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2005年9月26日 (月)

人民元のマーケットメーカーとは?

本日(9月26日)のブルームバーグに「中国、人民元のマーケットメーカーに米シティなど指名へ」という記事が配信されているが、誰かこの意味わかりますか?

記事の要旨は、中国人民銀行がHSBCホールディングスやシティグループ、中国銀行などを人民元のマーケットメーカーに指名する可能性があり、指名された各行は年末までに人民元の対ドル、ユーロ、円取引で価格提示や売買を許可される見通しで、これにより中国人民銀行が一手に行ってきた人民元相場の決定が各銀行に開放されることになるとのこと。

この記事が正確だとすると、これは通常使われているマーケット・メークとは全く別の話である。マーケット・メークとは、公募発行された証券の引受けを行った業者が引受け銘柄の流通市場における流動性を担保するために、売買両サイドの価格を市場に提示することをいう。外国為替の場合には発行市場も引受け責任も存在しないから、自ら市場のリーダーたらんと欲する機関が売買両サイドの価格を市場に提示する。これもマーケット・メークと言うが、外国為替の場合マーケット・メーカーは誰の許可や指名を受けるわけでもなく、自らの意思でマーケット・メークを行うのだ。更にこの記事にはスタンダード・チャータード銀行のコメントとして「マーケット・メーカーが指名され次第、各行は人民元の対ドル相場を自由に決定することができる」とあるが、そういうことであればマーケットメーカーというよりも為銀ライセンスに近いものであり、とりたてて人民元取引の自由化に結びつくものではないと考えたほうがよさそうである。

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2005年9月23日 (金)

もうバブルが始まっているのか

前回のバブルは、誰もが「まだまだ」と思っているうちに気がついたら崩壊していた。今回はどうなのだろうか。日経平均が4年ぶりに13,000円台に乗ったが高値警戒感は出て来ていない。個人投資家には「まだまだ感」が強いが、デフレだデフレだと言っている間にいつの間にかバブルの真っ最中だった、という事はないのだろうか。

★3月決算の上場企業の経常利益は2004年3月期以来3期連続して過去最高を更新する見込み。(日経新聞調査)
★東京23区の基準地価が15年ぶりに上昇。
★東証一部の売買高が今週二日連続で過去最高を更新。

最近のこうしたニュースを見るにつけ、衆議院選挙が終ったにもかかわらず日銀が量的緩和終了宣言を躊躇している理由がますます分らなくなって来る。FRBなら既に2-3回は利上げを実施している環境である。1987年10月、ブラックマンデー直前の日本経済は過熱局面に向かいつつあり、金融引締め・公定歩合引上げがカウント・ダウンの段階にあったから、銀行の法人担当者は「ヤレヤレ、また金利引上げ交渉か」と、うんざりしていた。ところがブラックマンデー・ショックを恐れた日銀は大幅な金融緩和に転じ、結局これがバブルへの道に繋がったのだ。こうした教訓が活かされない筈はないので今回はあまり心配する必要はない、と思いたいが、一つ気になる事がある。ノンリコース・ローンだ。

ノンリコース・ローン(NRL)は特定の事業に融資し、返済原資をその事業から得られる収入に限定する融資形態である。融資対象事業が失敗して元利返済が不可能になった場合も、借入れ主体はその事業以外の原資から返済を行う義務はなく、融資対象物件の担保処分の範囲内でのみ清算する。「借りたお金は何が何でも必ず返さなければいけない」という「常識」を覆す融資なのだが、実は20年以上前からPF(プロジェクト・ファイナンス)として国際金融のプロの世界で使われていた手法だ。最近は不動産関連融資に利用されていて、銀行全体の融資残高が伸びない中で三大都銀グループプラス三信託のNRL残高は2004 年3月期の2 兆7500億円から2005年3月期には4兆2200億円に急増した。 これだけなら左程心配する必要はないが、気になるのはNRLが地域金融や個人向けの住宅資金、アパート建設資金などのリテール金融に使われていることだ。

PFは別名ストラクチャード・ファイナンスと言われるほど、リスクを細かく分析・分解してリスクの種類ごとにリスク回避策を講じながら一件ごとに融資の仕組みを構築・組成(ストラクチュア)して行く手法であり、リスクの扱いについての最先端のノウハウが必要とされる。「お金を借りても必ずしも返さなくてよい」というファイナンス形態であるからこそ、細心のリスク管理がセットされているのだ。中小企業・個人セクターへの貸付け競争が激化する中、地域金融機関が「リレーションシップ・バンキング」の大号令の下でリスク分析・管理に関するノウハウの周到な備えなしに営業現場にノルマをかけ、「バスに乗り遅れるな」とばかりビジネス先行を煽るとすれば、それはいつか来た道にほかならないのである。

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2005年9月20日 (火)

