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2006年4月30日 (日)

IMFの死亡診断書

 APECには既に死亡診断書が出ていて、今は埋葬許可を待っている段階だ。WTOも早晩同じ運命を辿りそうな雲行きになって来ているが、IMFは大丈夫だろうか。

 先週末、IMFが貿易不均衡を是正するための二つの新しい枠組みを発表した。マルチラレラル・サベイランスとマルチラレラル・コンサルテーションである。4月24日付のFTによれば、アメリカの低貯蓄率、中国の硬直的な為替相場制度、日本やドイツ・産油国などの貿易黒字について早晩IMFに多国間協議の場が設けられるとの事だ。いまさら埃を被った諸問題をどう料理しようと言うのだろう。
 
 たしかに貿易不均衡の是正と為替レートの適正化はIMFのArticles of Agreement 第1条に謳われているIMF本来のミッションであるから、貿易不均衡を世界経済における構造的な問題として捉え、その解決の為に一肌脱いで汗をかく、というのは道理である。だが良く考えてみると、もともとIMFがアドレスして来たのは開発途上国の貿易不均衡や為替レートの問題だった筈ではなかったか。IMFは途上国に対して、貿易均衡を回復するための一時的な資金と処方箋をセットで提供してきたのである。しかしながら貿易取引に対する資本取引の比重が増加するに従って、貿易収支にアドレスするだけでは国際金融危機に対処できないことが明らかになってきた。1993年にERMが実質崩壊したのは国際的な資本取引がコントロールできなかった為であり、1997年のアジア通貨危機はこうした資本取引が開発途上国をも巻き込む時代が来たことを意味するものであった。国際金融危機のキーワードが経常収支から資本収支に変わるとともに、IMFの役割の限界が確認され、誰もがIMFにいずれ死亡診断書が出されるという予感を持ち始めたのである。今回の新しい枠組みは、一見するとIMFに新たなミッションが吹きこまれたようであるが、注意しなければならないのは、今回IMFがアドレスしようとしているのが途上国ではなくアメリカの貿易赤字であり、為替レートの適正水準への調整の名の下に中国に対する人民元の切り上げ要求までも視野に入れている事だ。IMF独特のジャーゴンで装飾された今回の声明の中には、IMF自らが本来のIMFの使命について死亡診断書を書き、代りに延命装置を取り付けた事実が読み取れる。先日「何をやっても絶対解決できないテーマは永遠のメシのタネだ。地方都市の町おこしがその典型例だ。」と同僚の教授に聞いて、なるほど、と思った。IMFもどうやらそれと同じパターンに嵌っているようである。

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2006年4月28日 (金)

金融引締めに転じた中国経済は失速するのか

 4月28日、中国人民銀行は人民元の1年物貸出金利を5.58%から5.85%へと引き上げ、銀行に対して融資の伸びの抑制を要請した。4月28日のブルームバーグによると、中国では今年の第1四半期(1-3月)に固定資産投資が29.8%、不動産投資が20.2%増加し、上海や大連などの主要都市では住宅価格が10%余り上昇したため、不動産販売や不動産価格を冷やし、海外からの投資に歯止めをかける事によって景気の過熱を押さえようとしたもので、これを受けて28日の東証では中国経済の失速懸念から株が売られ、日経平均は前日比208円安の16,906円と、17,000を割りこんで引けた。たしかにこれまで高度成長で世界経済を牽引してきた中国経済なくしては日本経済の脱デフレも、世界的な株高も、また原油をはじめとする一次産品価格の高騰も、はるかに浅く緩やかなものになっていた筈であり、市場が敏感に反応したのも肯ける。

 では、これから中国経済は失速に向かうのだろうか。その心配はない、と考えている。むしろ逆に、今回の金融引締めは中国経済が持続可能な安定的成長へとソフト・ランディングする為の第一歩と位置付けられ、中国が1990年代前半に確立した、開発途上国としては稀有の経済のマクロ・コントロール体制が引き続き健在である事を再確認したものであると言えよう。そしてその体制を確立したのは、後に江沢民政権の下で1998年3月から2003年3月まで国務院総理(首相)を務める事となる朱鎔基その人であった。以下その当時の経緯を振返って見よう。

