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2006年1月25日 (水)

外貨準備と中国

 人民銀行の発表によると2005年末の中国の外貨準備が8189億ドルに急増したとのこと。今年中に日本(同約8469億ドル)を抜いて世界一になるだろうと推測されている。だがアメリカの外貨準備は中国の10分の1だ。外貨準備が多いとどんな良いことがあるのだろうか。これを機会に外貨準備の見方、考え方を整理してみたい。

 外準は国の対外支払準備であり、その最低必要保有額は通常対外支払債務の3ヶ月分と言われている。これは対外資本取引を厳しく制限している国であれば輸入の3ヶ月分とみなし得るから、そこから計算すると中国の外準の最低必要ラインは約1400億ドル(2004年基準)となり、中国はその6倍近くの外準を保有していることになる。同じ基準で計算してみると、日本の輸入の3ヶ月分は1170億ドル、外準はその7倍強であり中国と大差ないが、米国の輸入の3ヶ月分は4500億ドルで、外準はその20%にも満たない。ドルが基軸通貨だから米国は外貨を保有する必要がなく、対外決済に必要であればドルをいくらでも発行すればよいのだ。

 米国以外の国が最低必要額を超えて外準を保有する意味は二つある、一つは資本取引にかかわる対外支払債務のカバーだ。国際間の資金移動が貿易取引だけなら外準は輸入の3ヶ月分でよいが、資本取引を自由化している国の場合にはそれよりはるかに大きい支払準備が必要である。ところが資本取引の規模は貿易取引と違って常に大きく変動していて、あらかじめ見当がつけられないから、外準がいくらあればよいのかを判断する基準が作りにくい。ただ資本取引を自由化していない中国が最低必要額の6倍近くの外準を保有していることは、アメリカから見ると輸出のし過ぎ、外準の貯め過ぎであり、人民元相場をフロートさせるか切上げるかして貿易黒字を減らしてもらいたい、という事になる。もう一つは外準が多ければ多いほど経済政策の裁量の余地が拡大するという点である。香港はカレンシー・ボード制(金本位制における金準備を外貨準備に置き換えた制度)を採用しているが、香港以外でも実質的なカレンシー・ボード制を採る国は多い。かつての日本も戦後長い間経済政策が外準に制約される時代が続いた。景気が上向いて輸入が増加し、外準が減少すると内需を抑制せざるを得ず、国内景気にブレーキがかかった。当時「国際収支の天井」と呼ばれたこの実質的カレンシー・ボード制は輸出主導の高度成長期に入るまで続いたのである。現在も多くの発展途上国が外準を睨みながら内需やハイパワードマネーをコントロールしているが、こうした実質的カレンシーボード採用国では外準が多いほど経済政策の裁量の余地が大きくなる。

 次に外準にも名目と実質があることに注意しよう。名目外準は国際収支統計として公表されている計数にすぎないが、実質外準は当該国の政府が実際に使用できる支払い準備であり、より重要な概念である。実質外準の値は「名目値+-コミットメント」を計算して求める。名目値に加算するコミットメントとは直ちに使用できる外貨のクレジットラインのことで、コンディショナリティーに縛られたIMFの融資枠のような直ちに引き出せないものは含めない。アジア通貨危機以降2国間・多国間の緊急支援枠が整備されて来ており、チェンマイ・イニシアティブ(懐かしい!)はこの典型だ。逆に名目値から差し引くのは、当該政府が先物で民間セクターに対して外貨の売却をコミットしている残高のうちの短期部分(1年以内)である。民間が自国通貨を「外貨借入+スワップ」で調達し、政府がその先物カバーに応じている場合は、政府は先物で外貨を民間セクターに売却する約束をしている。その部分は政府が勝手に使ってしまうわけにはいかない外貨であるから名目値から差し引くのだ。ただこうしたコミットメントは国際収支統計には計上されておらす、特に名目値から差し引くべき支払いコミットメントはほとんど対外公表されていないため、様々な情報源から推測するしかない。