J-Reitは今すぐ損切りするべきか

日経平均がついに13,000円に乗せる一方でJ-Reitが失速した。このブログにも「J-Reitの見通し」「損切り」といったキーワード検索でのアクセスが増えている。心配になるのも無理はないが、損切りか、ナンピンか、何もしないかという3つの選択肢しかないのだから、ここは落ち着いて一度J-Reitのこれまでの歩みを総括してみてはどうだろうか。

過去J-Reit価格上昇の大きな波は2回あった。1回目は2004年3月近辺、2回目は今年(2005年)6月近辺である。先週からのJ-Reitの失速はこの2回目の波をほぼ帳消しにしたが、それ以前の水準から見れば長期的上昇トレンドが変るところまでは行っていない。

それではなぜJ-Reitは失速したのか。J-Reitの時価総額は今から3年前の2002年9月には5000億円程度であったが、ここ3年間で5倍に増加した。この期間、TOPIX全体に占めるJ-Reitの時価総額の比率も約4倍に増加しているので、TOPIXの時価総額が殆ど増えない中でJ-Reitの時価総額が急増したことがわかる。J-Reitは性格上Fixed Incomeに近いため、低金利下でEquityから資金がシフトして来たのだ。高配当利回り株投信が人気を呼んだのも同じ理由である。

ところがここへ来て需給関係が若干変った。まず一つはこのブログで何度も取り上げている通り、今世界中でFixed IncomeからEquityへの資金シフトが起きており、もともとEquityとのトレード・オフが強かったJ-Reitは長期債利回りの上昇に連れて売られることになったのだ。加えて予想ベンチマーク金利がさらに上昇し、他の条件が不変なら、将来の配当をベンチマーク金利で割り引いた現在価値(=J-Reitの価格)が下がるのは当然である。もう一つはJ-Reitの供給増加だ。今から3年前の2002年9月末に上場されていたJ-Reitは6銘柄に過ぎなかったが、2003年に4銘柄、2004年に5銘柄、今年はこれまでに8銘柄が上場した。こうした需給関係の変化からJ-Reitが一気に失速したのである。

ではJ-Reitに3回目の波は来るのだろうか。J-Reitは収益をキャッシュ・フローに依存しているためにFixed Incomeとしての性格が強い。だからEquityの上昇が続き、日銀の量的緩和終結宣言が行われて長期債利回りが本格的上昇に転じればJ-Reitの3回目の波は期待できない。投資家としてはJ-Reitの原点に立ち返り、Fixed Incomeとしての利回りをより重視したポートフォリオの組替えを検討する必要があろう。今後の長期債利回りの水準とリスク・プレミアムがどのくらいになるのか、銘柄ごとに試算してみれば下値のメドの見当がつく。あとは持ち値との関連になるので、Equity全体のポートに利が乗っていればナンピンもよし、また持ち値に余裕がなければ自分の損切り基準を素直に適用して一たんキャッシュ化し、長期債の利回りを睨みながらFixed Incomeのポートとして買い戻しのチャンスを窺ってもよいのではないかと考えている。

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EU統合の行方(その7)

(その6から続く)

欧州は更なる統合に向かうのか、それとも解体するのか。その鍵を握るキリスト教についての考察を続けて来ている。今回と次回は西ローマ帝国の崩壊からフランク王国カロリング朝までの、現代ヨーロッパの原型の形成にカトリック教会がどのように関わっていたのかを見て行く。まず「なぜローマ帝国はキリスト教を公認し、さらに国教にまでしたのか」を考えて見よう。

なぜコンスタンティヌス帝はキリスト教を公認し(ミラノ勅令)、帝都をコンスタンティノープルに移して教権と世俗権力とが一体化したキリスト教国家・東ローマ帝国の基礎を築いたのだろうか。またその後テオドシウス帝はなぜキリスト教を国教化までしたのだろうか。さまざまな文献を渉猟し、多くの研究者に意見を聞いてみたが、とても一言で片付くようなテーマではない。それどころか研究者が一生をかけて答えを探す値打ちがあるテーマなのだ。だがこのブログの「世間話のネタ帳」という原点に戻り、論点を出来るだけ単純化して議論を進めよう。

古代ヨーロッパは「点と線の世界」であり、都市と後背地(農村)の一体的実効支配を含む「領土」という概念はまだなかった。古代ギリシャは「点」としての都市国家の集合にすぎず、古代ローマは「点」である多くの都市国家を武力で制圧し、それぞれの都市国家との間で市民権や兵役・課税権などについての契約を個別に締結する形でローマと各都市国家を「線」で繋いだ。ローマ帝国とは実は欧州全土にわたる数多くの「線」で結ばれた飛び地の集まりに過ぎなかったのである。そして結論を先取りすれば、こうした「点と線」が領土としての「面」に変化して行く過程が古代から中世への移行であり、この変化にキリスト教が深く関わっていたのだが、結論を急ぐ前にまず古代ローマから話を始めよう。

