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2006年2月23日 (木)

量的緩和の解除とポートフォリオ戦略

 過去5年間にわたってポートフォリオを組立てる上での前提となっていたわが国の量的緩和政策は間もなく確実に解除されるだろう。そうなると長短金利や株価・為替はどのような影響を受けるのか、そして長期的なポートフォリオは今どのように組み替えておくべきなのか。これが今年のポートフォリオ戦略にとって最も重要なポイントである。もちろん簡単に答えが出るテーマではないが、考え方についての座標軸はしっかり作っておく必要がある。そこでまず手始めに、量的緩和政策が開始された5年前の2001年3月とはどんな時代だったのかを振り返って見るところから始めよう。

 金利から見て行くと、2001年3月のJGBのイールドカーブは5年が1%前後、10年が1.5%前後であり、今とほとんど同じだ。短期金利も今と同じでゼロであった。量的緩和が導入された時点では既に超金融緩和政策が定着しており、金利は底値圏と言えるレベルまで下がっていたのである。従って量的緩和以前の金利水準とは、2001年3月よりワン・サイクル前のレベルのことなのだ。どんなレベルなのか、具体的に見てみよう。

 JGB(10)の利回りは8%台で1990年代に入ったあと、ほぼ一本調子の下落を続けて1993年の半ばには3%台となる。その後1994年には一時的に5%近くまで上昇するものの再び下落に転じ、1998年9月に一瞬0.7%台をつけた後は2000年半ばまで1%台後半に落ち着き、それ以降は2003年6月の0.45%前後をボトムとして1%台前半で推移して今に至っている。従って現在の利回り水準である1.5%は過去5年半の変動レンジの上限なのだが、超金融緩和のワン・サイクル前のレンジ(1%台後半)からすると下限になる。量的緩和解除後のレンジは現レベルをボトムとして2%±0.5%程度と見るのが妥当だろう。一方短期金利は2001年3月時点で既にほぼゼロであった。1990年代初頭のコールレートは8%台であり、当初はJGB(10)の利回り下落にあまりフォローせず7%台で高止まり、1992年半ばまではJGB(10)との間で逆イールドが続いていたものの、その後は一本調子で下落した。1995年後半以降の約3年間は0.5%前後で安定し、さらに1999年前半以降現在に至るまで一時的な変動を除いてゼロ金利が続いている。従って量的緩和解除後のコールレートは超金融緩和のワン・サイクル前のレベルである0.5%程度と予想される。量的緩和解除後の金利水準は短期・長期ともに金融超緩和直前の1995-97年あたりまで戻る事になりそうだ。それ以上の金利上昇には更なる景気上昇やインフレといった追加的なエネルギーが必要だろう。景気については既に戦後最長の上昇記録を塗り替えつつある段階に来ているため、今後はむしろ落ち着いて来ると考えられるが、インフレについてはこのブログで過去何度も取り上げて来ているように財政対策としての官製インフレが引き起されるリスクがあり、量的緩和解除後も長期債価格のダウンサイド・リスクが根強く残るであろう事には注意を要する。

 株価はどうだろう。日経平均は2000年6月の20,000円台から2003年3-4月の8000円割れまで、一気に坂道を転がり落ちた。2001年3月の日経平均は12,000円前後。長い下り坂の中間点だった。現在の16,000円台は既にボトムからかなり回復した水準ではあるが、昨年8月以降の上昇が日本株の過小評価是正の動きであったため、現水準からのダウンサイド・リスクは小さい。まだ上り坂の途中であると考えてよいであろう。債券価格のダウンサイド・リスクが大きいことも株価にとっては追い風である。ただしこれからの上昇は昨年と異なり、かなりゆっくりしたペースになるであろうから、エクイティのポートフォリオはデイ・トレード型ではなく、長期的スパンを視野に入れて優良株・成長株をじっくり選ぶオーソドックスな発想に回帰することになるだろう。あとは個別銘柄の話になるが、資金調達サイドから見ると金利上昇によって負債のコストが大きく変わるから、負債比率の大小に応じて同一業種でも勝ち組と負け組とに二極分化する。J-Reitも然りだ。資産サイドから見ると、運用効率が急上昇する典型的な勝ち組はノー・コストの資金を潤沢に保有している筋だ。電子マネーの発行体のシニョレッジが急上昇するから、JR東日本などのSUICAグループやソニー・NTTドコモなどのEdyグループは大もうけだ。