 また、国によって外貨の地方政府から中央政府への集中度が上昇すると外準が急に増加したように見えることがある。地方分権が進んでいる国においては地方自治体が中央政府とは別に独自に外貨準備を保有している場合があり、中央政府もこれを把握しておらずコントロールもできない。かつての中国がその典型である。鄧小平の南巡講話を契機にまず広東省から本格的な経済発展が始まり、沿海部の各省が発展を競う中で省単位で行政も経済もかなりの程度自己完結する、ミニ連邦制的な体制がいったんは成立した。ところが1998年以降各省ITIC(国際信託投資公司)の破綻が相次ぎ、中央政府は国全体としての経済のマクロ・コントロールを強化する必要に迫られた為、外貨管理の中央集権化を進めた。2000年以降の中国の外準急増には、地方自治体の外準が単に中央政府に移管されただけにすぎない部分が少なからず含まれていると言われている。

 最後に、外準の増減と経常収支尻からトータルの資本取引を逆算することができるという事を覚えておこう。経常収支と外準増減との落差が誤差脱漏も含めた資本取引の合計である。そこからネットの直接投資を差し引けば、内外のポートフォリオ性資金の動向の見当をつけることが出来るのだ。投機的な短期資金の動きを調べる時には結構使えるツールだが、それでもコンティンジェント取引まで正確に捕捉することはできないという事には十分注意しておこう。

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2006年1月24日 (火)

センター入試(リスニング)とリスク管理

 来週の証券論の補講は金融工学のイントロダクションとしてリスク管理を取り上げるが、格好のケーススタディの材料が出てきた。多くの学生がこのブログを見ているのでここで取り上げてみる。

 ハイリスク・ハイリターンとかロ-リスク・ミディアムリターンという言葉を耳にして何となくわかったつもりになっていると罠にはまる。どのくらいのリスク量でどのくらいのリターンなのかが定量的に(=具体的な数字で)把握でき、相互に比較できないと、リスクに見合わないリターンの運用を勧められて手を出し、売り手に不当に大儲けされてしまう危険があるのだ。いま手許に百万円あるとして、トヨタの株とドル預金ではどちらがどのくらい損失リスクが大きいのか?ニュージーランド・ドルの国債とフォードの社債ではどうなのか?百万円の資金をどんな投資対象にどんな比率で振り分ければ一番リスクが少ないのか?金融工学ではこんなテーマを扱う。そのためには投資対象ごとのリスクの量を数字で把握し、比較したり足したり引いたりする必要がある。リスク量はVaRなどを使って計測すればよく、そこから具体的なリスク管理(リスクを増やしたり減らしたり)が始まるのだが、その前に「リスク」と「不確実性」(Uncertainty)をしっかり区別し、混同しないように注意する必要がある。どちらも損失の原因である点は同じだが、「リスク」は予見可能な事象の内でその量が定量的に計測でき、さらに対策が可能な損失原因を指す。「不確実性」は予見、計測または対策が不可能であるから、そもそもリターンとの関係を比較することができないのだ。

 具体的に見てみよう。阪神淡路大震災は未知の活断層によって発生したためほとんど予見されておらず、シミュレーションも事前対策も特には行なわれていなかった。「不確実性」であったと言える。一方東海大地震は起る前から名前がついている初めての地震と言われるように既に多数の観測機器が設置されていて、予兆がキャッチされれば判定会議が開かれ、国や自治体が直ちに動き出す。交通網やライフラインへの影響は何回もシミュレーションが行なわれて相当程度定量的に把握できている。建物の耐震強度補強費用の補助や防災グッズの普及促進、地震発生時に備えた避難訓練なども行われ、事前対策が進んでいる。「不確実性」の世界から「リスク」の世界へかなり近付いてきたのだ。リスク管理の最初のステップは「不確実性」をできるだけ「リスク」に変換してゆくところからスタートするのである。

 さて、先週末に実施された大学入試センター試験では今回初めて英語に「リスニング」の試験が導入され、受験生は一人一人ICプレーヤーを渡されてイヤホンで問題を聞きながら解答した。ICプレーヤーの不具合等で問題が聞き取れなかった場合はその場で再テストが実施され、全国で461名(受験者全体の0.09%、1100人に1人の割合)が再テストを受けた。このため入試センターの責任を追及する報道が相次ぎ、文科大臣も記者会見で受験生に陳謝した。このエピソードはビジネス・リスクの管理という観点からはどう考えればよいのだろうか。

