され、カール大帝の戴冠を経て現在のドイツ・フランス・イタリアの原型が形成されて行く過程で、都市の後背地としての農村の成長が始まる。

まず8世紀に現在の北フランス地域の人口が急増する。森林が開墾され、作付面積が著しく拡大して技術進歩による生産性の向上が始まったのだ。こうした変化を可能にしたのが、農地を三分割して輪作を行い、三分の一の土地を順番に休ませる事によって農地の生産力を維持する、三圃農法と言われる技術である。三圃農法はカール戴冠(800年)前後に急速に拡大したことが知られている。つまりフランク王国カロリング朝による西ローマ帝国再統一の時期に、こうした農業生産性の急上昇が起こっていたのだ。森林を開墾したり農地を三分割して計画的に輪作を行う為には農作業の共同化が必要である。そしてこうした農作業の共同化が著しく進んだのは世俗領主領ではなく修道院領であった。

「その4」で説明した通り、7世紀以降ローマ・カトリック教会が修道院の教区組織を通じて勢力を拡大して行く。修道院における信仰・修行のあり方としては、当初は東方教会の流れを汲む聖コルンバヌスが目指した、山岳地などの厳しい自然環境の中での苦行による修道が重視されたが、次第に聖ベディクトゥス派による、修道士が修道院において共同体を形成して労働と信仰の修道院生活を送る戒律が主流となった。そしてこの共同労働を重視する考え方こそ、上述の三圃農法普及のエンジンであった。10世紀初頭にクリュニー修道会が設立され、欧州に国境を超えて800近い修道院ネットワークを構築する。だが商業的成功を重視するあまりクリュニー修道会は修道院長に聖職者ではなく俗人を起用するといった、どこかで聞いた事のあるような愚挙を繰り返したあげく頽廃し、衰退する。これに代って、12世紀初頭に設立されたシトー修道会が綱紀を糺し、修道院生活を信仰と労働という原点に回帰させることによってさらに勢力を伸張して行ったのだ。

以上に見た通り、「点と線」の古代ローマ帝国から「面」の中世への転換にはローマ・カトリック教会が重要な役割を果していた。行政単位としての教区と経済単位としての修道院ネットワークの展開を通じて、ローマ・カトリック教会は国境を超えた組織を確立し、欧州全体にとっての「求心力」となって行ったのである。そして忘れてならないのはこうした中央集権的な、統制の利いたローマ・カトリック教会の組織が育ったのがクリュニー・シトー両修道会の本拠であるフランスであったという事実である。つまり中世を楕円になぞらえる時、楕円構造の二つの中心とされる教権と帝権は、実はローマ教皇をコントロールした中央集権のフランスと、皇帝を選挙で選ぶ神聖ローマ帝国(ドイツ)のことなのである。

次回は、こうして欧州全体の求心力となったキリスト教の中世における展開を、「十字軍」及び「教皇庁のアビニョン移転」をキーワードとして追いかけてみる事としたい。(その9に続く)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2005年9月20日 (火)

EU統合の行方(その7)

(その6から続く)

欧州は更なる統合に向かうのか、それとも解体するのか。その鍵を握るキリスト教についての考察を続けて来ている。今回と次回は西ローマ帝国の崩壊からフランク王国カロリング朝までの、現代ヨーロッパの原型の形成にカトリック教会がどのように関わっていたのかを見て行く。まず「なぜローマ帝国はキリスト教を公認し、さらに国教にまでしたのか」を考えて見よう。

なぜコンスタンティヌス帝はキリスト教を公認し(ミラノ勅令)、帝都をコンスタンティノープルに移して教権と世俗権力とが一体化したキリスト教国家・東ローマ帝国の基礎を築いたのだろうか。またその後テオドシウス帝はなぜキリスト教を国教化までしたのだろうか。さまざまな文献を渉猟し、多くの研究者に意見を聞いてみたが、とても一言で片付くようなテーマではない。それどころか研究者が一生をかけて答えを探す値打ちがあるテーマなのだ。だがこのブログの「世間話のネタ帳」という原点に戻り、論点を出来るだけ単純化して議論を進めよう。

