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2010年4月22日 (木)

新冷血の連載が始まった

待望の高村薫の最新作「新冷血」の連載が始まったため、4月からサンデー毎日を買うようになった。まだ3回目だが、囲碁の序盤の石置きを思わせる筆を抑えたスタートは、「晴子」以降高村から離れて行った読者へのサービスなのか、あるいは日経新聞連載小説のあまり愉快ではなかったであろう経験からか、格段に口当たりが良い。これまでの作品の中ではレディ・ジョーカーの始まりに最も似ているように感じられた。多くの読者はどこで合田が登場するのか期待を膨らませているようだが、私自身は「太陽」発売時に「晴子」からの3部作を初めて読み、そのあと過去の長編に遡って行った新しい読者であるため、合田とは「太陽」(厳密には「新リア王」の終盤)で初対面であった事もあり、むしろ高村がこの口当たりの良いスタートから、「晴子」以降の長編3部作で提起した「自我と他者、もしくは自我と対象との関わり」という主題にどのように切り込んで行くのかが楽しみだ。今でも多くのアクセスを頂いている昨年12月のブログ「高村薫と村上春樹」(下記URL)で次回作の有得べき方向性について触れたが、「新冷血」の始まり方は、タイトルも含めてまさに期待通りだ。

http://professor-snape.txt-nifty.com/investors_eye/2009/12/post-588a.html

もう一つの興味深いポイントは「新冷血」における時代の描き方だ。高村は「照柿」や「晴子」以降の3部作で見事な仮想現実を構成して見せた。ところが「新冷血」に描かれようとしている世界は、著者自身や私の年代にとっては仮想現実かも知れないが、それが現在進行形の「現実」そのものである世代も現に存在している。こうした「考証の約束事」がない世界を描くのは高村にとって初めてではないだろうか。だとすると、「新冷血」は高村文学のPhase Ⅲの始まりを告げる、作者自身の思考や情念が初めて立ち現われる私小説的な要素を含んだ記念すべき作品になるかも知れない。そうなると、連載終了後大幅な改稿を経て単行本化される事を想定すれば、「原型」であるサンデー毎日の連載は切り取って保存しておきたくなる。

「新冷血」もまた、読者にとってかなり負荷の大きい作品になりそうだ。

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