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2008年6月27日 (金)

株主総会の形骸化

毎年この時期、できる限り株主総会に出席するようにしている。去年までは3月決算企業の総会が一日に集中していたが、今年は総会日程が626日・27日を中心に多少分散したので従来以上の「はしご」が出来た。数社の総会に出席したが、今年は株主総会が形骸化し始めており、何らかの対応が必要だと感じた。

今始まった株主総会の形骸化はかつての形骸化とは全く異なる。かつて株主総会は総会屋の手に委ねられ、株主による機関決定機能を封殺されて形骸化していた。だが現在では総会屋が排除され、特に今年は多くの企業で内外のファンドを含む機関投資家が議案に対する賛否を積極的に表明したり、配当や取締役人事などに関する株主提案を行ない、また既存株主もそうした提案に対して賛否を明確に意思表示するなど、機関決定機能を発揮する株主総会が目立った。

ところがこうしたポジティブな変化と並行して、新たな意味での株主総会の形骸化が進行し始めたようだ。挙手し、指名されて発言する株主の半数以上は、自身の特殊個人的な嗜好・利害や体験に基づいて、論理的というよりも直感的・感情的に、時に不正確な日本語で、しばしば無意味に激昂しながら話す。議長はそれを無理矢理質問の形にパラフレーズし、丁寧に、だがステレオタイプな内容の答弁を行なって何とか質問者をなだめ、次の質問者を指名する。株主総会において質疑に充てられる時間の半分以上はこうして空費されているのだ。雛壇上では取締役たちが必死で笑いをこらえ、フロアでは(普通の)一般株主が苦虫を噛み潰す・・・こうした形骸化はなぜ起きているのだろうか。

一つは株主層の裾野拡大策として株式分割、取引単位の小口化を進める企業が多く、その結果ごく少数の株式を取得して総会に参加する個人株主が増えている為だろう。もう一つは過去ログ「平田篤胤の呪縛」に書いた、優越的立場に立った時の日本人(特にノンキャリ)特有のエキセントリックな弱者への攻撃性だ。個人株主の増加自体は良いことだが、株主総会にこうした直接民主制が浸透しすぎると、総会屋がいた時代と同様会社側はひたすら総会を早く終わらせることばかりに腐心するようになる。だが今は総会屋がいない分、かえって始末が悪い。

ギリシアの直接民主制は構成員が均質であったからこそ機能した。EUも構成国が先進工業国ばかりであった時代には、EUとしての意思決定は直接民主制による全員一致ルールで行なわれていたが、構成国が増加し多様化した今、多数決原理の本格的導入が必要になった。株主総会も株主数の増加・多様化と共に運営ルールを変更しないと、形骸化がさらに進行しそうである。せっかく芽生えてきた株主総会の機関決定機能をさらに向上させるためにも、何らかの形で(例えば総会出席権を一定の株数以上を保有する株主に限定するなど)、時間の空費を最小限にとどめる運営上の工夫が必要であると痛感した次第である。

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