古代ヨーロッパは「点と線の世界」であり、都市と後背地(農村)の一体的実効支配を含む「領土」という概念はまだなかった。古代ギリシャは「点」としての都市国家の集合にすぎず、古代ローマは「点」である多くの都市国家を武力で制圧し、それぞれの都市国家との間で市民権や兵役・課税権などについての契約を個別に締結する形でローマと各都市国家を「線」で繋いだ。ローマ帝国とは実は欧州全土にわたる数多くの「線」で結ばれた飛び地の集まりに過ぎなかったのである。そして結論を先取りすれば、こうした「点と線」が領土としての「面」に変化して行く過程が古代から中世への移行であり、この変化にキリスト教が深く関わっていたのだが、結論を急ぐ前にまず古代ローマから話を始めよう。

ポール・クルーグマンは“The Myth of Asia’s Miracle”(1994)において、アジア経済の成長は技術進歩よりも生産要素の量的投入の増加に依存しているため、このままでは限界に突き当たると指摘し、これをめぐって賛否両論が活発に展開された。だが実は1700年前に既に一つの答えが出ていたのだ。古代ローマ帝国の経済は武力で制圧した多くの都市国家からの奴隷労働によって支えられていた。奴隷には生産性向上のインセンティブがないから、ローマの経済はまさに技術進歩ではなく生産要素の投入量に依存していたのだ。だから奴隷労働の供給が止まると共に経済が衰退し、「線」の維持が困難になったローマ帝国は崩壊に向かったのだが、コンスタンティヌス帝・テオドシウス帝はローマ帝国の崩壊を何とか食い止め、統治を強化して政体を維持しようとして民衆の組織化を進めた。この当時カトリック教会は既に教区単位で民衆を組織化していたため、コンスタンティヌス帝はそれまで弾圧していたキリスト教を一転公認し、さらにテオドシウス帝はそれを国教化してまで「教区」を行政単位として利用したのである。その後東ローマ帝国=ビザンツでは教区と教会の聖職者組織(官僚組織)とがぴったりと重なり合うことになるが、西ローマ帝国は行政単位としての「教区」の統治体制への組み込みだけでは経済の崩壊を食い止められずに滅亡する。

このようにキリスト教がヘレニズム、ゲルマンと並んで現代ヨーロッパの共通軸を構成することになったのは、カトリック教区が行政単位として統治機構に組み込まれた為であった。だが生産要素の投入量に依存していた古代経済は崩壊し、農業生産性の上昇を梃子に「点と線」が「面」に変質して行く。中世の始まりである。次回はこの古代から中世への変質にカトリック教会がどのように関与していたのかを考えて行く。キーワードは新たな経済単位としての「修道院」の活動である。 (その8に続く)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2005年9月16日 (金)

EU統合の行方(その6)

(その5から続く)

欧州は更なる統合に向かうのか、それともバラバラになって行くのか。この疑問に答えを出すため、今後数回にわたって欧州における求心力と遠心力のバランスの鍵であるキリスト教について考えて行く。まず今日我々がヨーロッパと呼んでいる社会の原型の成立(時期的には西ローマ帝国の崩壊からフランク王国カロリング朝まで)に際してのキリスト教の関わり方について、次に中世ヨーロッパ世界においてキリスト教が果した役割について検討する。キーワードは「教区」「修道院」「十字軍」の三つである。

ドイツは帝権を
イタリアは教権を
フランスは学芸を

これは増田四郎の名著「ヨーロッパとは何か」(過去ログ・参考文献表参照)の巻頭に引用されているF.シュナイダーの言葉である。このうち「ドイツは帝権を」に違和感はない。中世ヨーロッパを「帝権と教権という二つの中心を持つ楕円」(増田四郎)ととらえれば、教権と緊張関係にあったのは正に神聖ローマ帝国皇帝であった。しかし「イタリアは教権を、フランスは学芸を」には議論の余地がある。たしかに教皇庁はローマに置かれていた。しかしイタリアには多少の教皇領が点在していたにすぎず、イタリア地域自体が教権と深く関わっていたとまでは言えまい。むしろ教権が帝権と並ぶ楕円の中心としての地位を固めたのは、後で詳しく見るようにフランスにおける修道院(クリュニー修道会・シトー修道会)の発達によるものであり、またローマ・カトリック教会が教皇庁を頂点とする国境を超えた組織を確立したのは教皇庁がフランスのアビニョンに移転していた時期であったことを考えると「フランスは教権を」がより妥当ではないだろうか。そしてルネッサンス以降のヨーロッパ文化の展開を考えると「イタリアは学芸を」こそ相応しい表現ではないか。結論を大胆に先取りしてしまうと、「帝権と教権という二つの中心を持つ楕円」である中世ヨーロッパの展開は帝権の主体である神聖ローマ帝国(ドイツ)と教権をコントロールしていたフランスとの緊張関係によって規定されていた、と言える。さらにこの緊張関係は、皇帝を選挙で選んでいた神聖ローマ帝国=ドイツと絶対王政を確立したフランスとの、地方分権対中央集権という、現在も続く政体の考え方の違いと重なり合っているのだ。そしてこのドイツとフランスの考え方の相違が、今後の欧州統合のあり方にも影響を及ぼす可能性が高い。

