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2005年10月30日 (日)

ボリンジャー・バンドの限界

ボリンジャー・バンドを使っている個人投資家は大変多いが、どうも素朴な疑問を払拭できない。ボリンジャー・バンドは移動平均線を過去の観察期間とσ(標準偏差)に応じて帯状に拡大した、信頼区間に応じた将来の価格の予測変動幅のことだが、価格が大きく変動するとボリンジャー・バンドも必死になって(変な表現だがそのように見える)拡大して変動をカバーして行く。価格が循環的に変動している平常時ならともかく、中長期的トレンドが変化し、ポートの構成をかなり変える必要がある場合の判断ツールとしては使いにくいのではないだろうか。ボリンジャー・バンドはあくまでもレンジ・トレーディングのツールであり、ポートの大きな組換えやロス・カットの判断には適していないと考えるべきだろう。中長期トレンドが変化してレンジそのものが半不可逆的に変化する時には、あまりボリンジャー・バンドに頼りすぎると「”まだ”は”もう”」の失敗を犯して逆ポジションを膨らませてしまう事になりやすいのではなかろうかという気がする。ボリンジャー・バンドで一番儲かったのは本が売れたボリンジャー氏自身なのかもしれない。

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2005年10月27日 (木)

エキゾチック債がブーム

南ア・ランド債が個人投資家に爆発的に売れており、支店間で玉の奪い合いになっているとゼミのOBであるN嬢から聞いて、いよいよデザート・コースに入ったな、と思った。

エキゾチック物は時々ブームになる。最近では豪ドル、NZドル、インドものなどが流行った。中国のEquityは、実は買えるのは香港ドルだとバレた途端さすがに皆さんの熱がさめたようだが、今の南ア・ランド債の人気も、Equityや円投外貨といったメイン・ディッシュでお腹が一杯なのにちょっとつまんでみたいデザートのようなものなのだろう。デザートなら良いが、これをメイン・ディッシュとして食べると健康を害する。

人様のお金を預かって運用するファンド・マネージャーなら失敗が直接自社の懐に響かないから、時にはエキゾチック物も良いかもしれない。だが私はトレジャリー一筋で来たから自分の失敗は自社の欠損になり、場合によっては公表決算損益に影響が及ぶ。また機動的に実現益と含み益の比率を操作する必要があるので、流動性の乏しいものはどうしても敬遠しがちになる。個人投資家としてもその習癖が抜けないままだ。ランド債を買っている人は気配値のチェックだけではなく、時には証券会社に価格・為替それぞれの売値と買値を同時に出してもらうとよい。その売買幅の広さに気が遠くなる筈だ。(出してくれないかもしれないが…)従ってエキゾチック債は短期保有だと妙味が薄く、長期保有を前提に円との金利差で為替リスクをヘッジする買い方になるが、エキゾチック通貨は長期的には金利差を帳消しにするほど対円で下落するリスクがある。Exitの不安が払拭できないのだ。

更に私には「旧英連邦系通貨は売り」という固定観念がある。ポンド、カナダ、豪ドルなど、すべてショートを得意としてきたので、個人投資家として売りから入れないランドはやはり嫌だ。年間貿易黒字50億ドル、失業率30%……それでもランド債買いますかね?

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2005年10月24日 (月)

J-Reitの負け組

このブログではこれまで再三にわたってJ-Reitの勝ち組と負け組への二極分化について取り上げてきたが、今日(10月24日)付の日経公社債情報に「逆風強まるREIT市場」と題して負け組に関する興味深い記事が掲載されている。(有料出版物なので以下要点のみ紹介するが、ゼミ生は図書館で読んでおいて下さい。)

*19日に上場したDAオフィスの初値が公募価格割れ。これで今年度に新規上場したReitは4勝5敗。

*投資口価格が一口純資産を下回るようでは満足な資金が集まらない。

*新興の鑑定会社の中には鑑定が甘い(物件の過大評価)ところがある。

*ファンドの運用会社が母体となるREITが増え、利益相反が懸念されている。(母体のファンドから物件を移してREITを組成するケースなど)

*不動産価格の上昇がかえって新規購入物件の価格上昇による賃料利回りの低下と借入比率の上昇に結びつきやすくなっている。

特に最後の点はこれまでも何回か取り上げて来た重要なポイント。JーReitは収益をキャッシュ・フローに依存する商品であり、不動産価格の上昇は利回りの低下をもたらすマイナス要因になり得るのだ。不動産価格の上昇を見て買うなら収益をキャピタル・ゲインに依存する不動産会社銘柄であり、JーReitを買うのは勘違いであることに注意する必要がある。

