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2008年12月21日 (日)

ピカソ展と岡本太郎

東京でのピカソ展が終わった。いつも行きそびれるパリのピカソ美術館が改装のため、ゲルニカやアビニョンの娘たちこそ来ていなかったものの、東京で大量のピカソ作品をまとめて見る幸運に恵まれ、半日を費やした。

ピカソ作品も他の画家と同様、ナマと写真とでは全く違った。今回初めて分ったのは、ピカソは生涯を通じて究極の具象を目指していたのだという事だ。青の時代やそれ以前の作品のことではない。ピカソは対象の属性を表現することに生涯を費やしたのだと感じた。対象が物であればその属性を、人物画であればモデルの人格の内面を自分に見える通りに描く事で、ピカソは単なる表面の精密な描写をはるかに超える究極の具象を追及したのだ。ピカソ作品の鑑賞は対象のナカミをつかみ出す過程の追体験なので、膨大なエネルギーを必要とした。色彩や構図自体の美しさを極限まで追求したカンディンスキーやクレー(どちらも大好きだが)の抽象画が、いつまで見ていても心地よいのとは全く違うと感じた。

ピカソ展を見てからしばらく後、渋谷駅のコリドーに展示された岡本太郎の作品を見に行った。作品の前で一時間ほどぼんやり過ごし、これは紛れもなく岡本のゲルニカだ、と思った。岡本の内部で原爆はこのように見えていたのだ。巨大で大胆な構図の作品でありながら、細部まで岡本のインテンションが行き届いている。マークシティに昇るエスカレーターに乗ると作品の細部の見事な筆致を間近に見ることが出来る。岡本作品はピカソとは違って具象ではないと感じたが、やはり見る者は岡本の内部を追体験する事になるため、膨大なエネルギーを必要とした。

ところで、最近経営学部の学生でありながら心理学に強い興味を示す者が多い。教養課程で心理学を担当する非常勤講師の方の教鞭の賜物だろう。私自身の学部での専攻は心理学だった、という話をすると、なるほど、ファイナンスも人と人の関わりで成り立つから心理学が大いに役に立つでしょう、と反応される事が多いが、とんでもない。いくら心理学を学んでも他人の心の中まで分るようにはならない。心理学を学んで分かるようになるのは自分自身の内部だ。そしてこうした自分の内部を絵画や音楽、文章などの手段で表現できるならピカソや岡本のようになれるのだろう、と岡本作品の前でぼんやりと考えていた。

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