ポール・クルーグマンは“The Myth of Asia’s Miracle”(1994)において、アジア経済の成長は技術進歩よりも生産要素の量的投入の増加に依存しているため、このままでは限界に突き当たると指摘し、これをめぐって賛否両論が活発に展開された。だが実は1700年前に既に一つの答えが出ていたのだ。古代ローマ帝国の経済は武力で制圧した多くの都市国家からの奴隷労働によって支えられていた。奴隷には生産性向上のインセンティブがないから、ローマの経済はまさに技術進歩ではなく生産要素の投入量に依存していたのだ。だから奴隷労働の供給が止まると共に経済が衰退し、「線」の維持が困難になったローマ帝国は崩壊に向かったのだが、コンスタンティヌス帝・テオドシウス帝はローマ帝国の崩壊を何とか食い止め、統治を強化して政体を維持しようとして民衆の組織化を進めた。この当時カトリック教会は既に教区単位で民衆を組織化していたため、コンスタンティヌス帝はそれまで弾圧していたキリスト教を一転公認し、さらにテオドシウス帝はそれを国教化してまで「教区」を行政単位として利用したのである。その後東ローマ帝国=ビザンツでは教区と教会の聖職者組織(官僚組織)とがぴったりと重なり合うことになるが、西ローマ帝国は行政単位としての「教区」の統治体制への組み込みだけでは経済の崩壊を食い止められずに滅亡する。

このようにキリスト教がヘレニズム、ゲルマンと並んで現代ヨーロッパの共通軸を構成することになったのは、カトリック教区が行政単位として統治機構に組み込まれた為であった。だが生産要素の投入量に依存していた古代経済は崩壊し、農業生産性の上昇を梃子に「点と線」が「面」に変質して行く。中世の始まりである。次回はこの古代から中世への変質にカトリック教会がどのように関与していたのかを考えて行く。キーワードは新たな経済単位としての「修道院」の活動である。 (その8に続く)

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2005年9月18日 (日)

郵政公社で投信、本当に買いますか?

郵便局で投信が買えるようになるというが、売る側の体制は大丈夫だろうか。

郵便局で国債を買った時のこと。購入手続きの最後に1枚の紙を渡され、「はい、というところに全部チェックを入れてください」と言われた。見ると、国債の元本変動リスクや売却時の経過利子などについて10項目程度で簡単に説明がしてあり、項目ごとに「十分説明を受け、納得しましたか。□はい、□いいえ」と書いてある。「何のための書類ですか?」と尋ねたところ「国債を買うために必要な書類です。一つでも「いいえ」があると買えませんよ」と教えてくれた。リスク自体の説明はなく、あくまでも必要な書類の一つという扱いであった。これで投信を売れるのだろうか。

銀行に投信窓販が解禁された時、リテール窓口でリスク商品を販売することについて銀行は2年以上をかけて慎重に準備した。郵政公社はどうするのだろうか。郵政公社の職員に証券外務員の資格を取らせるから大丈夫だ、という話もあるようだが、証券外務員は証券会社から内定をもらった学生が入社までの間に通信教育で取らされる資格で、これがないと入社しても顧客の電話さえ取らせてもらえないのだ。

また、郵政公社はどんな投信の品揃えをするのだろうか。報道によると低リスク型商品のようだが、どんな投資家が買うのだろう。証券会社なら預り資産の残高に応じてブック・ビルディングの当選確率が上がるメリットがあるから、低リスク型商品でもまとまって購入する投資家がいるが、郵便局の場合はこうしたメリットもないので資金が郵貯から多少シフトするだけに終わるのではないか。

だが郵便局ヘ行くと、情報化時代に対応できない数多くの高齢者の相談に職員が丁寧に応じている。郵政公社に期待される役割は投信を売ることではなく、これから更に増加するこうした高齢者が必要とする金融サービスを非営利ベースで提供する事ではないのだろうか。

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2005年9月16日 (金)

EU統合の行方(その6)

(その5から続く)

欧州は更なる統合に向かうのか、それともバラバラになって行くのか。この疑問に答えを出すため、今後数回にわたって欧州における求心力と遠心力のバランスの鍵であるキリスト教について考えて行く。まず今日我々がヨーロッパと呼んでいる社会の原型の成立(時期的には西ローマ帝国の崩壊からフランク王国カロリング朝まで)に際してのキリスト教の関わり方について、次に中世ヨーロッパ世界においてキリスト教が果した役割について検討する。キーワードは「教区」「修道院」「十字軍」の三つである。

