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2009年5月 9日 (土)

阿修羅像の視線

 テレビの興福寺展特集番組で、レポーターの女優が阿修羅像を見て「とてもいいお顔をしていらっしゃいますねー」と感心していたが、阿修羅像の視線は何を語っているのだろうか。どの仏像もそれが彫られた時代におけるミッションを背負っているから、京都や奈良に出掛けたり仏像を見たりする時には、仏教の時代背景を少し理解しておくと、阿修羅像の手が古代インド舞踊の動きをしている事なども分かり、楽しみが倍加する。

おおまかに言うと、日本に伝来して以降の仏教には、現代まで続く四つの大きな流れがある。奈良仏教(南都六宗)、平安仏教(密教系)、鎌倉仏教(禅宗系)、その他の宗派(浄土宗、浄土真宗、日蓮宗)だ。話題の阿修羅像を擁する奈良の興福寺は唐招提寺や東大寺と並ぶ南都六宗の一つで、日本の仏教系列の中では最も古いグループに属する。8世紀・平城京時代の仏教は鎌倉期以降の仏教と違って、未だ民衆を信仰によって組織化するというミッションを背負っておらず、もっぱら朝廷・貴族の信仰の対象として教義の修養と仏像の造形美を追い求めていた。従ってこの時期の仏像は、阿修羅像を含めて民衆の信仰の対象として造られたものではない。

9世紀の平安期になると最澄・空海が唐から密教をもたらす。最澄が天台宗(比叡山)を、空海が真言宗(高野山)を興し、特に真言宗は性愛の歓びを肯定・賛美する新興宗教として朝廷から熱狂的な支持を受けた。(なお「弘法大師」とは空海の死後85年も経ってからつけられた、民衆へのアドレスという新たなミッションを負わされた名前であり、宗教人としての空海とは全く別の人格であることに注意が必要だ。)密教は平安貴族のイデオロギー(=レジャー)としてローマ法王庁にも似た強大な力を誇り、後世の禅宗・浄土宗などのルーツとなると同時に、次第に自らも武装した政治的独立組織へと変化して行く。

やがて武士が勃興し、12世紀に鎌倉幕府が成立すると、武家社会が朝廷に対抗して自前のアイデンティティーを持つ必要が生じたため、武家の仏教として禅宗が興る。中でも栄西が宋から伝えた臨済宗が幕府のデファクト・スタンダードとして重用された。因みに幕府が朝廷を牽制する為に敷いた「京都五山」はすべて臨済宗である。この時期、幕府は武家社会において徴税・徴用・徴兵などのシステムを確立する必要に迫られていた為、鎌倉を頂点とする幕府の政体に武家が集結する体制の象徴として臨済宗が位置づけられた。(この点は中世ヨーロッパにおいてカトリック教区が行政単位として機能していたことと共通する面がある。)また禅宗の興隆と軌を一にして、平安貴族の瀟洒な宮廷文化とは対照的な、ストイックでシンプルな様式美が武家社会のキーワードとなる。建築では書院造り、庭園では枯山水。精神性を尊ぶ能や茶の湯が急速に浸透したのもこの為だ。

一方、同じく禅宗である曹洞宗系寺院の一部は幕府の仏教戦略に組み込まれたが、総本山である永平寺・総持寺は幕府と一線を画し、地方武士や農民に浸透する道を選んで裾野を広げた。このほか平安末期から鎌倉時代にかけて法然の浄土宗、親鸞の浄土真宗、日蓮の日蓮宗が興り、次第に巨大勢力へと成長して行く。いずれも民衆の救済を標榜し、民衆にアドレスして広く浸透を図る点で、それまでの南都六宗や密教系宗派とは全く異質であり、仏像の印象もかなり異なっている。

やがて応仁の乱を経て戦国時代が到来し、まず信長が覇権を確立する。信長は旧体制と結びついて巨大な武装組織と化していた仏教宗派を警戒するあまり比叡山を焼き、アンチテーゼとしてキリシタンを是認した。秀吉も当初これを踏襲したが、キリシタン宣教師達の真の意図が欧州列強による日本の植民地化にある事に気付き、弾圧に転じた。家康もこれを踏襲したが、仏教政策に関しては、この時期主要な各宗派が既にそれぞれの基盤を強固に確立していた為、特定宗派の突出を避けるバランス・オブ・パワーに徹した。家康による本願寺の東西分割はその好例である。安定した徳川長期政権の下、仏教各宗派も共存共栄の時代を享受した。

奈良貴族と南都六宗、平安貴族と密教、武家社会と禅宗。各時代の政体がそれぞれ自前の宗派を希求してきたが、明治維新によって誕生した新政府もその例外ではあり得ず、やはり自前の旗印を必要とした。王政復古という建前から、またタオイズムと融合した生活規範として既に民衆の間に広く定着していた神道がその役割を負わされたのはいわば当然の成り行きであり、一時は仏教をも吸収して軍政のイデオロギーとして機能した。だが第二次大戦後の日本の「民主」政体化と経済発展による所得水準の上昇により、それまでの仏教を含むあらゆる宗教イデオロギーが不要となり、一部の宗派は政治団体や実質的営利団体への、他の多くは冠婚葬祭の執行機関としての途を歩むこととなったのである。現代の日本に生きる我々が阿修羅像を見て「とてもいいお顔をしていらっしゃいますねー」としか言えなくなってしまったのはこの為なのだ。

阿修羅の視線は民衆に向けられてはいない。その手は千手観音とは違って民衆に差し伸べられているのではなく、古代インド舞踊の手の動きを表しているのだ。そしてその「とてもいいお顔」が表しているのは、阿修羅が日本に伝来する以前の出自・・・ヒンドゥー世界、ガンダーラ世界、さらに古代ギリシャ世界の造形美なのである。

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