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2005年6月 3日 (金)

欧州憲法否決と反イスラム主義(改訂版)

 長期的ポートフォリオ・マネジメントにとって「キリスト教対イスラム教」という視座がますます不可欠になってきた。フランスとオランダが欧州憲法条約を否決したのは、キリスト教徒がイスラム教国家であるトルコのEU加盟を拒否したということに他ならない。

 欧州の統一はこれまで宗教を軸に展開されて来た。313年ローマ帝国コンスタンティヌス帝がキリスト教を公認し、330年には帝都をコンスタンティノープル(後に東ローマ帝国=ビザンチン帝国の帝都。現イスタンブール)に移す。395年ローマ帝国は東西に分裂、西はその80年後に滅亡して、キリスト教に改宗したゲルマンの一部族であるフランク王国が勢力を伸張する。一方570年に生誕したモハメッドが興したイスラム教が急速に勢力を拡大し、638年にキリスト教徒からエルサレムを奪った後、711年以降イベリア半島(スペイン)を支配する(後ウマイヤ朝)。これに危機感を抱いたローマ教皇は800年、フランク王国カロリング朝のカール大帝の戴冠を行い、西ローマ帝国を復活させる。(後に三分割されて現在のフランス、ドイツ、イタリアの原型となる。)以降教皇と皇帝は「楕円の2つの中心」(増田四郎)として相互に牽制しつつ西ヨーロッパの中世を形成して行く。ローマ法王選出手続きであるコンクラーベはこの時代に教権が皇権の介入を排除する為に創設された。さらに教皇側はしばしば十字軍の派遣を皇帝戴冠の条件とし、エルサレム奪回を試みるのである。一方隆盛を極めたビザンチン帝国も1453年オスマントルコに滅ぼされ、イスラム教徒の軍門に下る。

 こうして歴史を簡単に振り返っただけでも、宗教要因が深いところで欧州を動かしていることがわかる。さらに1993年コペンハーゲン欧州理事会によって定められた、EUに新規加盟するための基準(コペンハーゲン基準)には、政治的基準(民主主義、法の支配、人権など)、経済的基準(市場経済など)に加えて「EU法の総体(アキ・コミュノテール、acquis communautaire)の受容」という分かりにくい基準が定められているが、これがイスラム国家のEU加盟に対する拒否権を意味していると言われる。現在のトルコは共和国であるが、大多数の国民がエルサレムを、そしてビザンチン帝国を制圧したイスラム教徒であるという事実が、欧州の経済統合はともかく政治統合にとっては大きなネックであることが今回改めて確認されたものと言える。加えて周知の通りパレスチナ、中東・イラク、フィリピンのミンダナオ島、インドネシアのスラウェシ島、記憶に新しいウズベクなど、「イスラム」の関わる地政学的要因は、「上がったものは下がり、下がったものは上がる」といった景気循環などのフロー要因とは次元を異にする、大規模かつ半不可逆的なポートの組換えをもたらす要因であることに注意することが重要である。ユーロの下落は今まだ始まったばかり。5月15日付の「ウズベクとユーロ」でも指摘したが、「イスラム」はユーロ下落への呪文なのだ。今値ごろ感でユーロをロングにすると取り返しのつかないことになると感じる。(円投のブンズで十分稼がせてもらったので、ここは勝ち逃げとさせていただきます。)

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