ドイツは帝権を
イタリアは教権を
フランスは学芸を

これは増田四郎の名著「ヨーロッパとは何か」(過去ログ・参考文献表参照)の巻頭に引用されているF.シュナイダーの言葉である。このうち「ドイツは帝権を」に違和感はない。中世ヨーロッパを「帝権と教権という二つの中心を持つ楕円」(増田四郎)ととらえれば、教権と緊張関係にあったのは正に神聖ローマ帝国皇帝であった。しかし「イタリアは教権を、フランスは学芸を」には議論の余地がある。たしかに教皇庁はローマに置かれていた。しかしイタリアには多少の教皇領が点在していたにすぎず、イタリア地域自体が教権と深く関わっていたとまでは言えまい。むしろ教権が帝権と並ぶ楕円の中心としての地位を固めたのは、後で詳しく見るようにフランスにおける修道院(クリュニー修道会・シトー修道会)の発達によるものであり、またローマ・カトリック教会が教皇庁を頂点とする国境を超えた組織を確立したのは教皇庁がフランスのアビニョンに移転していた時期であったことを考えると「フランスは教権を」がより妥当ではないだろうか。そしてルネッサンス以降のヨーロッパ文化の展開を考えると「イタリアは学芸を」こそ相応しい表現ではないか。結論を大胆に先取りしてしまうと、「帝権と教権という二つの中心を持つ楕円」である中世ヨーロッパの展開は帝権の主体である神聖ローマ帝国(ドイツ)と教権をコントロールしていたフランスとの緊張関係によって規定されていた、と言える。さらにこの緊張関係は、皇帝を選挙で選んでいた神聖ローマ帝国=ドイツと絶対王政を確立したフランスとの、地方分権対中央集権という、現在も続く政体の考え方の違いと重なり合っているのだ。そしてこのドイツとフランスの考え方の相違が、今後の欧州統合のあり方にも影響を及ぼす可能性が高い。

だが結論を急ぐ前に、まずヨーロッパ社会の原型の成立にキリスト教がどう関わっていたのかを調べてみよう。そのための最初の問題は「なぜローマ帝国はキリスト教を公認し、さらに国教にまでしたのか」である。(その7に続く)

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2005年9月11日 (日)

英国国債(ギルツ)のイールドカーブに注目!

日米ともイールドカーブのフラット化が止まったようだ。これからはどうなるのか。それを考える上で、英ポンドのイールドカーブが参考になる。

9月10日付Bloomberg配信記事によると、メリルリンチが8日付のリポートで米2年債の売りと10年債の買いを推奨したとの事だ。2年債と10年債の利回り格差は先週初めに12bpまで縮小したあと、ハリケーン・カトリーナの後遺症から米国の利上げが中断されるとの見方が広がって短期債の利回りが下落した結果、現在は約26bpまで拡大しているが、メリルリンチはいずれ米国の利上げが再開されるためイールドカーブが再度フラット化する、と見ているようだ。このメリルのシナリオのポイントは、それが暗黙のうちに「米ドルのイールドカーブの形状は短期金利に依存して決まり、政策金利の上げ下げは長期金利には影響しない」という事を前提にしているところだ。この考え方は正しいだろうか。

8月3日付のブログに書いた通り、イールドカーブの形状変化には債券価格主導パターン(長期債利回りが短期債へ波及)と短期金利主導パターン(短期政策金利の変化が長期債に波及)とがあり、今回見られたフラット化の本質は前者のパターン、つまりEquityと裁定関係にある長期債の需給が変化し、世界中でFixed IncomeからEquityに資金がシフトした結果、長期から短期債へと金利の上昇が波及したものであった。さらにその後原油価格の高騰が経済に対してインフレ的ではなくデフレ的に作用するというコンセンサスが確認され、長期債が買い戻されて中・短期債からEquityに資金が更にシフトした結果、イールドカーブのフラット化が一段と進んだのである。この過程でたしかにハリケーン・カトリーナの後遺症から米国の利上げ中断との見方が一時的にイールドカーブの形状に影響した事実はある。従ってメリルのシナリオは間違いではないが、短期政策金利の影響力を過大視すると危い。株価が更に上昇すれば長期債価格が下落(=長期金利が上昇)し、イールドカーブが立ってしまうからだ。大切なポイントは、今や長期金利はEquityと裁定関係にある長期債の需給から決まっており、ある意味でEquityの関数となっていることだ。

債券の残存期間が長ければ長いほど、期日まで持ち切るつもりで買う投資家は少なくなる。つまり長期債の利回りは長期資金運用・調達の基準というよりも、単にEquityと裁定関係にある長期債価格の逆数にすぎないとも言えるのだ。長期債価格は短期政策金利の上がり下がりから独立した独自の需給要因で決まる面がますます強くなっており、例えば中・長期国債は残存期間ごと・回号ごとの需給からそれぞれ価格=利回りが決まっていると言っても過言ではない。短期金利と長期金利は別々の需給要因で動いており、イールドカーブの形状はその結果にすぎないと考えるべきだ。だから政策金利を上げても長期金利が上がらないのは別に「謎」(グリーンスパン)ではない。