 リスニングのテストは今回が初めての実施だが、事前に入試センターが行なった模擬テストでは不具合の件数は少なく、またICプレーヤーは事前に全数検査が行わていたという。ICプレーヤーの不具合率を入試センターがどう想定していたかは分らないが、再テスト受験率が0.09%であり、そのすべてがICプレーヤーの不具合によるものだったと仮定すると良品率は99.91%となり、これは通常の品質管理で使われる3σ(=99.7%)を上回る精度だ。また金融工学で扱うリスク量の信頼区間は2σが標準で、それ以上はストレス・テストで対応する。従って今回のICプレーヤーの良品率は十分高いと言ってよく、これ以上σを上げるには相当のコストがかかることが予想される。(尚ICプレーヤーのコストは今年値上げされた受験料に含まれている。)

 しかしながら入試は受験生にとって一生を左右しかねない大切なイベントであるから、さらに「不確実性」の要素を可能な限り排除する必要があった。これが金融工学で言うストレス・テストに相当する。この点入試センターは、受験生が「聞き取れない」と申し出た場合にはICプレーヤーの不具合をいちいち確認することなく、すべてその場で再テスト(中断個所からのやり直し)を実施することとしていた。従って信頼区間をはみ出す、正規分布グラフの端の部分(リスクではなく「不確実性」の領域)についての対策も十分なされており、さらに実際の良品率は99.91%よりも高かったと考えられるから、「不確実性」の要素は可能な限り「リスク」に転換されて十分コントロールされていたと判断できる。但し「聞き取れない」と申し出たにもかかわらずその場での再テストが認められなかったケースが全国で5件あったとのことで、これについては明らかにルール違反であるから試験会場である現場の責任が問われる。ただしこの場合でも受験生は入試センターに直接苦情を申し立てることが出来、後日の再試験が認められているから、現場がフェイルした場合のセーフティー・ネットもきちんと機能したと言える。入試センターのリスク管理は万全であったと言ってよいのではないか。むしろ入試センターは記者会見で頭を抱えるばかりでこうした説明責任を果さず、受験生やマスコミをはじめとする関係者の理解を十分得られなかったことが問題だ。来年は良品率100%を目指したいなどという発言は、たとえ記者会見の場の雰囲気に押されたリップサービスにせよ無用の誤解を生むだけであり、リスクマネジメントの観点からは有害無益だ。繰り返すがリスクマネジメントの第1歩は「不確実性」を可能な限り「リスク」に転換することであり、それが終ったところからやっとリスク量の定量化という金融工学の世界が始まるのである。

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2006年1月23日 (月)

ライブドアのどこが悪い?

 今期のゼミは先週で終了したのでこのテーマを皆で議論する場がもうなくなってしまったが、ゼミ生とOBの諸君、ライブドアのどこが悪いのか答えられますか?またライブドア事件が世論操作に利用されようとしている事に気がついていますか?

 ライブドア事件について数多くの報道や解説が溢れかえっているが、経済専門メディアやいわゆる「専門家」によるコメントも含めて、ライブドアのどこが悪いのか十分理解していないと思われるケースが少なくない。まず、実際に何が行なわれたのかという基本的な事実関係そのものの認識にかなりの混乱やバラツキがある。地検特捜部の捜索が始ったばかりなので止むを得ない面は割り引く必要があるが、それでも例えば投資事業組合とは何なのか的確に認識している報道は稀だ。次に何が適法で何が違法なのかを明確に峻別していないケースが多い。例えば株価操作、粉飾決算、投資事業組合からの投資収益の還流にはそれぞれ適法な部分と違法な部分が混在していて、その境界線上に未解決の問題点が数多く存在しているのだが、それを捨象してワンセットの不正取引として堀江貴文バッシングに直結させる論調が多い。この事の危険性は、本事件の原因を結局のところ堀江のキャラクターやビヘイビアに持って行くことで「資本市場の健全な発展の為の教訓を得る」という視点が希薄になるばかりか、資本取引そのものを「悪」とする世論操作に利用されてしまうことである。更に「適法取引とはいえいくら何でも常識というものがある」(NHKが起用したコメンテーター)に至っては、発言者自身が何を言いたいのか分っていないことを告白しているようなものだが、笑ってはいられない。我々の祖先たちが多くの血を流して勝ち取った「法の支配」を否定する、とんでもない危険な思想なのだ。事実関係を正確に理解し、適法・違法の別を峻別した上でその境界線上にある問題点を抽出し、「べき論」の構築に繋げて行く。これが社会科学としての資本市場論を学んだ者として是非身につけておいてほしいアプローチだ。