 為替に目を転じると、2001年3月のドル円相場は125円。2000年末の100円近い円高水準から2001年末の135円に至る下り坂の真っ只中であった。現在の118円も昨年はじめの102円台から坂を下りてきた水準だが、量的緩和の解除に関連して注意を要するポイントが二つある。一つは日米長期金利差の縮小だ。10年物の国債の利回り格差は現在3%であるが、今後の米国の景気次第で今から1年後までに2%台前半程度まで縮小する可能性があり、そうなると金利差で買われていたドル債が売られ、ドルから円への資金の逆流が起る。もう一つはキャリー・トレードの解消だ。円金利の上昇はキャリー・トレード解消の引き金を引くから円の買戻しが発生する。どちらも円高要因なのだ。一方ユーロは昨年来このブログで分析している通り長期的に堅調が予想されるから、円高が対ユーロでも130円台前半あたりまで進む局面があればユーロ債を仕込む絶好のチャンスだろう。

 量的緩和の解除により、これまで流動性の罠に陥っていた大量の資金が動き出す。その兆しは既に昨年個人マネーが外貨預金や株式投信などに流れはじめた事実に如実に表れている。このブログのスタートは昨年5月であるが、丁度良いタイミングだったのかもしれない。金利裁定が復活し、ポートフォリオ編成の真価が問われる時代がやって来る。個人投資家のリスク資産の増加は今始まったばかりなのだ。

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2006年2月13日 (月)

円の国際化外史(その2.デリバティブ)

(その1.貿易金融から続く)

 ISDA(国際スワップデリバティブ協会。デリバティブ取引に関する民間の自主ルールを運営している)が設立されたのが1985年。同協会が制定した「ISDAマスターアグリーメント」は現在「市場標準」として世界中でデリバティブ取引の基本契約書として利用されているが、実際にデリバティブ取引そのものが民間セクターで実需を背景に自然発生したのは1980年頃のことであった。そしてISDA設立以前のデリバティブ黎明期における円の比重は決して小さいものではなかった。この当時わが国の民間金融セクターは証券取引法65条及び三局指導による「銀証分離」の規制下にあったが、海外においてはユニバーサル・バンキングを展開し始めており、1981年にはIBM・世銀のドル対SFrに次ぐ史上2番目、ドル対円としては史上初のカレンシー・スワップが邦銀ニューヨーク現法によって組成された。

 当時本邦オリエント・リース社の香港現法が本社からの円の長期借入を原資として長期固定金利でのドル資金調達を望んでおり、そのため円の長期先物の「買い」に強い関心を有していた。一方米国の医薬品メーカーであるブリストル・マイヤーズ社は、対日輸出の荷揚げに神戸港を使用する関係で円建神戸市債の保有を事実上義務付けられていた為、当時の米国会計基準FASB8によって決算期ごとに円・ドルの為替相場変動に応じた時価評価を行う必要があり、営業損益とは無関係な決算損益のブレを中立化させる為に円の長期先物の「売り」に関心を有していた。当時ドル対円の先物市場は1年までしか存在していなかったが、邦銀ニューヨーク現法が両社のニーズをマッチングさせ、ドル対円の7年の先物を成約したのである。1983年には同じ邦銀のロンドン現法が初の対円スワップ付政府保証債(ユーロ・ドル建日本航空普通社債)をアレンジした。スワップの相手方は同じ邦銀のニューヨーク支店が1979年にトリニダード・トバゴ政府向けにアレンジした円建シンジケート・ローンの長期為替採算確定取引であった。