こうした金利の期間構造がはっきりと表れているのが英ポンドのイ-ルドカーブだ。英ポンドのイ-ルドカーブは、√(ルート)の上辺が右に伸びて緩やかに下降して行く形状となって久しい。債券価格の世界と短期金利の世界が分離されて別々の需給で動く、金利の二重相場制だ。米国が今回のイールドカーブのフラット化からこの段階に入ったと言える。円の金利体系も、まだあちこちに残っている「四畳半」と言われた護送船団時代以来の規制金利体系の残滓をようやく抜け出しそうだ。短期金利体系は政策金利を中心に形成され、長期金利体系はEquityとの裁定関係で決まる長期債価格によって、短期金利からかなりの程度独立して形成される時代が間もなくやってくる。その時日本は財政をどうするのか。まだ誰もそのシナリオを描いてはいないが、8月22日のブログ「改憲とわが国の経済(その2)」で指摘した国家債務の実質的Equity化が大きなヒントになるのではないかと考えている。

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2005年9月 8日 (木)

EU統合の行方(その5)

(その4から続く)

ユーロの長期ポートの正解はロングかショートか。その答えを探すのが「EU統合の行方」シリーズの目的だ。EUには統合に向かう求心力とバラバラになろうとする遠心力が共に働いており、過去欧州の軌道はその時々の二つの力のバランスによって決まって来た。これまでこのブログの「その1-4」ではドイツとフランスの抗争がキリスト教の展開と重なり合いながら遠心力として働いて来た事を確認したので、今度は数回にわたって欧州の求心力としてのキリスト教に焦点を当ててみる。今回はその前置きである。

まず二つ仮説を立ててみよう。
(1)単一民族・単一言語の国家は多民族・多言語の国家よりも経済発展しやすい。
(2)多民族・多言語の国家が経済発展を遂げるためには、国民の気持を一つにまとめる共通スローガンが必要である。

この仮説の検証はアカデミック・ハットを被ってライフワークとして取り組むつもりだが、このブログはアカデミック・ハットを脱いで世間話のネタ帳として書いているので、これらの仮説が正しいとするとどういう事になるのかを考えてみたい。

単一民族・単一言語国家は、例えば日本、韓国、多くのEU各国。多民族・多言語国家は、例えばアメリカ、中国、インドネシア、インド。多民族・多言語国家のうち統一スローガンがないインドネシアやインドは経済発展が遅い。ではアメリカはどうか。ドル紙幣には "In God We Trust" の文字が印刷されている。(幸福のシンボルであるヤモリがデザインされたニューヨーク州イサカの地域通貨HOURsの紙幣には、これをもじって "In Ithaca We Trust" という印字がある。)アメリカの共通スローガンは主への信仰だ。デモクラットもリパブリカンも日曜日には教会に集い、WASPは賛美歌に、マイノリティはゴスペルに陶酔する。今アメリカのマイノリティの間でイスラム教が急浸透している事は、後世の歴史家が「パクス・アメリカ-ナの終焉の始まり」として位置付ける事になる現象なのかもしれない。だとするとドルの長期ポートはショートが正解ということになる。では中国はどうか。多民族・多言語国家である中国の経済発展の秘密は共通スローガンを持った事だ。「抗日」である。日本の総理大臣が靖国神社を参拝しようとしまいと、また日本の教科書が歴史をどう扱おうと、中国は経済発展の為に「抗日」を必要としているから、日本の地政学リスクが消えることはない。だとすると円の長期ポートはショートが正解か。

ドルも円も長期的にはショートが正解とするとユーロをロングにするしかないが、それに加えて多民族・多言語地域である欧州に共通スローガン(=求心力)があるなら鬼に金棒だ。通説が欧州の共通項として挙げるのは、以前のブログで紹介した通りヘレニズム、ゲルマン的社会構造、そしてキリスト教だが、ヘレニズムはガロ・ロマーノ圏とグレコ・ロマーノ圏に分かれており、ゲルマンもドイツ圏とフランス圏とでは密度が段違いだ。だからこそEUの遠心力を「ドイツとフランスとの対立」を軸としてとらえる意義が大きい訳で、EU全体の共通スローガンとなり得る可能性があるのはキリスト教だけだ。キリスト教の遠心力については既に論じたので、次回以降数回にわたってその求心力としての面を考えて行くことにしたい。

(その6に続く)

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2005年9月 5日 (月)

信用スプレッドの縮小(BISレポートを読んで)