 さて最初の問題提起「ライブドアのどこが悪い?」に戻ろう。この事件のスキームは堀江・宮内だけで考案できる単純なものではなく、おそらくどこかのインベストメント・バンカーが知恵をつけたと考えられるから全容解明にはまだ相当の時日が必要であろうが、その本質は意外に単純だ。それはラグビーのスロー・フォワードやサッカーのオフサイドと同様、「自社の株価上昇を自社の利益としてキャッシュ化する」という株式会社制度の「禁じ手」を使ったという事なのである。資本市場について全く予備知識のない低年次の学生の中には「株価の上昇は発行体にとってキャッシュの収益になる」と漠然と思い込んでいる者が毎年何人かいるが、今回のライブドア事件はこの禁じ手を実現してしまおうとした企てなのだと考えると、全体像がうまく整理されて理解しやすくなる。株価操作、粉飾決算、投資事業組合からの投資収益の還流はすべてこの目的の為に行われた。そしてこの企ては、今回のライブドアに限らず次の通り過去さまざまな形で試みられてきた。

 わが国のバブルが頂点に向いつつあった1980年代後半、多くの本邦企業がユーロドル建・ゼロクーポンないし低クーポンの分離型ワラント債を発行した。株価が持続的に上昇していたためワラント・バリューが高く、発行時にワラント部分が分離された後の社債(ポンカスと呼称された)はディープ・ディスカウントとなる。発行体はゼロクーポンないし超低クーポンで調達した長期資金によって自社のポンカスをディスカウントで購入し、労せずして差益を得たのである。自社のワラントバリューを収益としてキャッシュ化したのだ。自社のポンカスを直接購入する事には法的に疑義があったため、さすがに第3者にリパッケージさせたり他社と示し合わせて同時発行を行い、互いに相手のポンカスを購入する方式が多かった。財テクという言葉がはやり始めたころであり、現在経営危機に瀕している大手家電メーカーの財務部長から当時酒の席で「当社もモノさえ作らなければもっと儲かる」と聞いた事を今も忘れない。

 株価上昇を発行体ではなく株主がキャッシュ化するのは当たり前のようだが、適法・違法の境目がわかりにくいのがIPOだ。ファウンダーが株式を保有する非上場会社を上場する際、上場に先立って株主割当増資やオーナーの親族、「日頃お世話になっている方々」に対して第三者割当て増資(いずれも額面ないし中間発行!)を行う。増資払込み資金は当該非上場株式や他の個人資産を担保に金融機関からの短期借入によって調達されるのが普通だが、オーナーが融資をセットしてやる場合もある。もちろん融資を行う金融機関の役職員や政治家も「日頃お世話になっている方々」に含まれる。上場後株主は上場プレミアムを得て持分を売却し、短期借入を返済して労せずして差益を得る。今こんな事をやろうとしても上場審査をクリアーできないが、経営と所有が未分化で法体系も未整備である開発途上国の資本市場ではヘッジファンド等の買いが入りやすい事もあって上場プレミアムが極端に高くなる事が多く、また適法・違法の境目が不明確であるため、法規制が出来るまではこうした禁じ手が「やった者勝ち」でしばしば使われている。今回のライフドアはもっと複雑なスキームではあるが、上場前に株主権を操作して利益を得、投資家にツケを回すという禁じ手を使った点で本質的に同じスキームだ。かつてわが国でもIPOや増資に際して「親引け」として「日頃お世話になっている方々」に割り当てがあった時期がある。当時は適法取引であり甘い汁を吸う事ができたが、今ではせいぜいIPOのブックビルディングに札を入れる事くらいしか出来ず、運良く抽選に当ったところで上場プレミアムはたかが知れている。資本市場の透明性が高まったのであり、これを逆戻りさせてはいけない。

