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2006年2月13日 (月)

円の国際化外史(その2.デリバティブ)

(その1.貿易金融から続く)

 ISDA(国際スワップデリバティブ協会。デリバティブ取引に関する民間の自主ルールを運営している)が設立されたのが1985年。同協会が制定した「ISDAマスターアグリーメント」は現在「市場標準」として世界中でデリバティブ取引の基本契約書として利用されているが、実際にデリバティブ取引そのものが民間セクターで実需を背景に自然発生したのは1980年頃のことであった。そしてISDA設立以前のデリバティブ黎明期における円の比重は決して小さいものではなかった。この当時わが国の民間金融セクターは証券取引法65条及び三局指導による「銀証分離」の規制下にあったが、海外においてはユニバーサル・バンキングを展開し始めており、1981年にはIBM・世銀のドル対SFrに次ぐ史上2番目、ドル対円としては史上初のカレンシー・スワップが邦銀ニューヨーク現法によって組成された。

 当時本邦オリエント・リース社の香港現法が本社からの円の長期借入を原資として長期固定金利でのドル資金調達を望んでおり、そのため円の長期先物の「買い」に強い関心を有していた。一方米国の医薬品メーカーであるブリストル・マイヤーズ社は、対日輸出の荷揚げに神戸港を使用する関係で円建神戸市債の保有を事実上義務付けられていた為、当時の米国会計基準FASB8によって決算期ごとに円・ドルの為替相場変動に応じた時価評価を行う必要があり、営業損益とは無関係な決算損益のブレを中立化させる為に円の長期先物の「売り」に関心を有していた。当時ドル対円の先物市場は1年までしか存在していなかったが、邦銀ニューヨーク現法が両社のニーズをマッチングさせ、ドル対円の7年の先物を成約したのである。1983年には同じ邦銀のロンドン現法が初の対円スワップ付政府保証債(ユーロ・ドル建日本航空普通社債)をアレンジした。スワップの相手方は同じ邦銀のニューヨーク支店が1979年にトリニダード・トバゴ政府向けにアレンジした円建シンジケート・ローンの長期為替採算確定取引であった。

 このようにデリバティブの萌芽期に民間セクターが始めたドル対円のカレンシー・スワップは為替先物としてブッキングされていたが、わが国の金融監督当局はこうしたカレンシー・スワップの本邦内でのブッキングに対して極めて抑制的な行政指導を行っていた。長期資本市場における円の急激な国際化を回避しようとしていたのである。この事はユーロ円債に関する極めて緩慢な規制緩和の経緯を調べると一層はっきり分かる。短期資金市場においても、1984年に円転規制と実需原則が共に撤廃されて円の国際化の素地が作られたにも拘らず「その1」で述べた金融システムの二重性が温存された。当時の金融当局のこうした慎重なスタンスが結局民間で芽生えかけていた金融技術革新の芽を摘んでしまう結果となり、デリバティブ取引は欧米が主導権を握るISDAに取りこまれて行き、資本市場分野における円の国際化が後々まで遅延する一因となったのであった。

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