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2006年1月24日 (火)

センター入試(リスニング)とリスク管理

 来週の証券論の補講は金融工学のイントロダクションとしてリスク管理を取り上げるが、格好のケーススタディの材料が出てきた。多くの学生がこのブログを見ているのでここで取り上げてみる。

 ハイリスク・ハイリターンとかロ-リスク・ミディアムリターンという言葉を耳にして何となくわかったつもりになっていると罠にはまる。どのくらいのリスク量でどのくらいのリターンなのかが定量的に(=具体的な数字で)把握でき、相互に比較できないと、リスクに見合わないリターンの運用を勧められて手を出し、売り手に不当に大儲けされてしまう危険があるのだ。いま手許に百万円あるとして、トヨタの株とドル預金ではどちらがどのくらい損失リスクが大きいのか?ニュージーランド・ドルの国債とフォードの社債ではどうなのか?百万円の資金をどんな投資対象にどんな比率で振り分ければ一番リスクが少ないのか?金融工学ではこんなテーマを扱う。そのためには投資対象ごとのリスクの量を数字で把握し、比較したり足したり引いたりする必要がある。リスク量はVaRなどを使って計測すればよく、そこから具体的なリスク管理(リスクを増やしたり減らしたり)が始まるのだが、その前に「リスク」と「不確実性」(Uncertainty)をしっかり区別し、混同しないように注意する必要がある。どちらも損失の原因である点は同じだが、「リスク」は予見可能な事象の内でその量が定量的に計測でき、さらに対策が可能な損失原因を指す。「不確実性」は予見、計測または対策が不可能であるから、そもそもリターンとの関係を比較することができないのだ。

 具体的に見てみよう。阪神淡路大震災は未知の活断層によって発生したためほとんど予見されておらず、シミュレーションも事前対策も特には行なわれていなかった。「不確実性」であったと言える。一方東海大地震は起る前から名前がついている初めての地震と言われるように既に多数の観測機器が設置されていて、予兆がキャッチされれば判定会議が開かれ、国や自治体が直ちに動き出す。交通網やライフラインへの影響は何回もシミュレーションが行なわれて相当程度定量的に把握できている。建物の耐震強度補強費用の補助や防災グッズの普及促進、地震発生時に備えた避難訓練なども行われ、事前対策が進んでいる。「不確実性」の世界から「リスク」の世界へかなり近付いてきたのだ。リスク管理の最初のステップは「不確実性」をできるだけ「リスク」に変換してゆくところからスタートするのである。

 さて、先週末に実施された大学入試センター試験では今回初めて英語に「リスニング」の試験が導入され、受験生は一人一人ICプレーヤーを渡されてイヤホンで問題を聞きながら解答した。ICプレーヤーの不具合等で問題が聞き取れなかった場合はその場で再テストが実施され、全国で461名(受験者全体の0.09%、1100人に1人の割合)が再テストを受けた。このため入試センターの責任を追及する報道が相次ぎ、文科大臣も記者会見で受験生に陳謝した。このエピソードはビジネス・リスクの管理という観点からはどう考えればよいのだろうか。

 リスニングのテストは今回が初めての実施だが、事前に入試センターが行なった模擬テストでは不具合の件数は少なく、またICプレーヤーは事前に全数検査が行わていたという。ICプレーヤーの不具合率を入試センターがどう想定していたかは分らないが、再テスト受験率が0.09%であり、そのすべてがICプレーヤーの不具合によるものだったと仮定すると良品率は99.91%となり、これは通常の品質管理で使われる3σ(=99.7%)を上回る精度だ。また金融工学で扱うリスク量の信頼区間は2σが標準で、それ以上はストレス・テストで対応する。従って今回のICプレーヤーの良品率は十分高いと言ってよく、これ以上σを上げるには相当のコストがかかることが予想される。(尚ICプレーヤーのコストは今年値上げされた受験料に含まれている。)

 しかしながら入試は受験生にとって一生を左右しかねない大切なイベントであるから、さらに「不確実性」の要素を可能な限り排除する必要があった。これが金融工学で言うストレス・テストに相当する。この点入試センターは、受験生が「聞き取れない」と申し出た場合にはICプレーヤーの不具合をいちいち確認することなく、すべてその場で再テスト(中断個所からのやり直し)を実施することとしていた。従って信頼区間をはみ出す、正規分布グラフの端の部分(リスクではなく「不確実性」の領域)についての対策も十分なされており、さらに実際の良品率は99.91%よりも高かったと考えられるから、「不確実性」の要素は可能な限り「リスク」に転換されて十分コントロールされていたと判断できる。但し「聞き取れない」と申し出たにもかかわらずその場での再テストが認められなかったケースが全国で5件あったとのことで、これについては明らかにルール違反であるから試験会場である現場の責任が問われる。ただしこの場合でも受験生は入試センターに直接苦情を申し立てることが出来、後日の再試験が認められているから、現場がフェイルした場合のセーフティー・ネットもきちんと機能したと言える。入試センターのリスク管理は万全であったと言ってよいのではないか。むしろ入試センターは記者会見で頭を抱えるばかりでこうした説明責任を果さず、受験生やマスコミをはじめとする関係者の理解を十分得られなかったことが問題だ。来年は良品率100%を目指したいなどという発言は、たとえ記者会見の場の雰囲気に押されたリップサービスにせよ無用の誤解を生むだけであり、リスクマネジメントの観点からは有害無益だ。繰り返すがリスクマネジメントの第1歩は「不確実性」を可能な限り「リスク」に転換することであり、それが終ったところからやっとリスク量の定量化という金融工学の世界が始まるのである。

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