 株価の上昇をキャッシュ化する禁じ手は法規制とのいたちごっこになる。今回のライブドア事件も、堀江バッシングではなくフェアな資本市場のルール作りに役立てる事こそ重要であり、そこに「適法取引とはいえいくら何でも常識というものがある」という発想を絡ませると資本市場のメカニズム自体が圧殺され、かつての「親引けクローニー」の世界に逆戻りしかねず、「日頃お世話になっている方々」をまた喜ばせるだけになる。堀江にはレッドカードを出せばよいのであり、試合を止めてしまってはいけない。試合を止めたくて今回の事件を利用しようとしている勢力が存在することによく注意しておきたいものである。

 最後に今週の日経公社債情報60頁より。

 Tシャツは 衿がないから 正せない

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2006年1月19日 (木)

マックスバリュとライブドア

 和田一夫と堀江貴文には共通点が多い。和田は再生したが、堀江はどうだろう。

共通点1.起業の年齢。八百半商店もオン・ザ・エッヂも20歳そこそこでの創業。

共通点2.買収・上場。買収対象企業の所在地が香港・中国か日本国内かの相違はあるが、買収企業の業種が本業とのシナジーからどんどん乖離し、上場によるキャピタル・ゲインが自己目的化して行った点が共通。

共通点3.エクイティ・トラップ(造語です)に嵌ったこと。エクイティ絡みの、株価の上昇が永久に続くことを前提としたファイナンスを企業買収資金調達に使い続けて墓穴を掘った点が酷似している。

共通点4.ビジネス・スタイル。和田「いつまでも十円の積み重ねではなく…」(1992年、朝日新聞取材)と堀江「国民はバカだから」(2005年、民主党岡田代表との会談)が示す通りいずれもトップダウンの即断即決型で、社内にリスクをコントロールする機能を作らなかった。一定の企業規模を超えるとトップダウン型リスク経営は機能しなくなる事に気付かなかったのである。

共通点5.マスコミにスポイルされたこと。和田は「アジアに軸足を置く日本企業の新しいビジネス・モデル」とまで言われた。堀江も「若者世代の新しい価値観を代表するIT産業の旗手」ともてはやされた。マスコミも本人も勘違いに気付くのが遅過ぎた。

共通点6.アンチ・エスタブリッシュメントを標榜しながらも実はエスタブリッシュメントへの強い憧れがあった事。和田は香港華僑と老朋友になれたと勘違いし、堀江は経団連に加入することでコンベンショナルな経営者としての自画像を描こうとしていた。

共通点7.自分の金と会社の金の区別がつかなくなって致命傷を負ったこと。桁違いのキャピタル・ゲインを狙うリスク資産への投資には個人資産を充てるべきところ、会社の金(外部負債と株主資本)を充ててしまった。華僑のトップダウン型リスク経営は個人資産で行われていることに和田は気付いていなかった。

共通点8.粉飾決算。どちらも経営危機を乗り切るために決算の粉飾に手を染めた。

 さて、2000年3月にヤオハンジャパンの更生計画が認可され、ヤオハンはジャスコグループ(現イオン、マックスバリュ)の支援の下、静岡県のローカル・スーパーマーケットとしての本業の原点に戻って出直しを図り、ヤオハンの名前が復活した。堀江も支援者を得て本来のITビジネスの原点に戻って一から出直せるだろうか。和田・堀江にはもう一つ共通点がある。どちらも一般大衆には大きな迷惑をかけておらず、損失を蒙ったのはリスクを百も承知の、自己責任を自覚している投資家だったことであり、この点が同時進行中の耐震強度偽装建築問題とは異なる。だからよいという訳ではないが、和田と堀江にはかくも多くの共通点があるにも拘らず、バブルのサイクルが一巡分違っただけで教訓が全く活かされないとあっては寂しすぎるから、何とか堀江の再生を期待したいと考える次第である。