 中国がようやく天安門事件(1989年)の後遺症から立ち直りつつあった1992年冬、鄧小平は南巡講話の中で改革開放の加速を指示し、同年10月の第14回党大会では社会主義市場経済が打ち出されて中国経済は一気に急成長から過熱へと突き進んだ。朱鎔基が中国人民銀行総裁に就任した1993年、上半期の固定資産投資は前年同期比六割増を記録し,中国経済クラッシュの危険性は中国にとどまらず、世界経済にとっての重大な懸念となった。1988年に上海市長に就任した朱鎔基は、1989年に党総書記として北京に転出した江沢民の後任として上海市委員会書記に栄進し、外資導入と汚職の取り締まりに辣腕を発揮した。この当時朱鎔基は厳しい市政運営ぶりで勇名を馳せた。上海市の幹部会議を主宰していた朱鎔基は、後部座席に控える部下の随員から耳打ちされながら発言を繰り返す幹部に対して、話が分っている部下と席を交代するように指示したという有名なエピソードを残している。1991年には鄧小平によって国務院副総理(副首相)に抜擢され、1993年には中国人民銀行総裁兼務となって正面からインフレ抑制に取り組んだ。この時期に朱鎔基は固定資産投資の対GDP比率を中間政策目標とする、現在の経済政策の基礎となっているマクロ・コントロール体制を導入し、太子党と言われる共産党幹部子弟のビジネスといえども例外は一切認めず、表裏両面からの強い政治的圧力に屈することなく聖域のない厳しい金融引締めを貫徹し、ソフト・ランディングを成功させたのである。当時は、かつてポール・ボルカーが負っていた世界経済に対する責任を今や朱鎔基が担っているとまで言われたものだ。私はIMF総会での会談の末席に連なったことがあり、小柄で精悍な風貌が今も鮮やかに蘇ってくる。

 今回の中国の金融引締めは、朱鎔基が基礎を構築した経済のマクロ・コントロール・システムが今も健在であることを内外に示すもので、長期的には株価にとって買い材料なのだ。今は昨年とは違って株なら何でもよいから買っておけばよい時代ではなく、銘柄選別が必要だが、中国経済がソフト・ランディングに向かうとなれば資源への需要は高位安定が予想される。素材・資源関連株の下げ場面では確実に買いを入れておきたい。また資源産出国(オーストラリアなど)の高金利通貨債は長期ポートとして仕込んでおきたい。因みにゼミのOGであるN嬢によると、炭素繊維関連銘柄に注目!とのことである。

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2006年4月14日 (金)

金利の期間構造と金融政策

 本日(4月14日)付の日銀レビュー・シリーズに掲載された白塚重典『金利の期間構造と金融政策』の要旨を以下に引用します。デフレの時代からインフレの時代に転換しつつある今、これからの長期金利(債券価格)と株価の動向を考えながら中長期のポートフォリオを思い切って組替えることが急務となりましたが、そのための頭の整理には大変参考になる論文なので、是非全文の一読を勧めます。

【要旨】最近のマクロ経済理論の中では、金融政策とマクロ経済変動の関係について、金融政策の操作目標となる短期金利に注目して解説されることが多い。しかし、実際には、中央銀行の金融政策の運営においては、短期金利と長期金利をつなぐ金利の期間構造が重要な役割を果たしている。まず、金融政策の波及メカニズムの中で、総需要の変動は中長期金利の変動と密接な関係があるため、短期金利の調節は、中長期金利を変化させることを通じて経済全体に影響を及ぼす。また、金利の期間構造は、経済主体が予想する短期金利の将来経路やインフレ予想に関する情報を包含しており、金融政策の運営上の重要な情報変数となっている。本稿では、金利の期間構造を介した金融政策と短期・長期の金利の関係を、期待仮説とフィッシャー方程式という2つの理論的基礎に即して説明し、最近のマクロ経済理論における金融政策とマクロ経済変動の関係について、金利の期間構造を軸に整理する。

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