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2009年3月26日 (木)

ランナーズ・ハイにとりつかれた松村邦洋

東京マラソンのレース中に倒れた松村邦洋の姿がどうしても自分と重なって見える。とても他人事とは思えないのだ。

ジョギングを始めたのは25年前、30代の半ばだった。毎朝数百メートルから始めて少しずつ距離を伸ばし、5年で8キロ走が定番になった。40代以降はセブン・イレブンの生活だったから平日のジョギングが出来なくなり、専ら休日にスポーツクラブのランニング・マシンで走った。海外出張の際もスポーツジムのあるホテルを指定して予約した。いつも8キロを大体1時間かけてゆっくり走ったが、体調の良い時とそうでない時のタイムの差は小さくなかった。前半ペースを抑えて後半上げてゆくと心地よいランナーズ・ハイが出現することも分かり、50代になっても体調が良い時には自己ベストが出るのが楽しかった。

そして1999年12月。いつものようにスポーツジムのマシンで走り始めたが、それまでにないほど早く息が上がって来た。30分で中止し、ジムのベンチに腰掛けた時に初めて軽い心臓発作が襲った。しばらく休息したら回復したので、その日はシャワーを浴びて帰ったが、その後頻繁に発作が起るようになって専門医を受診した。発作がない時の心電図は正常で、なかなか診断がつかなかったが、ホルター装着時にやや大きな発作が襲ったため、やっと心房粗細動との診断がついた。(松村邦洋の場合は、より重篤な心室細動だ。)薬剤の内服で発作を抑える方針が決まったが、フィットする薬が確定するまでに1年以上の試行錯誤を要し、その過程で発作を起こすリスク・ファクターも自覚できるようになった。スポーツのほかアルコール、疲労、冷気、タバコの煙、たった一晩の睡眠不足。睡眠導入剤も欠かせなくなった。

間もなく最初の発作から10年になる。生活領域が極端に狭くなり、たびたび不義理を重ねるに従って周囲から多くの人々が去り、家族と真の友人たちだけが残った。これはこれでよかったと今は思う。松村邦洋もランナーズ・ハイにとりつかれ、また周囲から多くの人々が去る事が耐え難くて、リスクを自覚しながらも倒れるまで走り続けたに違いない。だが、それも彼なりには悔いのない選択だったのではないかな、と思った。  

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