 このようにデリバティブの萌芽期に民間セクターが始めたドル対円のカレンシー・スワップは為替先物としてブッキングされていたが、わが国の金融監督当局はこうしたカレンシー・スワップの本邦内でのブッキングに対して極めて抑制的な行政指導を行っていた。長期資本市場における円の急激な国際化を回避しようとしていたのである。この事はユーロ円債に関する極めて緩慢な規制緩和の経緯を調べると一層はっきり分かる。短期資金市場においても、1984年に円転規制と実需原則が共に撤廃されて円の国際化の素地が作られたにも拘らず「その1」で述べた金融システムの二重性が温存された。当時の金融当局のこうした慎重なスタンスが結局民間で芽生えかけていた金融技術革新の芽を摘んでしまう結果となり、デリバティブ取引は欧米が主導権を握るISDAに取りこまれて行き、資本市場分野における円の国際化が後々まで遅延する一因となったのであった。

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円の国際化外史(その1.貿易金融)

 国家や政府が「上から」正式に記したものではなく、民間によって「下から」書かれた歴史を外史と言う。日本の政府当局はさかんに円の国際化(円が日本の国境を跨いで、また日本国外で使用されること)を推進しようとしているが、円に限らず通貨の国際化は「上から」ではなく「下から」進む。つまり民間セクターが当該通貨の国際的使用に持続的な経済合理性を認知した場合に初めて国際化が進展するのだ。従って円の国際化についてもその「下から」の外史をふまえた上で方向性を考えることが大切であるが、民間セクターは歴史を書き残すことが本来の使命ではないから、どうしてもビジネスの記録性が希薄になり勝ちである。今回の2回にわたるシリーズは私の既発表論文から、円の外史に関わるエッセンスの部分を貿易金融及びデリバティブに分けて、学生など初学者向けに箇条書程度に書き換えたものである。

 貿易取引における円の国際化は以下に紹介する通り1970年代後半、ユーロ円ではなくヤンキー円の形態で始められた。円建貿易金融の最初の試みは、1970年代後半にニューヨークにおいて一部邦銀が行った円建OAD(オウン・アクセプタンス・ディスカウンテッド)方式による貿易金融である。わが国の企業の対米進出増加(この時期は製造業の販売現法が主であった)に伴い、本社と在米支社または現法との間の円建貿易取引が増加したため、邦銀が米国サイドにおいて日米間貿易に関わる円建荷為替手形の引受け及び割引きを通じた貿易金融を行ったものであり、ニューヨークにおける円の調達は米ドルを原資とするインターバンク為替先物取引(円対ドルの為替スワップ)によって行われた。また、同時期一部の邦銀ニューヨーク現法は顧客から円建定期預金の受入れを開始し、これも円建OADの原資の一部となった。円建定期預金に対するニーズは円高の進行(1977年初の240円台から1978年10月末の176円台へ)もあり日系企業の在米現法のみならず対日取引を行っている米国大手企業からも高かったが、こうしたニューヨークにおける円の国際化は、1978年11月のカーター・ショックを契機とするドル高基調への転換(1985年9月のプラザ合意まで継続した)と、円建OADそのものがセカンダリー・マーケットにおける流動性を前提としたものではなく、邦銀間での日系顧客の日米間貿易為替取引争奪競争における限界的な金利ダンピングの手段にすぎなかった為、市場規模の拡大に対応し得る経済合理性を欠いていたところから、最終的に定着するには至らなかった。
 
 次に円建貿易金融が試みられたのは1985年における円建BA(バンカーズ・アクセプタンス)市場の創設であったが、これも市場残高が漸減し、市場創設後5年にして自然消滅した。円建BA市場の失敗については多くの研究がその原因を技術的・制度的要因(原手形の日銀への担保差し入れが必要とされていた事、当初は階級税率による印紙税が課せられていた事など)に求めているが、基本的には上述のニューヨークにおける円建OADと同様セカンダリー・マーケットにおける流動性を欠いていた為に、市場としての持続可能な経済合理性が欠如していた事がポイントである。当時のわが国の金融・産業界においては信用リスク格差(有担保・無担保の別も含めたリスク・プレミアム)が適用金利に反映される度合いが低く、その為貿易貨物によって担保されているBA手形の信用リスクの低さが、担保力において劣後する他の短期金融手段に対する金利形成面での比較優位の確立に結びつかなかったものだが、この事はより基本的には1980年代後半、規制金利体系下の保護された金融システムと自然発生したマーケット・メカニズムに基く自由金利体系の金融システム(表面的には外貨取引として窓口規制の外に置かれた自由金利のスワップ付インパクトローン・外貨預金など)が並存し、それらの恣意的使い分けが放置され、マーケット・メカニズムと自己責任原則との対応関係が制度化されなかった事に起因している。また上に紹介した貿易取引面での円の国際化に関わる2つの失敗事例は、いずれも今後の円の国際化のあり方を検討する場合、セカンダリー・マーケットにおける流動性に裏付けられた持続的な経済合理性の有無が極めて重要な視点であることを示している。