8月はじめにこのブログで、信用スプレッドの縮小がEquityへのグローバルな資金シフトをもたらしている為今回の株価の上昇は一過性ではない、と指摘したが、今日のBloombergに9月発行の国際決済銀行(BIS)の四半期レポートについての記事が出ていたので、BISのオリジナルを読んでみた。BISの分析によると5月18日から8月26日までの約3ヶ月間でA格債の対米国TNスプレッドは81bp から73bpへ、さらにジャンク債は457bpから334bpへ縮小しており、投資家の信頼感が大きく回復した。この背景として同レポートは、好調な企業業績(日・米・欧州ともに企業のバランス・シートはここ数年間で今が最も強い、とまで言っている!)が、GM・Fordのジャンク・グレードへの格下げの他のセグメントへの波及を限られたものにとどめた事を指摘している。Ford債を円投でポートに入れてある関係でGM・FordのTNスプレッドを定期的にフォローしているのだが、どうやらアク抜けした感があり、原油高にもかかわらず値崩れしていない。たしかにニューオーリンズを直撃したハリケーン・カトリーナの後遺症は無視できず、(そういえば昔ニューオーリンズで、ドロ川であるミシシッピ川の岸に座り込み、今にもスローなブルースが聞こえてきそうな川のうねりを何時間も眺めていたことがあるのを思い出した)Fixed IncomeとEquityとの間での神経質な資金移動はしばらく続くだろうが、大局観はEquityで押さえておいて間違いなかろうと考えている。

今日は、時にはBISレポートがポートに役に立つこともあるのだ、と再認識した日であった。

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2005年9月 4日 (日)

EU統合の行方(その4)

(その3から続く)

通説によると欧州統合の求心力の一つである筈のキリスト教が、今やEUの求心力の象徴となったアルザスの歴史の中では逆に遠心力として働いていた。そのことがよくわかる実例を以下に紹介する。

ストラスブールのクレベール広場はゴシック造りの大聖堂に隣接し、有名ブランド店やギャルリー・ラファイエット、モノプリなどの有名デパート、アウトドア・カフェなどが並ぶ、ストラスブール随一の繁華街であるが、そこから北の運河へと続く小路を2ブロック入るだけで閑静な街並みが現れる。緑の豊かな小公園の脇にホテル・ソフィテルがあり、その隣に新・聖ピエール教会が佇む。普通のガイドブックには載っておらず、人々で溢れかえる大聖堂とは対照的に訪れる観光客も滅多にいないが、この教会の歴史は驚くべきもので、何度もこのブログで言及している欧州の重層構造をまさに体現しているのだ。

新・聖ピエール教会はフランスでは極めて珍しいプロテスタント教会であるが、教会の建物の中に入ってみるととてもプロテスタント教会とは思えない雰囲気である。それもその筈、名前に「新」がついてはいるが設立は7世紀に遡る。聖コルンバヌス(530-615)に捧げられたカトリック教会として造られたものだ。この時期は「その1」で簡単に触れたが、多くの修道院が造られ、キリスト教が修道院の教区組織を通じて勢力を拡大して行く時代の先駈けにあたる。この時代の修道院における信仰・修行のあり方については二つの異なる流れがあった。一つはアイルランドで布教活動を行い、その後ヨーロッパに戻った聖コルンバヌスが目指した、山岳地などの厳しい自然環境の中での苦行による修道であり、東方教会の流れに属する戒律。もう一つは聖ベディクトゥス(480-547)による、共同体を形成して労働と信仰の修道院生活を送る考え方で、その戒律は後にベネディクト会則として西方教会系列におけるデファクト・スタンダードとして定着する。仏教に例えると、修行による悟りを目指す上坐部仏教と托鉢を行う大乗仏教の違いに少し似ている。(余談になるが、今年ヨハネ・パウロ2世の後継者として選出された新ローマ法王(枢機卿ヨゼフ・ラッツィンガー)がドイツ・バイエルンの出身であり、ベネディクト16世を名乗ったことは、ドイツにおける宗教改革の歴史を思う時、誠に味わい深いものがある。)

このように新・聖ピエール教会は創設当初東方教会の流れに属していたが、当時の建物は残っておらず、現存しているのは1031年にローマ・カトリック教会として聖ピエールの名を冠してロマネスク様式で改築されたものだ。その後13世紀後半-14世紀前半にかけて ゴシック様式で大規模な増設が行われ、おおよそ現在の姿が出来上がる。1524にはドイツ(神聖ローマ帝国)における宗教改革の激しい津波に洗われて一たんプロテスタント教会となるが、30年戦争の結果アルザスがフランス領となった結果、ルイ14世の時代に再びローマ・カトリック教会となる。この時プロテスタント用の礼拝スペースが教会内部で仕切壁によって区切られてしまった為に使い勝手が悪くなり、次第に手狭になったため、当教会は19世紀末に新しいカトリック教会が設立された機会に再びプロテスタントに全面譲渡され、仕切壁が撤去されて現在に至っているのだ。東方教会の流れの中で創設された教会がその後ローマ・カトリック教会とプロテスタント教会を往復した事例は極めて珍しい。ストラスブールの新・聖ピエール教会の歴史が教えてくれるのは、キリスト教が国境を超えた求心力としてではなく、ドイツとフランスとの対立・抗争と重なり合い、時代の経過と共に上書きを続けて行く遠心力として機能していたという事なのである。