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2006年1月18日 (水)

地検特捜部の親指

 ライブドアを糾弾する東京地検特捜部の人差し指はまっすぐ堀江貴文社長に向けられているが、親指が上向きに反り返っている。親指が指しているのは一体誰なのだろう。

 私はかつて地検特捜部の任意捜査を受けたことがある。キャリアの法曹である捜査官たちは実によく勉強していてモラールが高く、「聞く耳」を持っていた。一言で言うとインテリジェントな人達だ。この時は競合する同業他社が立件された。余談だが、対照的なのは金融庁の検査官だ。金融庁は市場至上主義に押し込まれて民間から大量の検査官採用に追いこまれた。所属金融機関から戦力外通告を受けて「にわか検査官」となった彼らは、かつて江川の見返りに阪神に放出された巨人のエース小林投手(翌シーズンの対巨人戦8勝0敗)や、来シーズンのオリックス対巨人交流戦で活躍が期待される清原選手、復活当選して外務省を眼の敵にしている鈴木宗男議員などと同じように、もっぱら「リベンジ」というモチベーションに突き動かされ、急ごしらえの官衣を纏って「聞く耳」を持たなくなった人達であった。

 首相の犯罪と言われたロッキード事件(1976)、世界的バイオリニストであった東京藝術大学・海野教授の楽器汚職事件(1981)、三越岡田社長の「なぜだ!」解任となった特別背任罪事件(1982)。1990年代後半には政府保証外債の主幹事指名をめぐる贈収賄事件や生保スキャンダル、金融機関のMOF担廃止の契機となった官と民との癒着。地検特捜部は経済事犯を捜査対象とし、これまで数多くの大企業経営者や政治家の不正を摘発してきた。だがいかに優秀な捜査官集団とは言え、自らのネットワークだけで不正の匂いをキャッチして捜査に着手するわけではない。外部からの情報提供が捜査のきっかけとなっているのだ。多くの場合こうした情報源は、立件によって利益を得る敵対勢力又は「リベンジ」を果そうとする内部告発である。私自身も上述の通り競合他社の立件に協力した経験があるが、上に挙げた過去の立件事例の背後には、立件によって政治的・経済的な利益を得る組織からの情報提供があると考えてよい。

 では今回のライブドア摘発のきっかけとなった情報源は何なのか。ライブドアは急成長しては来たもののまだ規模の小さな企業であり、内部告発に繋がるような社内対立があるとは考え難い。ではライブドアのせいで損失を被った筋だろうか。今回の証券取引法違反問題の端緒となったライブドアマーケティングについて言えば、株価のマニピュレーションによって損害を被った可能性があるのは、保護の対象となるナイーブな一般投資家である筈はなく、裏のリスクを百も承知の玄人筋だろう。だからといって騙されたほうが悪いとまでは言えないが、損失を被ったのはマニピュレーションの可能性を「想定内」と考える、叩けば埃の出る投資家に違いなく、ヤブヘビになりかねない告発はしないだろう。だとすればライブドア立件によって政治的・経済的な利益を得るのは誰なのだろうか。昨年のパ・リーグ新球団設立問題に既にそのヒントがある。先行したライブドアがなぜ楽天に敗れたのか。それはライブドア自体の問題というよりも、ライブドアに代表される市場至上主義の価値観やビヘイビアが受け入れられなかったからなのだ。ニッポン放送買収問題がフジ・サンケイグループの全面的な勝利に終ったのも同じ理由である。エスタブリッシュメント側が抱く「狂信的な市場至上主義」に対する強い警戒感がライブドア包囲網を形成し、地検特捜部を動かしたと考えるほかはないだろう。

 東京地検特捜部の人差し指はまっすぐライブドアに向けられているが、上向きに反り返った親指が指しているのは教条的新古典派であり狂信的市場至上主義の権化である小泉・竹中なのだ。

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2006年1月 5日 (木)