だが結論を急ぐ前に、まずヨーロッパ社会の原型の成立にキリスト教がどう関わっていたのかを調べてみよう。そのための最初の問題は「なぜローマ帝国はキリスト教を公認し、さらに国教にまでしたのか」である。(その7に続く)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2005年9月 8日 (木)

EU統合の行方(その5)

(その4から続く)

ユーロの長期ポートの正解はロングかショートか。その答えを探すのが「EU統合の行方」シリーズの目的だ。EUには統合に向かう求心力とバラバラになろうとする遠心力が共に働いており、過去欧州の軌道はその時々の二つの力のバランスによって決まって来た。これまでこのブログの「その1-4」ではドイツとフランスの抗争がキリスト教の展開と重なり合いながら遠心力として働いて来た事を確認したので、今度は数回にわたって欧州の求心力としてのキリスト教に焦点を当ててみる。今回はその前置きである。

まず二つ仮説を立ててみよう。
(1)単一民族・単一言語の国家は多民族・多言語の国家よりも経済発展しやすい。
(2)多民族・多言語の国家が経済発展を遂げるためには、国民の気持を一つにまとめる共通スローガンが必要である。

この仮説の検証はアカデミック・ハットを被ってライフワークとして取り組むつもりだが、このブログはアカデミック・ハットを脱いで世間話のネタ帳として書いているので、これらの仮説が正しいとするとどういう事になるのかを考えてみたい。

単一民族・単一言語国家は、例えば日本、韓国、多くのEU各国。多民族・多言語国家は、例えばアメリカ、中国、インドネシア、インド。多民族・多言語国家のうち統一スローガンがないインドネシアやインドは経済発展が遅い。ではアメリカはどうか。ドル紙幣には "In God We Trust" の文字が印刷されている。(幸福のシンボルであるヤモリがデザインされたニューヨーク州イサカの地域通貨HOURsの紙幣には、これをもじって "In Ithaca We Trust" という印字がある。)アメリカの共通スローガンは主への信仰だ。デモクラットもリパブリカンも日曜日には教会に集い、WASPは賛美歌に、マイノリティはゴスペルに陶酔する。今アメリカのマイノリティの間でイスラム教が急浸透している事は、後世の歴史家が「パクス・アメリカ-ナの終焉の始まり」として位置付ける事になる現象なのかもしれない。だとするとドルの長期ポートはショートが正解ということになる。では中国はどうか。多民族・多言語国家である中国の経済発展の秘密は共通スローガンを持った事だ。「抗日」である。日本の総理大臣が靖国神社を参拝しようとしまいと、また日本の教科書が歴史をどう扱おうと、中国は経済発展の為に「抗日」を必要としているから、日本の地政学リスクが消えることはない。だとすると円の長期ポートはショートが正解か。

ドルも円も長期的にはショートが正解とするとユーロをロングにするしかないが、それに加えて多民族・多言語地域である欧州に共通スローガン(=求心力)があるなら鬼に金棒だ。通説が欧州の共通項として挙げるのは、以前のブログで紹介した通りヘレニズム、ゲルマン的社会構造、そしてキリスト教だが、ヘレニズムはガロ・ロマーノ圏とグレコ・ロマーノ圏に分かれており、ゲルマンもドイツ圏とフランス圏とでは密度が段違いだ。だからこそEUの遠心力を「ドイツとフランスとの対立」を軸としてとらえる意義が大きい訳で、EU全体の共通スローガンとなり得る可能性があるのはキリスト教だけだ。キリスト教の遠心力については既に論じたので、次回以降数回にわたってその求心力としての面を考えて行くことにしたい。

(その6に続く)

| | コメント (0) | トラックバック (0)