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2005年10月18日 (火)

日本株は警戒水域か

米国ジャンク債の信用スプレッドが縮小した。GMがUAWとの間で従業員や退職者への医療給付大幅引き下げを合意した為だ。Bloombergによると昨日(17日)ニューヨークでGMの株価は7.5%上昇、CDS(クレジット・デフォルト・スワップ)のプレミアムも170bp低下して730bpへ、また投資適格復活を狙って第三者への売却が報じられたGMACのCDSのプレミアムは155bp低下して325bpとなった由。フォード・クレジットのスプレッドも連れて持ち直しており、ヤレヤレほっと一息。 好調な米国経済のノドに突刺った棘が取れた感があり、米国のEquityはこれから本格的な上昇局面に入りそうだ。

今NYダウは一年前に比べて4%程度上昇しているにすぎない。FTは4月中旬以降9月末まで一本調子で20%近く上昇した後、現在は14%程度まで調整している。これに対して日経は5月半ばからここまで一気に25%上昇し、本格的な調整もなく、現在も一年前と比べて23%程度上昇した水準にある。米国のEquityが勢いづいてくれば、日本株が本格的な調整局面に入ってもおかしくないタイミングが来たように思われる。加えて日米長期金利差(10年物国債)が3%近くまで拡大しており、さらに小泉首相の突然の靖国神社参拝が投資家に日本の地政学的リスクを思い出させてしまったこともあって、円安が115円台まで進んでいる。ここしばらくは日本から米国に資金が流出する基調になるのではなかろうか。日本株はある程度キャッシュ化してFixed Income(J-Reitの「勝ち組」も含めて)の買い場を探すタイミングが来たようだ。

  

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2005年10月11日 (火)

ジャンク債の信用スプレッドが拡大

デルファイのチャプター11申請を市場がスプレッドに織込みはじめたのは2週間ほど前であった。S&Pが格付けの見直しを表明したGMが打たれたのは当然だが、他のジャンク債にも影響が出ている。例えばフォード・クレジット残存3年債の信用スプレッドはここ2週間で70bp拡大した。米債の「質への逃避」が再び始まっており、金利先物が更なる利上げを織り込んでいるにも拘らずTN価格は堅調(利回りは低下)に推移している。これをもう誰も「謎」とは言わなくなった。JGBが売られているのとは好対照だ。

日・米・欧いずれにおいっても縮小を続けてきた信用スプレッドが米国で拡大に転じたというのは新しい動きなので、今後の展開に注視を要する。果して米国だけの現象にとどまるのか、それともソニー、三洋というアキレス腱を抱える日本にも波及するのか。EquityからFixed Incomeへの資金の逆流につながって行くのか。展開次第では中期ポートの多少の調整が必要になる可能性も出てくる。ここしばらくは信用スプレッドから目が離せなくなって来た。

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2005年10月10日 (月)

EU統合の行方(その10・最終回)

(その9から続く)

欧州は更なる統合に向かうのか、それとも分解するのか。今回はこれまで9回にわたって見て来た欧州における求心力と遠心力との緊張関係を総括する。

欧州が国境を超えて一つになろうとする求心力は、中世ヨーロッパにおけるローマ・カトリック教会が行政単位としての教区組織と経済単位としての修道院ネットワークを通じて作り上げた国境を超えた教会組織、及びフランスを中核とする欧州連合軍で構成された反イスラム運動である十字軍の活動に由来する。また一方で、この事はフランスが教権をコントロールし、ドイツ(神聖ローマ帝国)が教皇から戴冠するという、フランスのドイツに対する優位を意味していた。既に遠心力の種が生まれていたのである。

欧州の遠心力はこのドイツとフランスの抗争から派生する。宗教改革は帝権が弱いドイツの、ローマ・カトリック教会及びそれをコントロールするフランスに対する抵抗運動でもあったのだ。そして宗教改革の第二・第三世代のプロテスタントが掲げた「オスマントルコはプロテスタントの味方」というスローガンは、反イスラムがもはや欧州世界の単純な求心力ではなくなった事を示唆するものであった。現在のドイツがイスラム教徒に対して比較的寛容であり、多くのトルコ人を外国人労働者として受け入れ、トルコのEU加盟交渉に前向きな姿勢を見せているのに対して、フランスがイスラム教徒の女学生のスカーフを取り上げたり欧州憲法条約批准の否認を通じてトルコのEU加盟に抵抗する姿勢を見せているのは、カトリックとプロテスタントとの相克を反映しているのである。