 次回はISDA設立(1985年)以前のデリバティブ黎明期における円について見て行く。(その2.デリバティブに続く)

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2006年2月11日 (土)

所得格差とジニ係数(その2)

(その1から続く)

 「その1」で所得格差を国際比較してみたところ、貧富格差が最も大きいのは中南米諸国であった。次いでアジア各国、西欧及び米国、北欧諸国の順番で貧富格差が小さくなり、日本は北欧と並んで所得配分が最も平等なグループに属していることがわかった。それではこのような所得格差はなぜ生じたのか、また日本は本当に最も平等な国であると考えてよいのだろうか。

 北欧の所得格差が小さい理由はわかりやすい。北欧諸国はどこも高所得・高税負担率・高福祉の「大きな政府」であり、それを可能にしているのが豊かな天然資源と少ない人口である。アジアでは人口の少ない産油国であるブルネイがこのタイプに近い。それでは中南米はなぜアジアよりも不平等なのだろうか。謎解きのヒントは、「その1」で見た通りアジア各国の中で最も平等度が低いのがフィリピンであるという事実に隠されている。

 フィリピンのエスタブリッシュメント、つまり歴代大統領や政治家、軍人、財界のビジネスリーダー、大学教授などは、たとえ政敵や競合相手同士であっても互いに顔見知りの社交界のメンバーであり、地方の大農園の「不在地主」として膨大な収入を得ている人達なのである。かつての宗主国スペインが用いた植民地支配構造がそのまま今も保持されているのだ。不在地主の家系に生まれなかった者がマニラ大学に入学したり、中退してIT企業を興し、株式を上場したり分割したり他の企業を買収したり、挙句の果てにやりすぎて立件・訴追されるようなことは有得ない。モビリティ(社会的流動性)が低い社会なのだ。こうした大農園における労働力の供給源は植民地時代には農奴であったが、独立以降もそれが小作農に変わっただけで不在地主の支配構造が維持されている。農地改革が不十分だったのだ。農奴も小作農も、割当てられた生産ノルマさえ達成すればそれ以上いくら農法を工夫しようが働こうが所得が増加するわけではないから、自律的な生産性向上意欲が低い。そして農業生産性が向上しにくいと言う社会構造の特徴はフィリピンだけでなく、かつてスペインの植民地支配下にあった中南米諸国によって共有されているのだ。こうした社会構造は経済発展の阻害要因となる。農業生産性が上昇しない社会では、不況時に工業セクターの過剰労働力を農業セクターが十分吸収することができず、大量の人間が飢餓線上に浮上してしまうから、不況耐性が弱い上に政治的に不安定になりやすく、クーデターが頻発する。従ってビジネス環境が安定せず、海外直接投資の吸引力も弱まってしまうのだ。

 これに対して、主要なアジア諸国においては日本も含めて何らかの形で農地改革が実施され、不在地主層が解体されてかつての小作農が自営農に変わった。自営農は工夫・努力次第で所得が増加するから自律的な生産性向上意欲が強い。そしてこうした農業生産性の高さが土地に縛り付けられない労働のモビリティを高めている。アジアでは生産性とモビリティの高い農業セクターが好況時には工業労働力の供給源、不況時には余剰労働力を吸収する受け皿として、失業や社会不安・政治的混乱をブロックするクッションのような役割を果している為、中南米に比べてより安定的なビジネス環境が形成されているのだ。

