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2005年9月 4日 (日)

EU統合の行方(その4)

(その3から続く)

通説によると欧州統合の求心力の一つである筈のキリスト教が、今やEUの求心力の象徴となったアルザスの歴史の中では逆に遠心力として働いていた。そのことがよくわかる実例を以下に紹介する。

ストラスブールのクレベール広場はゴシック造りの大聖堂に隣接し、有名ブランド店やギャルリー・ラファイエット、モノプリなどの有名デパート、アウトドア・カフェなどが並ぶ、ストラスブール随一の繁華街であるが、そこから北の運河へと続く小路を2ブロック入るだけで閑静な街並みが現れる。緑の豊かな小公園の脇にホテル・ソフィテルがあり、その隣に新・聖ピエール教会が佇む。普通のガイドブックには載っておらず、人々で溢れかえる大聖堂とは対照的に訪れる観光客も滅多にいないが、この教会の歴史は驚くべきもので、何度もこのブログで言及している欧州の重層構造をまさに体現しているのだ。

新・聖ピエール教会はフランスでは極めて珍しいプロテスタント教会であるが、教会の建物の中に入ってみるととてもプロテスタント教会とは思えない雰囲気である。それもその筈、名前に「新」がついてはいるが設立は7世紀に遡る。聖コルンバヌス(530-615)に捧げられたカトリック教会として造られたものだ。この時期は「その1」で簡単に触れたが、多くの修道院が造られ、キリスト教が修道院の教区組織を通じて勢力を拡大して行く時代の先駈けにあたる。この時代の修道院における信仰・修行のあり方については二つの異なる流れがあった。一つはアイルランドで布教活動を行い、その後ヨーロッパに戻った聖コルンバヌスが目指した、山岳地などの厳しい自然環境の中での苦行による修道であり、東方教会の流れに属する戒律。もう一つは聖ベディクトゥス(480-547)による、共同体を形成して労働と信仰の修道院生活を送る考え方で、その戒律は後にベネディクト会則として西方教会系列におけるデファクト・スタンダードとして定着する。仏教に例えると、修行による悟りを目指す上坐部仏教と托鉢を行う大乗仏教の違いに少し似ている。(余談になるが、今年ヨハネ・パウロ2世の後継者として選出された新ローマ法王(枢機卿ヨゼフ・ラッツィンガー)がドイツ・バイエルンの出身であり、ベネディクト16世を名乗ったことは、ドイツにおける宗教改革の歴史を思う時、誠に味わい深いものがある。)

このように新・聖ピエール教会は創設当初東方教会の流れに属していたが、当時の建物は残っておらず、現存しているのは1031年にローマ・カトリック教会として聖ピエールの名を冠してロマネスク様式で改築されたものだ。その後13世紀後半-14世紀前半にかけて ゴシック様式で大規模な増設が行われ、おおよそ現在の姿が出来上がる。1524にはドイツ(神聖ローマ帝国)における宗教改革の激しい津波に洗われて一たんプロテスタント教会となるが、30年戦争の結果アルザスがフランス領となった結果、ルイ14世の時代に再びローマ・カトリック教会となる。この時プロテスタント用の礼拝スペースが教会内部で仕切壁によって区切られてしまった為に使い勝手が悪くなり、次第に手狭になったため、当教会は19世紀末に新しいカトリック教会が設立された機会に再びプロテスタントに全面譲渡され、仕切壁が撤去されて現在に至っているのだ。東方教会の流れの中で創設された教会がその後ローマ・カトリック教会とプロテスタント教会を往復した事例は極めて珍しい。ストラスブールの新・聖ピエール教会の歴史が教えてくれるのは、キリスト教が国境を超えた求心力としてではなく、ドイツとフランスとの対立・抗争と重なり合い、時代の経過と共に上書きを続けて行く遠心力として機能していたという事なのである。

話が少し横道に外れるが、こうした重層的な上書き構造はヨーロッパにおける数多くの教会の建築様式にもしばしば見られる。東方系教会は大きなドームが特徴だが、11世紀までに建てられた西方教会は、地元で採掘した石材や土を焼いた石を積み上げて入り口や窓に頑丈な半円形のアーチを造るロマネスク様式である。それ以降の時代になると大理石などの強度の高い石材の採掘と遠距離輸送が可能になる為、出来る限り天に近付こうとするかのような垂直な鐘楼と高い天井、それに華やかなステンドグラスを特徴とするゴシック様式が欧州全土に浸透する。当初ロマネスク様式で建設された教会もその後ゴシック様式に増改築されるのが普通だが、アルザスには素朴なロマネスク様式部分をそのまま今に残している教会がある。ストラスブールから車で国道を南へ30分ほど行くとオーベルネに着く。そこからいわゆるワイン街道に入り、バールを抜けて更に10分ほど走るとアンロ-(Andlou)という村がある。どの町・村にも中央広場があり、井戸があって教会があるのだが、アンロー教会の正面の入り口と壁はこのあたりの地元の赤土を焼いて作ったとわかるピンク色の素朴で頑丈な石材で造られており、建設当時のロマネスク様式のアーチがそのまま残っていて、見る者を教会創立当時の9世紀にタイムスリップさせてくれる。1049年には教皇レオ9世が訪れているとのことで、名のある教会だったようだ。ロマネスク様式がよく保存されている他の有名な教会としてはパリのサン・ジェルマン・デ・プレ教会の鐘楼が挙げられるが、教会本体部分はもちろんゴシックに変っている。時代によって異なる建築様式での重層的増改築は西方ローマ・カトリック教会に特有のもので、仏教寺院やモスクには見られないものだ。

さて、ストラスブールの新・聖ピエール教会の歴史が教えてくれたのは、欧州においてキリスト教が国境を超えた求心力としてではなく、ドイツとフランスとの対立・抗争と重なり合い、時代の経過と共に上書きを続けて行く遠心力として機能していたという事であった。それではヨーロッパにおけるキリスト教が欧州統合の求心力の一つであるという通説は誤っているのだろうか。この問に答えるため、次回以降数回にわたってキリスト教の求心力としての機能を考えて行く。その手掛かりとして、ヨーロッパ社会の成立にキリストがどのように関わっていたのかについて整理してみる事にしたい。その過程で、ドイツが是とした欧州憲法をなぜフランスが非としたのかという理由も見えてくる筈なのだ。

(その5に続く)

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