それでは欧州における求心力と遠心力のバランスは今後どのように動いて行くのであろうか。欧州という箱を開けてみると、大小さまざまな個性豊かな国々が次々に出てくる。「入れ子」のような構造になっているのだ。それぞれに異なる国民国家ではあってもキリスト教という箱の中に「入れ子」状に納まってしまうのが欧州なのである。このシリーズではほとんど取り上げて来なかった英国についてもこうした事情に変りはない。英国は経済構造・貿易構造が大陸諸国とは対照的であり、ユーロ採用の決断に至ってはいないもののギルツ(英国国債)の利回り(10年物)はブンズ(ドイツ国債)に1%上乗せされた水準から乖離しようとしないし、ポンドの対ドル相場は見事にドル/ユーロにリンクしている。既にユーロを採用したも同然なのだ。欧州には求心力と遠心力が共に働いている。だが求心力、遠心力いずれもがキリスト教と深く関わっていること自体が、欧州がキリスト教を共通軸とする一つの世界だということをはっきりと示しているのだ。

1960年代後半、ピーター・ポール・アンド・マリーというフォーク・ソング・グループが人気を博したことを記憶している人は多いだろう。しかし、このグループの名前がペテロ、パウロ、そして聖母マリアから取られているという、キリスト教圏ではいちいち説明を要しない事実に気がついている日本人は少ないのではないだろうか。こうした説明を要しないほど日常化している共通項を持つ社会の底流には、強い求心力が働いている。

欧州の求心力が揺るがない一方で、同じキリスト教圏に属するアメリカが、マイノリティにおけるイスラム化の進行によって一つの国としての求心力を失いつつある。パックス・アメリカーナの終焉が見えて来た今、日本の地政学的リスクを考えると、長期的なポートフォリオの組立ての中でユーロ(ポンドを含めて)はロングを維持して行くべき通貨だ。これが10回にわたる「EU統合の行方」の結論である。

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2005年10月 6日 (木)

EU統合の行方・参考文献

EU統合の行方(1-10)の参考文献一覧表です。

会田雄次『ルネッサンス』河出書房新社

饗庭孝男『フランス・ロマネスク』山川出版社

岡崎勝世『世界史とヨーロッパ』講談社

樺山紘一『パリとアヴィニョン』人文書院

ミシェル・カプラン『黄金のビザンティン帝国』創元社

熊倉洋介ほか『西洋建築様式史』美術出版社

坂井榮八郎『ドイツ史10講』岩波新書

ジョルジュ・タート『十字軍』創元社

C.H.ドーソン『中世ヨーロッパ精神史』創文社

新田俊三『アルザスから』東京書籍

福井憲彦『フランス史』山川出版社

ピエール=マリー・ボード『キリスト教の誕生』創元社

アミン・マアルーフ『アラブから見た十字軍』筑摩書房

増田四郎『ヨーロッパとは何か』岩波新書

ジャン・リシャール『十字軍の精神』法政大学出版局

渡辺尚『ヨーロッパの発見』有斐閣

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2005年10月 5日 (水)

EU統合の行方(その9)

(その8から続く)

欧州は更なる統合に向かうのか、それとも分解するのか。その鍵は欧州の共通項であるキリスト教が欧州統合の楔となり得るのかどうかだ。前回までのブログでは、「点と線」の古代ヨーロッパの「面の中世」への転換に際して、ローマ・カトリック教会が行政単位としての教区と経済単位としての修道院ネットワークの展開を通じて国境を超えた組織を確立し、欧州全体にとっての「求心力」となって行ったことを見てきた。今回は中世ヨーロッパ世界がフランスにコントロールされた教権と、選挙で選ばれた神聖ローマ皇帝(ドイツ)の帝権との緊張関係を軸に展開して行った過程を辿る。キーワードは「十字軍」及び「教皇庁のアビニョン移転」である。

まず十字軍について見てみよう。1089年、教皇ウルバヌス2世に組織されたフランス十字軍がスペインへ遠征する。その後聖地エルサレム奪還を目指して8回にわたって十字軍が組成されるのだが、それぞれの指揮官の顔ぶれは次の通りである。

