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2006年5月13日 (土)

インフレを知らない子供たち

 5月11日にNY金が1981年以来25年ぶりの高値である720ドル台(トロイオンス)をつけた。1980年につけた市場最高値850ドルを抜くとの観測も出はじめている。ドルもフリー・フォールが止まらなくなり、週末には対ユーロで史上最安値を更新する1.29台、対円でも8ヶ月ぶりの110円割れだ。どちらも米国の地政学的リスクとインフレ懸念が顕在化したためと説明されており(ブルームバーグほか)、今週は時代のパラダイムが「デフレ」から「インフレ」に変った事が最終確認されたターニング・ポイントだった、と言えそうだ。だが今の市場はインフレ耐性が弱い。1980年代前半の怒涛のようなインフレの修羅場を経験した経営者もディーラーも官僚も引退してしまい、インフレ初体験のデフレ世代が市場の中心になっているからだ。株式市場で外人に次ぐ準主役となった現在の個人投資家も「インフレを知らない子供達」なので、市場がクラッシュした時のパニックが増幅しそうだ。そこでこれからのポートを考えるための一つの手掛りとして、25年前の金価格とインフレの状況を振返って見ることにしよう。

 今から25年前の1981年は、筆者がニュージャージー州からハドソン川を渡ってマンハッタンのウォール街に通勤する生活を始めてからちょうど5年目。当時の金取引は現物(地金)であり、購入に際しては消費税が課せられていた。筆者は消費税率がNYより安いニュージャージー州民であった為、多くのNY市民から金の代理購入を頼まれた。その直後金価格は急落し、今週まで25年間元に戻る事はなく、多くの素人投資家が泣く泣くロス・カットしたものである。では1981年とはどんな年だったのか。

 1978年、イラン革命によりイランの石油生産が中断したため、WTIが2倍強に跳ね上がり(第二次オイル・ショック)、インフレ懸念が昂進した。ニクソン・ショック(ドルの金兌換停止)をまだ生々しく記憶していた市場はドル離れを起こし、中東産油国の間で原油の建値をドルからSDRに変更する動きが出るなど、ドルがフリー・フォール状態となり、1977年はじめに240円台であったドル・円は1978年10月末に176円台まで下落した。危機感を強めた米国は、なり振り構わぬドル防衛策と強い金融引締め策を発動し(カーター・ショック)、FFは1980年に20%まで上昇。1981年には下がったとは言えまだ12%台であった。1981年の平均WTI(バレル)は36ドル。現在のちょうど半分だった。ドルは1978年11月1日のカーター・ショックを契機に上昇に転じ、1981年には220円を中心に200円-230円の間で変動した。ドルは現在の2倍の価格だったという事になる。こうした当時の状況を現在と較べてみよう。当時と現在との共通点は、原油価格の高騰を引金とするインフレ懸念の昂進、及びドルのフリー・フォールと金利上昇の同時進行である。では今回も世界経済はハード・ランディングが避けられないのだろうか。

 この点を検討するためには、当時と現在との相違点に注目して見よう。第一の注目点は、当時と現在とでは原油価格高騰の理由が異なる為、インフレの性格が異なっている事だ。当時の第二次オイル・ショックは革命によってイランからの石油の供給が絶たれたことを端緒としており、経済政策ではどうすることも出来ないコスト・プッシュ型の原油価格高騰であった。だが現在はイラン、イラクの供給不安はあるものの、本質的には中国・米国の好況によるディマンド・プル型の原油価格高騰なのだ。このタイプのインフレは、上がったものはいつか下がり、下がったものはいつか上がるという経済輪廻(造語です)のサイクル内での出来事にすぎないから、いずれ落ち着く。25年前のコスト・プッシュ型インフレは現在のインフレよりもはるかに厄介なものであったから、FFを20%にまで引上げる荒療治が必要だったのである。今回の金利上昇サイクルは米国が既にピークアウト間近、欧州・日本がピークに向かいつつある段階であり、パニッキーな金利上昇のリスクはない。

 第二の注目点は市場のドル離れの程度である。上述の通り1981年の平均WTI(バレル)は36ドルであり、今はその2倍の水準だ。但しドルも対円で当時の半分に減価しているから、円ベースのWTIは当時と同じ水準に過ぎないのだ。さらに、原油価格は中国・米国の好況に牽引された実需を反映していると言えるが、金への需要動機は実需ではなく資産価値のヘッジであり、金利のつかない金の価格高騰は深刻なドル危機に繋がる。だが、WTIが25年前の2倍なのに金価格はまだ25年前と同じ水準。従って現在の市場が懸念しているインフレの深刻さの程度は、25年前よりもはるかに小さいと言えるのだ。

 第三の注目点は株価である。1970年代から80年代前半まで、NYダウは2000ドル台で極めて安定的に推移し、インフレと異常な金利急騰が起きた80年代前半にもほとんど影響を受けず、高金利が終息した1980年代後半になってようやく本格的騰勢に転じ、1987年のブラックマンデー・ショックによる調整を経て現在に至るまで上昇基調を維持している。この間日経平均はバブルとその崩壊・長期低迷を経てようやく昨年後半から出直って来たところだが、途中経過を無視して25年前と現在の2時点比較をして見ると、当時の米国株の時価総額はグロスGDPの40%、現在は120%であるから、25年間で3倍になった事になる。一方25年前の日本株の時価総額はGDPの25%、現在は100%であるから、こちらは4倍である。今週の株価は調整局面を迎え、東京でもNYでも欧州でも高値の大台を割った。日経平均は17,000を維持できずに16,600へ。NYダウは史上最高値圏から一転、連日の下落で11,381へ。ダウ欧州50種指数も3,500を割ってしまったのだが、長期的に見ると株式の時価総額の対GDP比率は、ブラックマンデー・ショックやバブルの発生・崩壊さえも消化して着実に上昇して来ているのだ。

 以上の通り、今回のインフレ・リスクは25年前とは異なり構造的なものではなく循環的なものであり、この為インフレの深刻度、金利上昇リスク、ドルの下落リスク、株価への影響がいずれも限定的な範囲に止まる可能性が高いから、インフレ初体験世代が得意とする「フロー要因による市場変動は『まだ』は『もう』の世界」という経験則の延長線上で、何とか乗切れるのではないかと考えられる。但し緊張感を持って注視して行かなければならない重要なポイントがあることを忘れてはならない。5月7日付ブログ「大型連休明けのポートフォリオ戦略」で指摘した通り、今回のドル離れにはパクス・アメリカーナが終ろうとしているという構造的な背景があり、この動きが本格的に動き出すと、景気循環によるフローの変化とは比較にならない規模のストック調整を引起こし、金利も為替も株価も手のつけられない激震となる。ストック要因による市場変動は不可逆反応であり、インフレ初体験世代の経験則では読み切れない「もう」は「まだ」の世界なのだ。これからの数週間がその試金石として極めて重要な時期となる可能性が大きいことに十分注意する必要があると考えている。

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