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2007年8月 9日 (木)

ハリーポッターはなぜ7巻で完結したのか(番外編です)

 ハリーポッター7巻にはこれまで以上のダイナミックなスリルとロマンがあり、結末も感動的だった。幸いなことに、発売前に海外で流されていたネタバレ情報はほとんどデタラメだった。2年前の7月、6巻を読んで7巻の展開を予想するブログを書いた時には、2年後に連日「炎上」並のアクセスを頂くことになろうとは思っても見なかったので、ブログを読んで下さった方々や、コメントをブログに、また直接メールで寄せていただいた数多くの方々への感謝に代えて、ハリーポッター全7巻への思いを短くまとめてみた。

第7巻の内容について具体的に触れることは避けるが、全7巻を読んで強く感じたのは作者の考証へのこだわりだ。Hogwartsはイギリスの典型的な全寮制パブリック・スクールだし、主人公たちのQuidditchへの熱中ぶりはサッカー・フリークそのものだ。さらに、イギリス人の大好きな怪しい世界・・・ケルト的アニミズムや、動物やトランプが人間の言葉を話す不思議の国のアリスのファンタジーなど・・・が、物語全体に散りばめられている。

だが作者の考証はこうしたイギリス的な世界だけに止まってはいない。日本のKappa(河童)が登場した巻があったし、Deathly Hallows は日本書紀・古事記に出てくる三種の神器からインスピレーションを得ているのではないかと感じる。しかも、八咫鏡(ヤタノカガミ)はともかくとして、草薙の剣(クサナギノツルギ)と八尺瓊勾玉(ヤサカニノマガタマ)のイメージはDeathly Hallowsとかなり共通している。さらに、七つに分れた霊の一つひとつを追いかけてゆくストーリーの展開は、ハリーポッター全7巻を上回る大部のスペクタクルである南総里見八犬伝からヒントを得ているのではないかと思われる。だが分霊は「7」、南総里見八犬伝は「8」。この一つ違いの数字は何を物語っているのだろう。

東洋人は「7」よりも「8」という数字に落ち着き感じるようだ。八を含む四字熟語は枚挙にいとまがないし、人間の煩悩は八十八ヶ所の霊場を巡ったり(四国のお遍路)、108回鐘をついたり(除夜の鐘)することによって消えると言われている。オリンピックを1年後に控える中国は、今年8月8日の8時を期して大々的なプレ・オリンピックの祭典を催した。上述の三種の神器のうち二つに「八」が含まれていることにも注目したい。東洋人が8を好ましい数字と感じるのは、単に中国語の発音が「発財」(お金が儲かる)に通じるとか、八の形状が末広がりに通じるからではなく、8という数字が当たり前の生活習慣や生活規範、基本的な思考や発想の一部として、日々の暮らしの中に無意識のうちにしみ込んでいるからなのである。その代表例は風水だ。風水は我々の日常的な習慣や物事の感じ方に深く関わっている。

理気風水では方位の吉凶を重視し、個々人の生年月日によって決定される方位の吉凶に基づいて住居や墓、住居内の部屋や家具の配置などを決めるが、その基になる方位の基準は八つの要素によって構成されている(Wikipedia)。方位とは、平面上では東・西・南・北の4方向を基準として周角を8等分した物であり、また立体上では東・西・南・北に「天」、「地」および観測点である「中央」、さらにこれに「時間」を加えた八つの要素から成る。東洋人の宇宙は「8」で構成されているから、「8」という数字に区切りのよさ、落ち着きを感じるのは何の不思議もない事なのだ。

西洋ではどうか。西洋人の日々の暮らしの中に当たり前のようにしみ込んでいるのはキリスト教(西方系であれ東方系であれ、プロテスタントであれ)であり、「7」はそこに関連している。旧約聖書正典の一つである創世記には

1日目:原始の海の表面に混沌した暗闇がある中、神は光を作り、昼と夜が出来た。

2日目:神は空=天を作った。

3日目:神は大地を作り、海が生まれ、植物が出来た。

4日目:神は太陽と月と星を作った。

5日目:神は魚と鳥を作った。

6日目:神は獣と家畜と、神に似せた人を作った。

7日目:神は休んだ。

とあり、これが七曜制の起源となっているのだ。キリスト教徒の世界は「7」を基本として構成されているから、「7」という数字に区切りのよさ、落ち着きを感じるのは何の不思議もない。そしてハリーポッターが7巻で完結した理由も、正にここにある。

 ハリーポッター8巻が書かれることはない筈だが、もし書かれるとすると、それはもちろんハリーの子供たちの世代の物語だ。誰かがホグワーツの森でたまたま小さな石を拾うところから8巻が始まる。ストーリーの展開の鍵を握るのはスコーピアス・マルフォイ(それにしても何と言う名前だろう!)だ。スコーピアスの父はハリーに複雑な思いを抱くドラコ、そして母は何と、準主役級の活躍をしながら評価が低く、好きだったハリーに父親を侮辱されたルナだったのだ。そしてリドルの分霊が実はまだどこかに宿っていて復活の機を窺っている。その復活の条件とは?・・・世界中のハリーポッターの愛読者一人ひとりがそれぞれの第8巻を書き連ねてゆく、というのも悪くないかもしれない。これで本当に終わりでは、やはり寂しいから。。。

リファレンス:旧約聖書(創世記)、古事記、南総里見八犬伝、日本書紀、Wikipedia

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コメント

スネイプ教授様
こんにちは。東西数字の考察、そしてハリーポッターⅡの予測を興味深く読ませていただきました。
米国では(英国でも?)シリーズものは全7巻というのは多いです。その辺のことは詳しくありませんが、割り切れない数ということに意味があったのだったか・・・ダビンチコードにも数の意味など書かれていたような気がするので、再度読んで見たくなりました。
私的にはルナはネビルと一緒になってもらいたいのですが!

投稿: はなハム | 2007年8月17日 (金) 11時53分

はなハム様
コメントありがとうございます。7巻のルナの扱いにどうも納得できなくて。。。ハリーポッターⅡで意外な役割りを演じてくれると楽しいかもしれません。はなハムさんバージョンのⅡ、書いてください!

投稿: Snape | 2007年8月17日 (金) 13時13分

スネイプ教授様
どうやらクリエイティブではないようでアイディアが浮かびません。禁じられた森で「甦りの石」を拾うのは良いですね。落としたままなのは意味深です。
テディはハリーに勝るとも劣らない、ドラマティックな設定(両親の生き様やゴッドファザーが著名人)なので次世代の主役にぴったりですが、7巻エピローグの時点で既にホグワーツの学生で無いので無理かもしれません。
確かにルナは7巻では(最初から?)かなり気の毒でした。それに比べマルフォイは父がデスイーターだった割りに、かなり甘い処置だった気はします。私は気に入っていますが!

投稿: はなハム | 2007年8月20日 (月) 14時26分

はなハム様

コメント有難うございます。

ドラコはたしかに甘い扱いですね。しかもハリーたちが捕まった時、ドラコはそれがハリー本人なのかどうかの確認を避けました。ドラコが「こいつはハリーだ」と言っていたら、そこで7巻は終わってしまったかもしれません。ドラコがハリーたちを救った理由はダークロードへの逆恨みだけでしょうか?隠されていたドラコの真実が明らかになる、という筋書きも面白いのではないかと思います。

投稿: Snape | 2007年8月20日 (月) 17時36分

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