2006年のスタートはクウォドルプル高

 2006年の市場はかつて前例のない幕開けとなった。円、株価、債券価格のトリプル高に商品高が加わったクウォドルプル高だ。しかも株価と債券価格のトレード・オフの消滅は日本だけではなく欧州でも米国でも起きており、さらに為替も商品も国際市場価格であるから、このクウォドルプル高は日本だけではなくグローバルな規模で起きている現象だということがわかる。これは一体何を意味するのだろうか。そして単純に喜んでいていいことなのだろうか。ファクターごとに調べてみよう。

 まず株価。2005年は日経平均が40%(ドル・ベースでは22%)、ダウ欧州50が20%上昇した一方でNYダウは僅かながらマイナスであったが、2006年初の株高を牽引したのはNYであった。また2005年には日・米・欧いずれにおいても株価が債券価格とトレード・オフの関係にあり、債券からエクィティへの資金シフトがグローバルに進行したが、年末からは債券に資金が戻り始め、年明け後もそのトレンドが継続した。1月4日の10年物国債の水準はJGBが1.45%、米国TNが4.35%、ブンズが3.28%と軒並み価格上昇(利回り低下)。米国TNは2005年の利回りのピークから80bpも下の水準なのだ。J-Reitの勝ち組の投資口価格が急騰していることからもFixed  Incomeに資金が戻っていることがわかる。2005年とは異なりエクイティと債券がシーソーの関係ではなく、どちらも買われているのだ。なぜ資金の流れがかわったのだろうか。

 さらに商品市況も高騰している。今年の世界的な厳冬やロシア・ウクライナ問題が需給に響いている原油だけでなく資源・素材価格が一様に高騰している。非鉄金属(銅)も高値を追っており、金に至っては1981年以来の高値だ。だが債券価格は上昇しており期待インフレ率が上昇しているわけではないから、商品市況の高騰は実需期待によるものと考えざるを得ないだろう。

 為替は円高というよりドル安で、ユーロが対円で久しぶりに140円台を回復したことからもわかるように大きな流れは「ドルからユーロへ」だ。円はおこぼれに預っているだけで、これは2005年前半と同じ構図である。だからクウォドルプル高といっても実は「トリプル高」プラス「ドル安」なのだ。ドルから資金が逃げ出しているのはなぜなのだろうか。

 こうした疑問を解き明かすキーワードは「不動産」だ。2005年の金融市場における最重要キーワードを一つだけ挙げるとすれば、それは米国の住宅バブルだろう。MEWが生み出した米国の購買力が世界経済の機関車となってグローバルな規模でエクイティに資金を誘引していたのだ。ところが2005年第4四半期に至り米国の新規住宅着工件数が失速し、FOMC議事録も利上げのペースダウンを示唆したところから、ドル金利が債券価格サイドではなく短期政策金利サイドを震源地として下落し、ドルが下落しはじめた。また同じ理由、つまり利上げのペース・ダウンへの期待が株価を押し上げたのだから、株価と債券価格とのトレード・オフが断ち切られたのは当然だったのである。主要各国の経済のインフレ期待が押さえ込まれ(債券価格の上昇)、持続可能な成長ペースへのソフト・ランディングへの期待(株価の上昇)が資源・素材への需要(商品市況の上昇)を生んでいる…こう考えると、2006年のクウォドルプル高はグローバルな不動産ブームの一服感と表裏一体であることがわかる。事実2006年初、続騰する日経平均を尻目に大手不動産株は昨年末のピークから急落したのだ。

 このように2006年初のグローバルなクウォドルプル高はファンダメンタルズ相場であり、素直に喜んでよい事であるとは思うが、心配なことが一つある。それは日本だ。中央銀行の独立性が圧殺されている日本が果してファンダメンタルズ相場について行けるのか?日銀が量的緩和を終結させられないでいる間に大手不動産株は市場によって調整されてしまったのだ。日銀は不要だ、と市場が考え始めたのである。これは日銀というよりも昨年のブログ「小泉首相も抵抗勢力」などで何回も指摘した通り政府・与党の責任である。昨年来再三繰り返しているが、2006年の円ポートのキー・ポイントは長期債価格の急落(国債の投げ売り)だろう。そうなると日本がグローバルなクウォドルプル高の循環を破壊する引金となる可能性が出てくる。「日本売り」を警戒しつつクウォドルプル高の今後の展開を注視することとしよう。

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