第1回(1096-):ロレーヌ公ゴドフロア・ド・ブイヨン)、弟のブーローニュ伯ボードワン、トゥールーズ伯レーモン・ド・サンジル、南イタリアのタラント公ボヘモンド・ド・タラント、ノルマン騎士タンクレード・ド・オートヴィル。第1回十字軍の主な指揮官はほとんどがフランスの諸侯であった。

第2回(1147-):フランス王ルイ14世、ドイツ王コンラート3世

第3回(1189-):フランス王フィリップ2世、英国王リチャード1世、ドイツ王フリードリヒ1世

第4回(1202-): モンフェラ侯ボニファチオ2世、フランドル伯ボードワン9世

第5回(1217-):エルサレム王ジャン・ド・ブリエンヌ(フランス人)

第6回(1228-):ドイツ王フリードリヒ2世

第7回(1248-):フランス王ルイ9世

第8回(1270-):アンジュー伯シャルル・ダンジュー(フランス王ルイ8世の末子)

このように十字軍はフランス主導のヨーロッパ連合軍であった。十字軍とはフランス=教権を中核とし、欧州全体に聖地エルサレム奪還を目指す求心力を及ぼした運動であったことがわかる。ドイツが「是」とした欧州憲法条約批准をフランス国民が「否」とするに至ったトルコのEU加盟をめぐる両国の国民感情の相違は、キリスト教徒とイスラム教との対決の原点である十字軍の時代にまで遡ることが出来るのである。

次に「ローマ教皇のアビニョン幽囚」と言われるエピソードを紹介しよう。最後の第8回十字軍がエルサレム奪回に失敗したあと、フランスではフィリップ4世(1285年即位)の下で王権の中央集権体制が一段と強化され、14世紀には教皇庁がアビニョンに移転する。フランスによる教権のコントロールが一段と進んだのだが、決してフランスが力づくで教皇をアビニョンに幽囚したわけではない。1309年にフランス人のクレメンス5世が教皇に選出されるが、ルネッサンス前夜のイタリアでは各都市国家が力をつけはじめており、イタリアにおける教皇領の政情が不安定であったため、クレメンス5世はフランスからローマへの移動を断念した。この結果教皇庁は1377年までフランスのアビニョンに置かれる事になったのである。そしてアビニョン時代の教皇庁では行政文書の統制、裁判制度、財政の統制などの諸制度とそれを支える官僚制の徹底的な整備が行われ、ローマ・カトリック教会自体の国境を超えた中央集権化が著しく進展した。10世紀のクリュニー修道会、12世紀のシトー修道会、12世紀から13世紀にかけて8回も組成された十字軍、そして14世紀の教皇庁のアビニョン移転。こうした経緯を経てローマ・カトリック教会は国境を超えた欧州の求心力の中核としての地位を確立したのである。

その後ドイツでは宗教改革が起こり、南部を除いてプロテスタント化されてゆく。そして既にこのブログで見て来た通り、プロテスタント対カトリックの抗争がドイツ対フランス、帝権対教権の緊張関係と重なり合いつつ時代は近世へと進んで行くのだが、決して忘れてならないのは、欧州の求心力としてのキリスト教が中世においてイスラム教徒との抗争の過程で形成されたという事実である。次回はいよいよ最終回として、これまでに見てきた欧州における求心力としてのキリスト教についての総まとめを行いつつ、英国のユーロ採用の可能性を中心にEU統合の行方について考えて行く。(その10に続く)

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2005年10月 4日 (火)

国債の叩き売りが始まった

本日(10月4日)の市場でJGB(日本国債)が急落。10年債の利回りが1.56%ヘ上昇し、残存6年物も1%台に乗せた。昨日から中期ゾーンに叩き売りの気配が出ており、利回りがしきりに上りたがっている不気味な感じがしていたが、今日は案の定一気に堤防が決壊するような売られ方になった。8月来このブログで指摘してきた通りの動きで、株価も続伸しているが、これまでの株価上昇の主役だったディスパリティー解消買い(安すぎる株を買うValue投資。金融、不動産など)は達成感から今週は調整局面に入り、114円台の円安もあって輸出関連のブルーチップス(今後の成長性を買うGrouth投資。電気・ITなど)が新しい主役となった。このバトン・タッチでTOPIX自体は続伸の見通しが有力だ。円投外債とEquity(金融の現物及び株価Indexもの)を仕込んで果報を寝ながら待っていた甲斐があったというものである。