話が少し横道に外れるが、こうした重層的な上書き構造はヨーロッパにおける数多くの教会の建築様式にもしばしば見られる。東方系教会は大きなドームが特徴だが、11世紀までに建てられた西方教会は、地元で採掘した石材や土を焼いた石を積み上げて入り口や窓に頑丈な半円形のアーチを造るロマネスク様式である。それ以降の時代になると大理石などの強度の高い石材の採掘と遠距離輸送が可能になる為、出来る限り天に近付こうとするかのような垂直な鐘楼と高い天井、それに華やかなステンドグラスを特徴とするゴシック様式が欧州全土に浸透する。当初ロマネスク様式で建設された教会もその後ゴシック様式に増改築されるのが普通だが、アルザスには素朴なロマネスク様式部分をそのまま今に残している教会がある。ストラスブールから車で国道を南へ30分ほど行くとオーベルネに着く。そこからいわゆるワイン街道に入り、バールを抜けて更に10分ほど走るとアンロ-(Andlou)という村がある。どの町・村にも中央広場があり、井戸があって教会があるのだが、アンロー教会の正面の入り口と壁はこのあたりの地元の赤土を焼いて作ったとわかるピンク色の素朴で頑丈な石材で造られており、建設当時のロマネスク様式のアーチがそのまま残っていて、見る者を教会創立当時の9世紀にタイムスリップさせてくれる。1049年には教皇レオ9世が訪れているとのことで、名のある教会だったようだ。ロマネスク様式がよく保存されている他の有名な教会としてはパリのサン・ジェルマン・デ・プレ教会の鐘楼が挙げられるが、教会本体部分はもちろんゴシックに変っている。時代によって異なる建築様式での重層的増改築は西方ローマ・カトリック教会に特有のもので、仏教寺院やモスクには見られないものだ。

さて、ストラスブールの新・聖ピエール教会の歴史が教えてくれたのは、欧州においてキリスト教が国境を超えた求心力としてではなく、ドイツとフランスとの対立・抗争と重なり合い、時代の経過と共に上書きを続けて行く遠心力として機能していたという事であった。それではヨーロッパにおけるキリスト教が欧州統合の求心力の一つであるという通説は誤っているのだろうか。この問に答えるため、次回以降数回にわたってキリスト教の求心力としての機能を考えて行く。その手掛かりとして、ヨーロッパ社会の成立にキリストがどのように関わっていたのかについて整理してみる事にしたい。その過程で、ドイツが是とした欧州憲法をなぜフランスが非としたのかという理由も見えてくる筈なのだ。

(その5に続く)

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2005年9月 2日 (金)

EU統合の行方(その3)

(その2から続く)

【余談】ある読者から「このブログには波田陽区の強い影響がある」とのご指摘を頂いた。考えてみると確かにその通りで、私の講義や講演のスタイルは昔からConventional Wisdomをひっくり返して見せて「残念!」と決めるパターンが多い。ただ「拙者は…」と自分を斬るところまでは出来ていないかもしれない。波田陽区さんはバラエティー番組で「あんたは美人の幽霊。すぐに消えないでね」と言われた割にはよく頑張っている。このブログもお蔭様でアクセスがどんどん増えているので、是非波田陽区さんにあやかって消えずに頑張りたい。

