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2009年10月 3日 (土)

マイゾーメノシュ

ヒオジジャネイホ。カリオカ(リオっ子)がこう呼ぶ、2016年のオリンピック開催地に今日決まったばかりのこの町には昔住んだことがある。もう50年近く前の事だ。ブラジル国債は今やバイオエタノールですっかりエキゾチック・ソブリン銘柄に変身したが、この機会に改めてブラジルに関する計数を少し調べてみて、50年前とあまり変わっていない事に驚いた。(出典は国連及びユネスコ統計)

・人口(2005年):ブラジルの人口は約1億9千万人。日本の1.5倍だが、国土が広いので人口密度は1平方キロあたりわずか22人。日本の15分の1だ。

・一人当たりGDP(2008年):8,200ドル弱。増加基調にあるとは言え、まだ日本の5分の1強。昔も今もブラジルは「未来の国」なのだ。

・貧富格差(2005年):ジニ係数は世界(ワースト)第10位と、相変わらず顕著な格差社会だ。因みに日本は同じベースで98位。OECD中でも格差は小さい方だ。

・成人識字率(2002年):86.4%。意外に上がっているなとは思うが、ここから日本の99.8%に追いつくのは並大抵の事ではない。

・高校進学率(2002年):18%。貧富格差が依然として響いている。因みに日本は94%

 こうして見ると、50年前の映画「黒いオルフェ」に描かれた生き辛い社会がまだまだ続いているようだ。「黒いオルフェ」のオープニングのタイトルバックに流れていたのはトム・ジョビンの初期の作品「ア・フェリシダージ」。・・・人々は1年間の苦しい労働に耐えてようやく貯めた僅かなお金をカフナヴァウの一週間で使い切り、自分も燃え尽きる。カフナヴァウが終わると人々は抜け殻のようになり、翌年のカフナヴァウまで、また苦しい労働に戻ってゆく。悲しみに終わりというものはないが、幸せには終わりがある・・・悲しくも美しい名曲である。

サッカーのプレースタイルにも格差社会が大きく影を落としている。「黒いオルフェ」が封切られた当時は天才ペレの全盛期だったが、今もブラジルサッカーは個人技中心だ。ペレもジーコも、決して豊かとは言えない環境に育ち、道端でボールを蹴りながら多くのライバルを蹴落としてクラブチームのユースに這い上がるところからスタートしている。格差の大きい競争社会を勝ち抜くには、ポジションとは関係なく自分でボールを奪い、ドリブルで駆け上がって自分でシュートを決めるしかない。人にパスを出すどころの話ではなく、否が応でも個人技中心にならざるを得ないのだ。

マイゾーメノシュ。英語で言うとmore or lessである。カリオカが「まあ大体そんなもんかな」という意味でよく口にする言葉だ。また、約束事のあとに「もし私の神様のお許しが出れば」と付け加えると、公約が努力目標に変わる。どちらも、生き辛い格差社会をペレやジーコになれなかった大多数の人々が肩の力を抜いて生きて行く知恵だな、とつくづく思う次第である。

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