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2005年8月29日 (月)

EU統合の行方(その1)

早いもので、1999年1月に欧州統一通貨ユーロが発足してから、間もなく7年が経過する。この間対ドルで大きなV字型の下落-上昇カーブを描いたユーロは今後いかなる個性を発揮し、われわれ個人投資家はユーロの長期的なポ-トフォリオをどのような視点に注目して構築して行くべきなのだろうか。このブログではこれから数回にわたり、さまざまな角度からこの問題をとりあげて考えてみたい。キー・コンセプトは「欧州の同質性(求心力)と異質性(遠心力)の緊張関係」である。具体的には、まず手始めにドイツとフランスとの関係を検討し、次いで欧州大陸と英国との関係、さらに拡大EUとイスラム圏の問題、拡大ユーロ圏の問題などを順次取り上げて行く予定である。

去る8月10日付の朝日新聞朝刊に、ユーロに関する特集記事が掲載されていた。記事の要旨は、ドイツが既に批准を可決したEU憲法条約をフランス・オランダが国民投票で相次いで否決したことが示すように、これまで連携して欧州統合を推進してきたドイツとフランスの間に溝が出来ていて、そのためEU統合の将来と基軸通貨としてのユーロの信頼性に翳りが生じ、ユーロ相場が対ドルで下落に転じた、というものだ。実際にはEUの経済統合はEU憲法の有無とは関係なく進行しており、経済統合の強化・拡大を進める上での経済面での(財政を中心とする)問題点も既に明らかになっている。また基軸通貨としての信頼性と通貨価値の変動は、ユーロに限らず決して単純な因果関係で結ばれているわけではないから、朝日新聞の記事はいかにも短絡的にすぎる。だが、ドイツとフランスはこのまま袂を分つのか、それとも引続き連携・協調してEU統合の拡大・強化を目指すのか。これが今後のEU統合の方向性とユーロの行方を大きく左右するポイントの一つであることは間違いない。

さて、ユーロの長期的ポ-トを考える上では、その通貨としての長期的・構造的特徴をよく理解しておく必要がある。その為には単なる通貨論の視角だけでは不充分であり、欧州の政治・経済・社会・宗教・文化など広汎な分野をカバーする学際的なアプローチが必要なのだが、うっかりすると朝日新聞のように多分野にわたる断片的な事実の羅列と、それらの論証を欠いた「こじつけ」や後講釈に終わってしまうリスクがある。テ-マが学際的であればあるほど、しっかりした座標軸が必要なのだ。そしてユーロの特性を理解するためには、「求心力」と「遠心力」という座標軸が有効である。太陽を巡る惑星のように欧州には求心力と遠心力とが共に働いており、政治、外交、経済、産業、文化、宗教などさまざまな分野ごとに統合へ向かおうとする力(求心力)と相互に離反しようとする力(遠心力)のバランスが各国の軌道を決めている。バランスが変われば軌道も変わる。こうしたバランスの変化は上述のさまざまな分野で絶え間なく起き、相互に影響し合っているのだ。

第二次世界大戦後欧州統合に向かった欧州の求心力の源について教科書などに採用されている通説は、まず紀元4世紀以降欧州が共有してきた三つの共通項(ヘレニズム、キリスト教、ゲルマン的社会構造)を、次に長年抗争・対立を続けてきたドイツとフランスとの第二次大戦後の和解・協調を挙げる。これだけの事であれば誰も特段の異存はないだろうが、このあと見て行くように欧州の三つの共通項は決してパラレルに並存しているのではなく、緊張関係の中で幾重にも重なり合う重層構造を形成しているのであり、ドイツとフランスとの関係も、両国共通の起源とされる紀元800年のカール(フランスではシャルルマ-ニュ)の戴冠以前から、こうした重層的構造の影響下にあったのだ。例えばヘレニズムの継承について見れば、ドイツ(及びイタリ-)はグレコ・ロマーノ圏としてヘレニズムを直接受容しているが、フランスはガロ・ロマーノ圏としてガリア=ケルトの影響を残す。またゲルマン的な分権的社会構造はドイツ圏(=旧神聖ローマ帝国圏)においては今でも顕著だが、フランスでは逆に中世以降中央集権化が進み、官僚組織に支えられた統一国民国家への道を歩んできた。さらにドイツとフランスとではキリスト教との関係もかなり異なる。そもそもフランスの中央集権化と官僚制を支えたのはクリュニー・シト-両修道会の教区制による自営農民(後に第三身分の源となる)の組織化であり、またローマ教皇庁との関係も、皇帝を互選して教皇から戴冠するドイツと、教皇庁のアビニョン移転を引き合いに出すまでもなく教皇庁そのものをコントロールしたフランスとでは対照的である。また、宗教改革の影響もそれぞれ異なった結果に繋がって今日に至っている。ドイツではプロテスタント化が北から南に向かって進行したのに対し、フランスではユグノー戦争を機に王権が強化され、中央集権化が進む結果となったのだ。こうした独・仏関係史については本ブログの「その2」以降で必要に応じて詳しく扱うが、ここでは「EU統合の求心力の源泉が独仏の和解・協調にある」というだけでは、少なくともユーロのポート戦略を考える上ではいくら何でもシンプルすぎて役に立たないであろうという事を確認しておきたい。

それでは、ドイツとフランスはこのまま袂を分つのか、それとも引続き連携・協調してEU統合の拡大・強化を目指すのか。次回のブログ「その2」では、東部フランスのドイツ国境に隣接するアルザス地方の中心都市であり、ドイツとフランスとの和解・協調の象徴とされているストラスブールを手がかりとしてこの問題を具体的に掘り下げて行くこととする。(「その2」に続く)

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