 エスタブリッシュメントの家系に生まれない限り、サッカーのトップ・プレーヤーにでもなればともかく、いくら頑張っても貧困から抜け出せない「絶望の民」になるしかない中南米。マイノリティに生まれればプロのトップ・アスリートかヒップ・ホップ・シンガーにでもならない限り浮上できない、「アメリカン・ドリーム」を死語にしてしまったアメリカ。将来に希望を持てない外国人労働者層との軋轢が高まる西欧。あまり頑張らなくても所得水準が高く配分が公平な、天然資源に恵まれて人口が少ない幸運な北欧やブルネイ。日本は天然資源に恵まれない人口の多い国であり、北欧とは逆の構造だ。にもかかわわらずなぜ所得配分が平等なのか。それはモビリティーが極めて高いからだ。エスタブリッシュメントの解体と農地改革による小作農の自営化が徹底して行われたことが日本のモビリティの高さを支えてきたのである。これまでの日本は他の諸国に比べると誰にでもより平等にチャンスがあり、努力次第で所得を増やすことができた。ボキャ貧の小泉首相が「所得格差の拡大は悪いことではない」と発言して物議をかもしたが、好意的に解釈すれば彼の真意はこのあたりにあったのではなかろうか。だから日本の将来にとって決定的に重要な事は、ジニ係数で測った所得格差が拡大するかどうかではなく、ジニ係数では測ることが出来ないモビリティの高さを維持できるかどうかなのである。そして中国やインドが21世紀の真の大国となり得るかどうかも、正にモビリティをどこまで高められるかにかかっていると言ってよい。

 エスタブリッシュメント層が固定され、モビリティを失った社会は成長のモメンタムを失い、衰退して行く運命にある。そしてこうした社会では、情報から遮断されていた時代の「絶望の民」は宗教に来世の救済を希求した。今、情報手段を手に入れて「覚醒」してしまった「絶望の民」の間では、自爆テロにしか「生きた証し」を見出せない過激な原理主義の思想が生まれて来ているのだが、これについては別の機会に稿を改めて考えてみる事としたい。

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2006年2月 8日 (水)

2月のスタートはトリプル安

 2006年のスタートは株価・債券・円・商品がそろって上昇するクウォドルプル高であった(1月5日付「2006年のスタートはクウォドルプル高」参照)。ところが2月に入ると様相が一変し、商品価格以外はすべて天井を打って下落に転じた。トリプル安である。特にJGBの2月8日の終値は10年が1.58%、5年が0.97%と、「冬の個人向け国債」(10年変動0.68%、5年固定0.8%)を買った人達をあざ笑うがごとき展開だ。これをどう解釈すればよいのだろうか。

 まず、年初のクウォドルプル高の局面で失われていた株価と円債価格とのトレード・オフが依然として復活していない。需給的には銀行がJGB保有高を減らしていることが影響しているのだろう。今後は日銀の量的緩和終焉がいよいよ現実のものとなり、JGBに対する売り圧力はさらに増加するから、これからの円債価格は株価から独立していよいよ下落トレンド(金利の上昇)に入って行くだろう。

 日経平均は年初高のあと、一たんはライブドア・ショックを乗り越えてV字型の回復を見せたものの、回復局面を主導したのは大手不動産株で、姉歯ショックを吸収して指値では買えないほどの勢いで一気に相場を引っ張ったが、三菱地所の2700乗せあたりでさすがに目標達成感が出て2月8日には16300円割れまで失速した。昨年8月以降の株価が上昇一辺倒の不可逆的な動きであったのは、買いの源泉が日本株全体の過小評価が国際的に是正されるストック調整(中長期ポート構成の入れ換え)であった為だが、水準訂正が終了したため銀行株や輸出関連株にはもう昨年の勢いはなくなっている。今年に入ってからの株価はストック調整ではなく、個別銘柄ごとの材料に注目したフローで動くようになっており、好調な3月決算の株価への織込みが終って高値では利食い売りが出るという、典型的な循環的・双方向的価格変動パターンに変化してきた。これからの株価は昨年とは異なり、とにかく買っておけば儲かるというわけには行かなくなった。