市場は日銀の量的緩和終了宣言を催促し始めたのだが、まだ利上げを完全に織込むには至っていないので、もう一段JGBの投げ売りがありそうだ。Equityも主役が交代したので、Indexものはまだ上がる。1990年代半ばの株価下落過程で多くの市場関係者が断腸の思いを味わい、忘れたくても決して忘れられない日経平均14,300円が次の大きな節目になると考えている。

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2005年10月 1日 (土)

EU統合の行方(その8)

(その7から続く)

キリスト教は欧州統合の楔となり得るのか。その手掛かりとして、現代ヨーロッパの原型の形成にキリスト教がどのように関わっていたのかを見て来ている。「その7」では古代ローマ帝国でキリスト教が国教化されたのはカトリック教区を行政単位として統治機構に組み込むためであったことを明らかにした。今回は古代ヨーロッパが中世へと変質して行く過程にカトリック教会の修道院活動が新たな経済単位として深く関与していた事を説明する。

都市共同体同士の契約関係としての「点と線」で構成されていた古代ローマ帝国の崩壊と、都市が農村を後背地として持ち、「面」として広がり始める中世への移行は、農業生産性の著しい上昇に支えられたものであった。既に見た通り古代ローマの経済は技術進歩による生産性向上ではなく専ら生産要素の投入量(とりわけ奴隷労働)に依存していた為、奴隷の供給が絶たれるとすぐに行詰まり、崩壊した。その後乱立した多くのゲルマン部族国家がフランク王国メロヴィング朝、カロリング朝に統一され、カール大帝の戴冠を経て現在のドイツ・フランス・イタリアの原型が形成されて行く過程で、都市の後背地としての農村の成長が始まる。

まず8世紀に現在の北フランス地域の人口が急増する。森林が開墾され、作付面積が著しく拡大して技術進歩による生産性の向上が始まったのだ。こうした変化を可能にしたのが、農地を三分割して輪作を行い、三分の一の土地を順番に休ませる事によって農地の生産力を維持する、三圃農法と言われる技術である。三圃農法はカール戴冠(800年)前後に急速に拡大したことが知られている。つまりフランク王国カロリング朝による西ローマ帝国再統一の時期に、こうした農業生産性の急上昇が起こっていたのだ。森林を開墾したり農地を三分割して計画的に輪作を行う為には農作業の共同化が必要である。そしてこうした農作業の共同化が著しく進んだのは世俗領主領ではなく修道院領であった。

「その4」で説明した通り、7世紀以降ローマ・カトリック教会が修道院の教区組織を通じて勢力を拡大して行く。修道院における信仰・修行のあり方としては、当初は東方教会の流れを汲む聖コルンバヌスが目指した、山岳地などの厳しい自然環境の中での苦行による修道が重視されたが、次第に聖ベディクトゥス派による、修道士が修道院において共同体を形成して労働と信仰の修道院生活を送る戒律が主流となった。そしてこの共同労働を重視する考え方こそ、上述の三圃農法普及のエンジンであった。10世紀初頭にクリュニー修道会が設立され、欧州に国境を超えて800近い修道院ネットワークを構築する。だが商業的成功を重視するあまりクリュニー修道会は修道院長に聖職者ではなく俗人を起用するといった、どこかで聞いた事のあるような愚挙を繰り返したあげく頽廃し、衰退する。これに代って、12世紀初頭に設立されたシトー修道会が綱紀を糺し、修道院生活を信仰と労働という原点に回帰させることによってさらに勢力を伸張して行ったのだ。

以上に見た通り、「点と線」の古代ローマ帝国から「面」の中世への転換にはローマ・カトリック教会が重要な役割を果していた。行政単位としての教区と経済単位としての修道院ネットワークの展開を通じて、ローマ・カトリック教会は国境を超えた組織を確立し、欧州全体にとっての「求心力」となって行ったのである。そして忘れてならないのはこうした中央集権的な、統制の利いたローマ・カトリック教会の組織が育ったのがクリュニー・シトー両修道会の本拠であるフランスであったという事実である。つまり中世を楕円になぞらえる時、楕円構造の二つの中心とされる教権と帝権は、実はローマ教皇をコントロールした中央集権のフランスと、皇帝を選挙で選ぶ神聖ローマ帝国(ドイツ)のことなのである。

次回は、こうして欧州全体の求心力となったキリスト教の中世における展開を、「十字軍」及び「教皇庁のアビニョン移転」をキーワードとして追いかけてみる事としたい。(その9に続く)

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