さて、本題。

EUの求心力の象徴であるアルザスとその中心都市ストラスブールは、過去どのような遠心力に弄ばれてきたのか。そしてそれはキリスト教の展開とどのように重なり合っていたのか。これが今回のテーマである。まず始めに簡単にアルザスの歴史をまとめておこう。アルザスはもともとガリア(ケルト)の土地であったが、ローマ帝国の所領となったあとゲルマン人が浸透してきた。ローマ帝国が東西に分裂して西ローマ帝国が崩壊したあと、キリスト教に改宗したフランク王国カロリング朝が再統一を果し、紀元800年にカール大帝(フランス名はシャルルマーニュ)が皇帝として戴冠。その後フランク王国は三分割されて現在のドイツ・フランス・イタリーの原型が出来る。この時アルザスは東フランク(後に神聖ローマ帝国=ドイツ)の領土となり、1354年にはアルザス地方の主要10都市が集まって自由地区(Decapole)が形成されるが、1648年、30年戦争(カトリック対プロテスタントの宗教戦争としての性格に加え、欧州での覇権確立を目指すハプスブルク王朝と、これを阻止せんとする反ハプスブルク勢力との戦争という面もあった)の講和条約であるウエストファリア条約により、アルザス地方は初めてルイ14世(太陽王、在位1643~1715)の下でフランス領となる。その後フランス革命・ナポレオン戴冠を経て1870年~1871年にはプロイセン・フランス間で普仏戦争があり、プロイセンが勝利。このためフランスはフランクフルト条約によりアルザス・ロレーヌの大部分を割譲させられた。だが第一次世界大戦のあと、1919年のヴェルサイユ条約によりアルザスは再びフランスに併合される。ところが1940-1944年の第二次世界大戦ではアルザスは一転ナチス・ドイツの支配下に。ようやく1944年11月にフランス軍がストラスブールをドイツから取り戻し、戦後はフランス領として現在に至っている。この間アルザスではドイツに徴兵されてフランスと戦った同じ市民が次の戦争ではフランス兵としてドイツと戦ったり、また同じ家族の親子・兄弟が敵・味方に分れて兵士として戦うといった悲劇が繰り返された。

このようにアルザスは第二次大戦終結までに独・仏の間を3往復し、欧州分裂の遠心力の象徴であった。そして次に見て行く通り、こうしたアルザスの歴史はキリスト教の展開とも重なり合っているのである。カトリックの国・フランスにあって、神学部にプロテスタント学科が設置されているのはパリ大学以外ではストラスブール大学だけであるという事実が、アルザスという土地のキリスト教との複雑な関わりを表わしている。そして、「その1」で触れたように一般には欧州の求心力として位置付けられるキリスト教が、アルザスの歴史の中では逆に遠心力として働いたことがわかる実例を次に紹介する。一口にキリスト教と言っても、大雑把に見ると三つの教派に分れる。まず西方教会(ローマン・カトリック)と東方教会(ビザンツ)が袂を分かち、次いで西方教会からは宗教改革を経てプロテスタント(ユグノー)が分離する。そしてストラスブールには、この三つの教派すべてを経てきた誠に興味深い教会があるのだ。 (その4に続く)

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2005年9月 1日 (木)

EU統合の行方(その2)

(その1から続く)

欧州統合の行方を「欧州の求心力と遠心力の重層的なバランス」という観点から見直してみよう、というのが今回のシリーズ全体の趣旨だ。そこでまず第2回目の今回から数回にわたり、フランス・アルザス地方の歴史を手掛りとして、欧州統合実現のキーポイントとされるドイツとフランスの戦後の協調関係(求心力)が、実は長年の対立・抗争(遠心力)の果てに実現されたものだということ、またそうした過程にはキリスト教の歴史が遠心力として重層的に絡み合っていたことを解説して行く。

アルザスはフランスの東端に位置し、西はボージュ山脈、東はライン川(ドイツ国境)に挟まれた平野である。ローマ帝国領であった時代に葡萄の栽培が始まり、現在では辛口の白ワインとして世界的に知られるリ-スリングの産地だ。葡萄やトウモロコシなどの畑がゆるやかな丘にゆったりと広がる景色は富良野・美瑛を思い出させる。美しい田園風景の間を縫って個人経営の小さなワイナリーが数多く点在する村々を結んで行く片側1車線の道はワイン街道と呼ばれ、ちょうどモントリオールからニューヨークに向って、メイン・バーモント・ニュ-ハンプシャー・マサチューセッツ・コネチカットと、時間の止まったような田園地帯の村々を縫いながら車で南下してゆくルートにそっくりだ。アルザスの西、ボージュ山脈を越えたところには石炭・鉄鋼石の産地で重工業の中心地でもあるロレーヌと、シャンパンで知られるシャンパーニュが位置している。このようにアルザスはライン川の物流と農業・工業地帯を結ぶ交通の要衝であることから、長年にわたってドイツ・フランス間の領土権をめぐる衝突の中心となってきた。EU本部はベルギーのブリュッセルに、欧州中央銀行(ECB)はドイツのフランクフルトに設置されているが、欧州議会がアルザスの中心都市であるストラスブールに置かれたのは、過去遠心力に振り回されてきたこの地こそ欧州統合の求心力の新たなシンボルとして相応しいとのEUの想いの表れなのだ。欧州議会のビルはストラスブール市の北部に位置し、マニラのアジア開発銀行(ADB)を遥かに凌ぐ、巨城のような威容を誇っている。

それでは、今やEUの求心力の象徴となったアルザスは過去どのような遠心力に弄ばれてきたのか。そしてそれはキリスト教の展開とどのように重なり合っていたのか。これが次回のテーマである。 (その3に続く)

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