 円安については、年初の円高がドルからユーロに流れた資金の「お裾分け」に過ぎなかったから、円の基調的な弱さは変っていないと言える。また円と円債価格とのコンベンショナルな連動性が復活し、円債価格との間でネガティブな循環が成立しているので、円債トレーダーは円も円債も安心して売れるという、妙な心地良さを感じている筈だ。

 そうなると今年のポートのポイントはやはり昨年来指摘してきた通り円債からのExitだが、Equityが最早本格的な受け皿にはなりにくいから、イールド・カーブを見定めつつショート先行で、こまめにマチュリティなどの中味を入れ換えて持ち値をメンテナンスして行くしかあるまい。円投外債は基本的には積み上げたいところだが、特にユーロの現在の141円台はチキン・レースの領域に入っているので、仕込むには慎重さが必要だ。いずれにしてもFixed Incomeは円にせよ外貨にせよポートのベースなので処分してしまうわけには行かないから、当面キャッシュを厚めにキープしつつ持ち値操作に徹するしかないようだ。今年はポートをデンと作って果報を寝て待つようなわけには行かなくなりそうである。

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2006年2月 2日 (木)

所得格差とジニ係数(その1)

 1月20日召集の通常国会でわが国の所得格差が拡大しているのではないかという問題が提起され、所得格差の国際比較がさまざまな議論を呼ぶ中で、ジニ係数がにわかに脚光を浴びた。初学者に対して「経済学は面白いぞ」という事を講義で教える時、材料の一つとして私もジニ係数をよく使うが、一般にはあまり馴染みのない概念ではないだろうか。ジニ係数とは所得分配の平等度、つまり貧富の差の大小を示す指標であり、全員の所得が同額になる状態をゼロ、1人が全所得を独占している状態を1と表す。2次元グラフにおける45度線とロレンツ曲線で囲まれた面積を2倍したものの事なのであるが、たしかに少々わかりにくい。例えば厚生労働省の所得再分配調査によるわが国のジニ係数は1980年の0.32が2001年の0.38まで上昇しているのだが、この数字だけを見てどの程度所得格差が拡大したのか具体的なイメージを描ける人はほとんどいないのではなかろうか。そこで、もう少し分りやすい指標を使って所得格差を国際比較してみよう。

 使用する指標は、所得上位10%層(所得が多い方から数えて10%までの人たち)の合計所得が総所得全体に占める割合である。この数字が大きいほど所得格差が大きいことを表わす。もしこの数字が100%だとすると、国民の10%にあたる人々だけですべての所得を独占していて、残りの90%の人々は所得がない、という極端な所得格差の存在を示す。逆にこの数字が10%だとすると、人口の10%にあたる人々の所得が国全体の所得の10%でもあるから、所得格差のない社会であるということになるわけだ。世界銀行のWorld Development Indicators Database 2005には世界123カ国の計数が掲載されているので、これを使って国際比較をしてみよう。測定された時期が国ごとにかなりバラバラなので大雑把な比較になるが、それでも興味深い事実が浮び上って来る。

 所得格差が大きい順にランキングを作ってみると、上位は中南米が独占する。グアテマラ48.3%、チリ47.0%、ブラジル46.9%、コロンビア46.5%、メキシコ43.1%、アルゼンチン38.9%、ペルー37.2%。アジアの主要国は34位にフィリピンの36.3%が顔を出し、タイ33.8%、中国 33.1%、シンガポール32.8%と続く。49位にアメリカが29.9%で登場し、その後にやっと欧州の主要国が出てくる。ポルトガル29.8%、イギリス 28.5%、イタリア26.8%、スイス 25.2%、フランス 25.1%、ドイツ 22.1%。ランキングの最後には北欧諸国が並ぶが、日本は123カ国中122位の21.7%でスウェーデンとデンマークに挟まれている。日本は所得の多いほうから10%までの人達の所得が全体の所得の20%強を占めているにすぎず、世界で2番目に所得格差が小さい国であるということになるのだが、本当にそう考えてよいのだろうか。また、なぜ中南米諸国の所得分配はアジアよりも不平等なのだろうか。次回はこうした点について更に考えて見る。(その2に続く)

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